見つけた慰め

 自室に戻ると、サハウェイは化粧台の前に座り自分の顔を眺めた。

 サハウェイは険しくシワの寄った眉間を撫でてシワをならす。彼女の肌は、ちょっとしたシワも目立ってしまうからだ。

 サハウェイは満足に塗れなかった口紅の様子を確かめる。この真っ赤な口紅も、これを塗ることでより自分の肌を艶やかに見せる工夫だった。

 そうしてサハウェイが鏡顔を眺めていると、誰かが部屋のドアをノックした。

「……誰?」

「ヒィロです」

「ああ、入って」

 入ってきたのは、サハウェイよりも年下の娼館の奉公人だった。ヒゲもまだ生え始めていない童顔のヒィロは、年齢よりもさらに若く見えた。

「ハーブティーをお持ちしました」

 伏し目がちの少年にサハウェイがきつい口調で言う。「遅かったじゃない」

「あ、その……他にも仕事が……。」

「私の頼み事よりも大事なわけ?」

「それは……その……。」

 しどろもどろしているヒィロに、サハウェイが意味ありげな微笑みを向けて歩み寄る。

「冗談よ」

 サハウェイはヒィロからティーセットを乗せたお盆を取るとテーブルの上に置く。

「それに、二人きりの時は敬語をやめてって言ってるでしょう?」

「……分かったよ」

 サハウェイはヒィロの金髪を撫でて顔を引き寄せる。

 ふたりの口が接触する程に顔が近づいたので、ヒィロは慌てて体を仰け反らせた。

「ちょ、ダメだよサハウェイ。誰かが来たら……。」

「大丈夫よ、私、今日はもう上がりなんだけから」

「そうかもしれないけど……。」

 戸惑うヒィロを尻目に、サハウェイはベッドにうつ伏せ横になった。

「背中揉んでよ、疲れちゃった」

「え? でも、ハーブティーは……。」

「熱いの嫌なの。少し冷ましてから飲むわ」

「うん……。」

 ヒィロはサハウェイにまたがると、背中をマッサージし始めた。

 しばらくヒィロがマッサージをしていると、サハウェイは気だるそうに注文をつけた。

「ちょっと、弱いわ。そんなんじゃ全然効かないんだけど」

 不機嫌できつい口調だったが、そこはかとなく甘えたように弾んだ声でもあった。

「わ、分かったよ」

 ヒィロが少し力を強めに入れると、今度はサハウェイは呻き声を上げた。

「強すぎるっ」

「え? そ、そう?」

「もう……。」

「ごめん……。」

「……ねえ、もうちょっと下の方やって」

「……うん」

 ヒィロは言われるままに、サハウェイの腰の辺りを揉み始める。

「……もっと下」

「あ、うん……。」

 ヒィロは腰の下の部分に手を当てた。

「もっと下だってばっ」

「え? だって……。」

「いいからっ」

 ヒィロは戸惑いながら、サハウェイの尻の部分を揉み始めた。

「ここ、凝るかなぁ……。」

「なぁに? 照れてんの?」

 サハウェイが顔を向けると、ヒィロの顔は耳まで真っ赤になっていた。

「ちょっとぉ、娼館で働いてる人間がこれだけで照れちゃってるの? ウブすぎない?」と、そんなヒィロをサハウェイがせせら笑う。

「そ、そんなんじゃ……。」

 サハウェイはヒィロの手首を掴んで自分の元に引き寄せた。体重の軽い優男のヒィロは簡単にサハウェイの力でベッドの隣に倒れこんだ。

「ちょっと、サハウェイ……。」

「なぁに?」

 サハウェイはヒィロの顔に自分の顔を近づける。

「お茶が……冷めちゃうよ……。」

「かまわないわ。また入れ直してよ」

「そんな……ん」

 サハウェイはヒィロの首に手を回し、勢いよく口づけをした。二十にも満たないサハウェイの口づけだったが、既に並の女よりもはるかに経験の多い彼女のそれは、ヒィロの脳がとろけそうなほどに熱かった。

「ん……誰か……来たら……。」

「怖いの?」

 しかし、その問いにヒィロは答えなかった。

「今この瞬間に比べたら、娼館の掟なんて陳腐だわ。……そうでしょ」

 サハウェイはヒィロの上着を脱がせた。薄い胸板とサハウェイほどではないが白い肌は、全くの少年のものだった。

 ヒィロの上半身を裸にしてからサハウェイも部屋着を脱ぐ。ランプに照らされた真白いサハウェイの体に、ヒィロは息を飲んで目を丸くした。石膏像のように真っ白な肌だったが、乳輪は薄い桜色だった。

 サハウェイが冷気を放つような蠱惑的な笑顔を浮かべて言う。「ここの上客だけが抱ける私の体よ……。」

 サハウェイは、ヒィロの体にシーツのように覆い被さった。

 彼女の体に不思議な力が宿っているというのは、あくまでヒョードルが広めた噂話だった。しかし、サハウェイに体を重ね合わせられた瞬間、ヒィロは魂を吸い取られるような不思議な感覚で目眩を起こしていた。

「……震えてる?」

 わなないているヒィロの唇をサハウェイが指でなぞる。ヒィロの唇には、サハウェイの真っ赤な紅が移っていた。

「怖い? それはヒョードルが? それとも私?」

 サハウェイはヒィロの首に、吸血鬼が噛み付くように口づけをする。まさに生命を奪われたかのように、ヒィロは弓なりになって小さく悲鳴を上げた。



 しばらくして、ふたりの吐息と色香が部屋に充満した頃、サハウェイとヒィロはベッドの真ん中で暖めあうように体を寄り添わせていた。

 事の終わりだというのに、緊張した面持ちのヒィロにサハウェイが訊ねる。

「……もしかして嫌だった?」

「いや、僕は良かった……よ」

「良かった? あったりまえでしょ? 私はここのトップよ?」

「あ、いやそうだけど……。」

「だけど?」

「君はその……大丈夫なの? 僕なんかと……こんな関係になって」

 サハウェイはヒィロを弾くように体から離れた。

「それは私が決めることよ」

「そうなんだ……。」

 サハウェイはヒィロの手を握り少年を見つめる。

「ねぇ、貴方の故郷の話聞かせてよ」

「え? 僕の? ……面白いことなんかないよ」

「いいのよ。貴方の昔のことを知りたいの。ここにいる人たちの昔話なんて興味ないけど、貴方は別だから」

「でも……あんまりいい話じゃないし」

「辛い過去?」

「……うん」

「話すのが辛い?」

「そりゃあ……。」

「だったらなおさら話して。もっと興味が湧いてきたわ」

「君、性格悪くないかい?」

「貴方の悲しみも捧げてよ。私、好きになったら相手の全てを手にしないと気がすまないの。例えそれが傷であっても」

 驚いてヒィロはサハウェイを見る。サハウェイは満面の笑みでそれに応えた。

「……じゃあ、君も僕に過去を話してくれるの?」

「もちろん話さないわ」

 ヒィロは呆気にとられて笑うざるを得なかった。


「……僕が生まれる前、戦争があったせいで軍隊が僕の村に立ち寄ったことがあったんだ。彼らは味方のはずだったんだけど……その、統制が取れていなかったせいか……兵隊たちが村の女性に手を出したんだ。中には無理やり……それこそ夫や子供がいる女性にも関係を迫って……。」

 それからヒィロは言葉を詰まらせた。

「貴方のお母さんもね?」

「……ああ。それからお姉ちゃんが生まれたんだけど、時期は彼らが来た時より後のはずだったのに、父さんはずっとお姉ちゃんの事を疑ってたんだ。……コイツは本当に俺の子なのかって……。」

「ひどい……。」

「もちろん、普段はそんなことは言わないよ。ただ、お酒に酔って不機嫌になった時にそういうことを口にすることがあって……。」

「十分よ。お酒が入ってたからって許されることじゃないわ」

「……そうだね」

 サハウェイはヒィロの肩口の傷に指を這わせて訊ねる。「ねぇ、もしかしてこの傷って……。」

「目ざといね、君は」ヒィロは肩口を抑えた。「父さんがお姉ちゃんを殴ってた時に、見てられなくてかばったんだ。そしたら……弾みで立てかけてあった斧が落ちてきて……。」

「最低ね」

「わざとじゃないんだよ。僕がいけないんだ、変なかばい方をしたからもつれちゃって……。」

「最低よ。わざとかどうか関係ないわ。馬車で人を轢いたら御者が無罪になると思う?」

「それはそうだけど……。」

「最低の父親よ。貴方が憎めないのなら代わりに私がやってあげる」

 サハウェイはヒィロの肩口の傷に口をあてると、生傷の血を吸い出すように吸い付いた。ヒィロが小さく呻き声をあげる。

「痛む?」と、サハウェイが訊ねる。

「少し……疼くかな」

「これは貴方が受けた屈辱の残り火よ。許しちゃあいけないの。受けた屈辱は、必ず返さないと」

 サハウェイは燃えるような赤い瞳を向けてヒィロに言い聞かせる。ヒィロはサハウェイの眼力に気圧されて頷きそうになった。

「……ねぇ、いつか貴方の故郷に連れてってよ」

「僕の故郷に?」

「そう、私が自分を買い取れるお金を手にしたら、貴方と一緒に貴方のおうちに行ってご両親に挨拶するの」

「……それって、結婚の報告ってこと?」

「違うわ。貴方のお父様に同じ傷を負わせてやるのよ」

 サハウェイは愉しそうに笑い声を上げた。

「君ってホントすごいね……。」

 ヒィロは閉口して首を振るばかりだった。

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