手に入れようとしていたもの

 二ヶ月後、接客を終えたサハウェイは体調を崩した。

 今日は客を取るのは無理だということで自室で大事を取っていたところ、突然サハウェイはベッドから跳ね上がりトイレへと駆け込んだ。そして便器につっぷし嗚咽を上げ続けながら、サハウェイはすぐに事態を察した。娼館で他の女たちがそうなっているのを幾度か見たことがあったからだ。

 その後、すぐにサハウェイは身に起こっていることをヒョードルに報告した。下手に隠せば、無理に体を押して客を取らされてしまう。そうなってしまえば自分の命すら危うい。

 サハウェイに妊娠を報告されたヒョードルは怒りで体を震わせたが、しかし娼館の女に妊娠はつきものである。レモン汁を染み込ませたスポンジを膣内の奥に仕込んだり、行為の後に洗浄液で洗い流す方法があるとはいえ、確実なものではない。

 サハウェイに責任を求めるわけにもいかず、ヒョードルは腹が大きくなれば休養を取らせることにした。他の女と違い、彼の娼館の主力のサハウェイである。大事を取らせるより他なかった。

 休養が決まったサハウェイは、ヒィロを自室に呼び自分のお腹に子供がいることを告げた。


「貴方と私の子よ」

「え? どうして分かるんだい?」

 ベッドでサハウェイの隣に座るヒィロが驚いて言う。

「貴方、身に覚えがないって言うの? ひどい男ね」

「え? いや、でも、だって……。」

「冗談よ。だって私、貴方との時だけ避妊も何もしなかったんだから。それにね、女にはそういうのが分かるのよ」

 サハウェイは嬉しそうに腹を撫でた。

「そ、そうなんだ……。」

 困惑しているヒィロにサハウェイが言う。「心配しないで。貴方と私とのことは誰も知らないから。それに私は娼婦よ? 誰が父親なんて分かりゃしないって知らばっくれればいいじゃない」

「そうだ、ね」

 ヒィロは、そうか僕の子かと、戸惑いながらも嬉しそうにサハウェイのお腹を見る。

「名前を考えててね、お父さん」

「うん。でも男の子かな、女の子かな」

「……男の子が良いわね」

「そうかい?」

「だって、男の子なら娼館に売られる心配ないもの」

「そうだね……。」

「私、男の子が産まれたらとっても大事にするわ。どんな母親も及ばないくらいにたっぷり愛情を注ぐの」

「君ならできるよ」

「そしてね……。」サハウェイはヒィロの肩に頭をもたげて言う。「世界で私しか愛せないようにしてやるんだ」

「ははは……。」



 ヒィロが部屋を出ていった後、新人の娼婦がサハウェイの部屋を掃除しに訪れた。

 床をほうきで掃きながら、10代前半の幼い新人の娼婦が言う。「その……おめでとうございます」

「皮肉かしら」

「い、いえっ、そんなつもりじゃあ」

「分かってるわよ、ありがとう」

「その……誰が父親かは……。」

「分かるわけないでしょ。私が何だと思ってるの?」

「そうですか……。」

 そう言う新人の表情は、どこか意味深だった。

「何か言いたげね?」

「いえ、それにしては嬉しそうだなって……。」

「別に、もうちょっとお腹が大きくなったらヒョードルさんがお休み取らせてくれるって言うからね。長期休暇なんて滅多にないじゃない」

「そうなんですか……。私はてっきり……。」

「てっきり、何よ?」

「いえ、単なる噂ですよ」

「噂?」

「ええ、だから気になさらないで──」

「ちょっと、そこまで言っておいてやめないでよ。何なの?」

 新人はほうきで掃くのをやめて遠慮がちに言う。「あの……実は、お腹の子の父親が……ヒィロさんじゃないかって噂してる人たちがいて……。」

 サハウェイは真っ赤な目で新入りを見つめた。

「あっ、すいませんっ。そんなわけないですよねっ。単なる根も葉もない噂ですからっ」

 淡々とした口調でサハウェイが言う。「……誰が噂してるの?」

「いえ誰かというか……。」

「知ってるでしょ」

「……勘弁してくださいっ」

 消え入るような声で新人は言った。

「……まぁいいわ。で、貴方は信じてるの?」

「いえ、ただ……そうだったら素敵だなって……。」

「……素敵ですって?」

「そうですよっ。お二人共とってもお美しいし、お似合いのカップルだと思ってますっ」

「……そう」

「他の先輩方は、ヒィロさんのことを男らしくないとか、女みたいだって言ってますけど……。」新人はサハウェイの様子を伺いながら言う。「でも私、ヒィロさんってとっても優しいし、困ったときは助けてくれるし、ホント素敵な人だと思いますよ」

「そ、そう?」

「でも……ヒィロさんじゃないんですよね」

「もちろんよ……当たり前でしょ? だいたい、奉公人のアイツと私がそんな関係になるわけないじゃない」

「ですよねっ。ヒョードルさんにバレたらヒィロさん殺されちゃいますよっ」

「ね、ねぇ……。」

 それからしばらくして掃除が終わると、新人はじゃあ私はこれで、と部屋を出ていこうとした。

「ちょっと待って」

「何ですか?」

 サハウェイは化粧台の引き出しから、真珠のネックレスを取り出した。

「これ、貴女にあげるわ」

「え、良いんですかっ?」

「ええ。私の胸元じゃあ、白い真珠はいまいち冴えないし」

「あ、ありがとうございますっ」

 真珠のネックレスを受け取ると、新人は喜んで部屋を出ていった。

 そして、その新人はサハウェイの様子から子供の父親がヒィロなのだという噂には信憑性があることを知った。


 その後、新人はヒィロにも同じようにカマをかけた。サハウェイ以上に簡単に動揺したヒィロに、止めを刺すように「サハウェイから聞いた」と告げると、ヒィロは顔を蒼白させて絶句した。それでもヒィロは何とか否定していたが、例えお腹の子がヒィロでなくても、二人に関係があることを新人は確信した。

 この新人にとっては処世術のつもりだった。いち早く同僚の娼婦たちに取り入るために、サハウェイに関する悪い噂の裏を取ろうという。

 しかしその結果は、幼い彼女が予想しうる以上のものになってしまった。

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