舞台の幕開け⑥

「しばらく来ない間に、ずいぶんとここも賑やかになったな」

 次にコルトに来た時、セーラムの眉毛には白髪が混じっていた。

 セーラムは宴会の席でもてなしを受けながら、毛虫のような眉毛をたるませていた。事実、以前、チキータスにもてなされた時よりも、街の規模は大きくなっており、黒王軍の主要都市を除けば、このコルトの発展は目を見張るものがあった。そして、それはクロックの手腕を否が応にでもセーラムに認めさせざるを得なかった。レネゲイドだという不信感はもう完全に払拭ふっしょくされていた。

「セーラム様……。」

 クロックがセーラムに耳打ちする。そこには、街中の合法な娼館から集められた女たちがいた。朴念仁という評判のセーラムだったが、朴念仁というのは表情だけで内面には深い欲が渦巻いていた。老齢ながら衰えを見せない体毛がそれを象徴していた。

 セーラムは無表情で、ふくよかな肌の黒い女を指名する。彼の部下たちも一斉に上官の後に続き女を指名した。女たちは男たちの側に寄り添い、酌をしながら男たちの遠路からの旅を甘い言葉でねぎらった。

 クロックは杯を口に運びながら、そんなセーラムたちを無表情で見ていた。

「……ん? あの女はどうしたんだ?」

 クロックはひとり取り残された女の存在に気づき、使用人に耳打ちした。

 使用人は言う。「はぁ、どうもあの女、あぶれてしまったようでして……。」

 女は人数分用意していた。それであぶれるということは、あの女をそばに置くなら一人で飲んだ方が良いと判断されたということだ。実際、セーラムの部下のひとりは女をそばに置かず手酌をしていた。

「……なるほど」

 それは紫色の髪をした痩せた女だった。娼婦だというのに眼鏡をしている。器量は悪くないのだが、その不健康さが、側にいるだけで自分の精力や運気を奪いそうな雰囲気を醸し出していた。どうやらまだ若い女であるものの、いったいどんな人生を過ごしてきたのか、すでに内に宿す魂は人生の佳境に達しているようだった。

 クロックは使用人に言った。「あの女をここに連れてこい」

 使用人は驚いた。というのも、クロックが女に興味を示さないのは周囲でも知られたことだったからだ。そんなクロックには、亡き妻に操を立てているという美談や、実は男色家であるという噂、果ては戦時中にペニスをやられてしまったに違いないというジョークまであった。

 使用人に連れてこられた女は、体をこわばらせ目を泳がせながらクロックの前に立った。

「あ、あの……。」

「……どうした? 酌をしてくれ」

「……はい」

 女はたどたどしい手つきでクロックの酌を始めた。恐怖なのか、酒瓶さかびんの重みを枯れ枝のような細い腕が支えきれなかったのか、酒が杯からこぼれ落ちた。

 見かねたクロックは女から酒瓶を取った。

「……もういい自分でやる」

 女は所在なげにクロックの横に立っていた。クロックは手で「そこに座れ」と自分の隣の席に促した。

「は、はい……。」

 そのままクロックと女は無言で酒を飲み続けていた。どうみても良い雰囲気ではない、むしろ喧嘩の後のような二人の様子に、来客も使用人たちも話しかける気になれなかった。

「……お前、名前は?」

 そう訊ねたクロックに対して、女は驚いて口をわななかせた。クロックは急かさず、女の気が落ち着くまで待った。

「……あ、あの……その……。」

 クロックは駅馬車を待つように、何の感情も見せずに酒を飲んでいた。

「クロウディア……です」

「……クロウディア?」

「は、はい……。」

「上品な……名前だな……。」

 そう言いつつ、それが偽名であることはクロックにもすぐに分かった。

「……何か欲しいものはあるか?」

「……え?」

「食べたいものがあれば、持ってこさせる」

「えっと、あの……。」

 クロックは給仕に目配せをした。注文を聞きに来た給仕に、クロックは果物の盛り合わせを適当に持ってくるように命じた。

 運ばれてきた果物の皿を前にしてクロックは言った。

「……遠慮するな」

 女、クロウディアはおずおずとカットされたリンゴに手をつけた。

 クロウディアが果物を食べている間、クロックは新しい杯に火酒を注いだ。

「この火酒、果物に合うぞ」と、クロックはクロウディアに杯をさし出した。

 クロウディアは酒を受け取ったが、それを飲むのを躊躇ちゅうちょしていた。

「……飲めないのか?」

 クロウディアはうなずいた。

 クロックは「そうか……。」と、クロウディアから杯を受け取り、それを自分で飲んだ。

「……家族のためにこの仕事を?」

 クロウディアは首を振った。

「……家族は?」

 クロウディアはうつむいた。

「この仕事は好きか? まぁ、そんなわけはないことは見れば分かるか……。」

 クロックはクロウディアを見つめていた。戸惑いながら、おずおずとクロウディアはその視線を返す。

「もし、行くところがないなら……俺のところに来るか?」

 クロウディアはただクロックを見つめていた。

「雑用をやってもらう。人手は足りているから、そんなにやってもらうことはないが、衣食住を保証するぞ。……どうだ?」

「あの……その……光栄ですけれど……。」

「公私ともに不安があるなら俺が全部解決する」

 それでもクロウディアの暗い表情は晴れなかった。

「人生には決断するべき時がある。今がその時だ。この機を逃したら、お前はこのまま場末の娼館で人生を終えるぞ。悪臭まみれる暗闇の中でな。分かっているのか? お前は今、ただ首の筋肉をほんの少し使うだけで、その切符をつかめるんだ」

 クロックの暴風で、クロウディアの表情にかかっていた雲が吹き飛んだ。戦前・戦中はほんの扇動家の真似事ていどだったが、このコルトでのし上がるにつれ、彼の人を動かす術は板についたものになっていた。

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