舞台の幕開け⑤

 後日、ベクテルの王都から将校が来訪した。真っ黒い肌で分かりづらいが、頭が総白髪で老齢に達している男だった。しかし一方で眉毛は毛虫のように黒々としていた。

「これはこれはお待ちしていましたセーラム様」と、出迎えたチキータスが言った。ここでは常にトップだった彼だったが、セーラムが現れた途端、彼のくらいは一つ下がり、代わりに声のトーンが一つ上がっていた。

「うむ、ごくろう。しかし、まったく悪路だったな。馬車ではクッションを敷いていたが、それでも尻が痛んで仕方ない」

 セーラムは毛虫のような眉をしかめ、砂漠の砂のような声で言った。

「ははぁ、私も通った道です。しかし、この土地に入ったならば大丈夫。私たちが入植してからは急ピッチで道を工事をして、今では五王国の都市と比べてもそん色ないほどに舗装されています。これからこの土地がどれくらい開拓が進んだのかを見ていただきたく……。」

「……今日はもう休みたい」

 とても聞きづらい声だった。この男にとって、意志の疎通は自分が努力することではなかった。

「あ、ああ、気が利きませんで、誠に申し訳ありません。では、こちらにどうぞ」


 ──その晩


「しけた土地だと聞いていたが、なかなかどうして」

 もてなしを前にして高評価を下しているようだったが、セーラムは無表情だった。彼の朴念仁(無口で愛想の無い人)ぶりは、飲み屋で彼の部下が「一日に笑顔を作る回数が決まっているのではないか」と冗談を言うほどであった。

「今日はこの男が取り仕切ってくれまして……。」

 チキータスがクロックを紹介した。

「ほう……お前は?」

「クロックと申します。以後お見知りおきを」

「こいつは、戦前からここに住んでいたんです。いわゆるレネゲイドですな」

「レネゲイド……。お前の様な奴らは戦時中はどうしていたんだ?」

「我々は……。」クロックは言った。「この土地に住んではいましたが、この土地の者とは認められませんでした。そのため、戦時中は後方で物資を運ぶ仕事に従事しておりました」

 どのようにもとれる発言だった。黒王への忠誠があったか否か、そしてそれが否定されることか否か、どちらに転んでもクロックは自己弁明ができた。忠誠を誓ったが受け入れてくれなかったとも、無理やり従わされて従軍したとも言ったところで、その説明に矛盾は生じない。

「……そうか」

 クロックは笑ってセーラムの瞳の奥を覗き込んだ。自分の用意した馳走、酒、女の数々を見る眼差し。この男は禁欲的なのではない、飽いているのだ。クロックはそう思った。


 翌日、クロックはコルトの土地を案内した。馬車から見える景色は、チキータスが取り繕ったほどのものではなかった。一番栄えているこの町でさえ殺風景だった。

 客車コーチにはセーラムと彼の秘書、そしてチキータスとクロックが乗っていた。

「……やはり、ここはこの程度のものか」セーラムのただでさえ聞き取りづらい声は、退屈のあまりより一層聞き取りづらくなっていた。

「まぁいい、元々戦争の目的は領土の割譲ではないのだからな……。黒王領への入植はおまけだ……。まったく、出兵した貴族たちへの褒美と言えば聞こえはいいが……。」

 聞き取りづらいセーラムの声を、チキータスとクロックとは体を前のめりにさせて聞いていた。

「……次の予定はどうなっている?」

 すでに次の目的地の事に気が行っているセーラムにチキータスは胸をなでおろした。元よりプラスが見込めない土地だ。マイナスさえなければ彼の今後の評価に響くことはない。しかし、一方のクロックは不満げだった。

「ん、あれは何だ?」チキータスは窓の外の異変に気付いた。そこでは、切り出した大理石のような体をしたオークが、フェーンドの襟をつかんで持ち上げている最中だった。

「……喧嘩か?」とチキータスは訊ねる。

「いや、あれは……。」

 治安の悪さは自分の評価につながりかねない。チキータスはこめかみを汗で湿らせた。

「あれは、オークのやくざものですよ」と、クロックが口添えをした。「ああやって、石炭を店の前などに勝手に置いて、後日料金を取り立てに行くんです。断れば、ああやって力で脅すんですよ。完全にゴロツキですね」

「……なるほど。しかし、デカいオークだな」

「奴はロッキード・バルカという男ですよ。ご存じありませんか?」

「確か……アンチェインという名の……。」セーラムは身を乗り出した。「奴がそうなのかっ?」

 ロッキードの名前は、五王国の者でも知るところだった。特に、ロッキードのガードナー高原での武名は、敵味方問わず、古い時代の男たちの胸をくすぐっていた。

 クロックは苦笑して言った。「かつての英雄が、今ではああやってやくざに身を落とすんですから、時代は変わるものですな」

「ううむ……。」


 視察を終え、セーラムが用意された宿の一室でくつろごうとしていた所、部屋をノックする者がいた。

「……誰だ?」

「……クロックです」

 セーラムはクロックの入室を許可すると、訝しげに彼の顔を見た。

「……何の用だ?」セーラムは訊ねた。

「セーラム様は、このまま次の土地に行かれるので?」

「まぁ、予定が立て込んでいるからな。ここで長居をするつもりはない。どうかしたのか?」

「実は、内密にご報告したいことが……。」

「……このことを、チキータスは知っているのか?」

 クロックは沈黙した。それが答えだった。セーラムは毛虫のような眉毛を歪めてクロックを眺めた。彼はクロックを品定めしているようだったが、クロックもまたセーラムをそうしていた。

「……話せ」

「はい、先ほどオークの男が騒ぎを起こしていたのは覚えてらっしゃいますか?」

「ああ、例のアンチェインだな」

「あの時、奴が石炭を押し売りしているとご説明したと思うのですが……。」

 セーラムは顎に手を当て少し考えた。

「待て、もしかして、ここでは石炭が採掘されるというのか?」

「その通りです」

「……だが、そんな話、チキータスから報告はなかったぞ」

「それもそのはずです。なぜなら、その炭鉱は採掘するには険しすぎる山になっておりまして……。」

「……なるほど、採掘するには難しい場所なら仕方ないか。こんな五王国から離れた場所、そのための道具や人員をそろえるにも時間と金がかかる」

「しかしです、もしここにいるあの屈強なオークの協力を仰ぐことができるとしたらどうです?」

「……何だと? そんなことができるのか? ……だが、チキータスに聞いた話だと、お前は既にフェーンドたちから土地を散々奪った後だというではないか?」

「あくまで、今のところはフェーンドたちだけです。オークは、そこまで数が多いというわけではありませんので、今までは静観していました。しかし、もし彼らに仕事を与え、彼らだけを優遇する約束をするとしたら……。」

「なぜ、この件をチキータスを飛び越えて私に?」

「すでに進言しているのですが、チキータス様はあまり乗り気ではないようです。仕方がありません、あくまでチキータス様はお役人です、リスクを取りたくはないのでしょう。それに、彼はとても誠実な方なので、以前から私のやり方を快く思っていないようでした」

「……ふむ」

 セーラムは真っ白い顎髭に手を当てたままクロックをしばらく眺めた。

「……分かった、いいだろう。状況を私に逐一報告するように」

「ありがとうございます。決してセーラム様に損をさせるようなことは致しません」

「当然だ」

 一礼すると、部屋を出たクロックは扉の外に控えていた使いの者に訊ねた。

「炭鉱の周辺の土地を所有しているオークの貴族は?」

「はい、複数のオークの家が所有していますが、特に大きいのはバルカ家とカーン家です」

「そうか……確か“バルカ”はあのアンチェインの家名だったな……。」

 クロックは「できるなら関わりたくないな」と言った。ロッキードが規格外であることは、クロックにも分かることだった。おおよその策を越え、予想外のことをやらかしそうだった。

「カーン家の今の主はだれだ?」

「マーティンというオークです」

「……なるほど。ではそいつに手紙を送れ。……いや、直接会いに行こう」

 その後、会合の際にクロックがマーティンに提示したのは、炭鉱の採掘の再開を人間側で後ろ盾するというものだった。その見返りとして、今後この土地の法律や商売は、オークが有利なように整備されていくという条件を出した。オークたちからすれば都合のいい取引だった。この土地での大多数を占めるフェーンド、彼らよりも勢力を拡大することはこの土地でのオークの悲願だった。しかし、それには条件があった。それは、独立運動を続けている、少数種族のフェルプールたちの鎮圧だった。それも非合法な。黒王領は決して一枚岩ではなかった。それを最後の黒王・アムネストが一つにまとめ上げていたのだが、クロックはその亀裂に改めてハンマーを打ち付けていた。

 クロックの報告で、コルトは収益の見込める土地だということが明らかになった。駐在軍の責任者だったチキータスは、職務怠慢しょくむたいまん烙印らくいんを押され更迭こうてつ、新しい軍人がクロックの事実上の補佐役として派遣された。クロックが、チキータスの事なかれ主義を少しばかり印象が悪くなるようにセーラムに報告していたためだった。チキータスは左遷された後、失意のうちに憤死したという。

 かつては黒王軍の鎧に身を包み、今ではベクテルのエンブレムが刺繍されたスーツに身を包むクロック、戦後の彼の目には全てが衣替ころもがえできるものだった。義理も情も、利益という本体を飾るための衣服でしかなかった。

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