嫉妬を身にまとう
その夜、サハウェイは常連客の前で見世物になっていた。
昼間と同じように全裸にされ、男たちの視線に晒されていたが、既に昼間の仕打ちでサハウェイの心は麻痺し始めていた。台の上に立ち、裸体をランプで照らされ、光と視線を痛みを覚えるほどに感じながらも、しかし彼女の意識は体の外にあるようだった。
「さあさあ皆さん、本日手に入れた極上の品です。これから私の娼館の目玉商品になる女ですよ」
得意気にヒゲを撫でながらヒョードルが言う。
「も、もう今夜から客を取るのかい?」
興奮した客がヒョードルに訊ねる。
「もちろん。しかし、彼女は初物でして。最初はお得意さんのお得意さん、その中から競り落としてもらおうと思っています」
ヒョードルの初物、という言葉に来客たちが色めきだった。
「では皆さん、より近くで彼女を見ていただいて、我こそはという方は料金の提示を願います」
ヒョードルの言葉に堰を切ったように、男たちは大声で口々に料金を提示し始めた。
興奮した男たちの口から放たれる金額。現実感なく上がっていく値段を聞きながら、これが自分の価値なのだと妙に可笑しくなり、離れた意識の中でサハウェイは腹を抱えて笑っていた。
その後、ハサウェイは自分を買った地主の男に抱かれながら、今までの人生を振り返っていた。軋むベッドの音を聞きながら、男の玉ねぎ臭い口臭を嗅ぎながら、彼女の脳裏には生家の風景が、自分を売った時の両親の顔が、自分に恥辱を与えた男たちの視線があった。
心は麻痺していた。しかし、彼女は決して忘れることはなかった。世界に対する憤りを、運命に対する怒りを。
慎重に扱うと言っていたヒョードルの言葉通り、サハウェイは娼館の中で特別待遇を受けていた。初日に与えられた一人部屋、客もヒョードルが厳選した上客のみ、さらに彼女の体調を崩さないよう、疲れが見えると数日休ませるなどの処置が取られた。
一方で、ヒョードルの企みからサハウェイの出自は貧しい農家ではなく、由緒正しい法術士の家柄ということになった。そして彼女の体は特殊な血脈により白くなっており、彼女とまぐわえばその
ヒョードルのそんな宣伝は瞬く間に周辺だけでなく国外にも広まり、多くの金持ちがサハウェイを求め訪れるようになっていった。長寿を望む大商人や、生まれつきの病気を持った貴族、さらには自らの気を高めたい聖職者までが来訪してきた。
ヒョードルの店は、娼館の集まるイリアの中でもひときわ繁盛するようになり、彼の店は安泰であるかのように見えた。
しかし、彼にも誤算があった。それは、サハウェイと他の娼婦との仲である。
「あ~あ、もう今夜5人目よ? ホント嫌んなる、いい加減にしてほしいわ」
娼婦のひとりが、トイレの個室から出てきてぼやいた。水場で体を洗ったものの、彼女の体からは男の脂汗の臭いが残っていた。
「なんでも、王都での大工事が終わったって事で、雇われてた男たちがここいらの娼館やら賭博場に押し寄せてるんだって」
鏡の前で化粧直しをしている娼婦が言う。
「へ~、じゃあ外は大賑わいなわけだぁ」
「ま、私らには関係ないけどね」女は肩をすくめる。「だから、これからまだまだ客が来るはずよ。今までは女抱いてから酒って客だったけど、これから酒飲んでから女って客が来るからね」
「勘弁してよ~」
するとそこへサハウェイが入ってきた。女たちは急に話すのをやめた。
サハウェイは鏡の前に立つと口紅を塗り直した。赤い紅はサハウェイの白い肌で強調され、彼女の妖艶さをより強調させていた。
隣に立つ娼婦が、そんなサハウェイに当てこするように独り言つ。
「ホント、いいわよねぇ誰かさんはぁ。私たちがこんなに身を削って働いてるってのに、一回客をとっただけでもう店じまいなんだから」
「ちょ、ちょっとベス……。」
「白いってだけでウチの看板になった女がお高く気取ってんじゃないわよ」
「……ヒョードルさんに言っとかないとね」口紅のノリを確認しながら、サハウェイも独り言のように言う。「経営方針に文句がある女がいるって……。」
女はサハウェイに向き直る。「なんですって?」
「あら、聞こえたの?」
「ヒョードルさんのお気に入りだからって調子のんなよ、百姓上がりの田舎娘のくせに」
「……違うわ」
「はぁ?」
「私は王都に使えた由緒正しい法術士の家の女よ」サハウェイも女の方を向いた。「貴方たちと一緒にしないで」
あまりにも当然に言うハサウェイを、女ふたりは唖然として見ていた。
サハウェイはそんな二人など視界に入らないかのように口紅をポシェットにしまうと、無言で手洗い場から出ていった。
サハウェイが去ったことを確認してから女が言う。
「ベス、まずいよ。ヒョードルさんにチクられたらどうするの?」
「はん、やれっこないさ。あの小娘にそんな根性あるわけない」
「そうかなぁ……あの子、どっか不気味なところあるんだよねぇ」
「はぁ? あんなハタチにもなってないガキの何が怖いってのさ」
「……何か、あの子のあの赤い瞳がさ……世間をどっか冷めて見てるようで、でも深く憎んでるような……そんな得体の知れない感情を持ってるみたいな感じがしてさぁ……。」
「思い過ごしだよ。あんな白子、病気で早死にするのが落ちさ」
自室に向かうサハウェイの眼光は、赤く、されど冷たく冷えていた。
くだらない。
サハウェイはそう口にしかけた。
ただ体を売るだけで若い時間を消費続けている娼婦たち。彼女たちが、いったい他の女より抜きん出るためにどんな努力を払っているというのか。
自分はヒョードルに願い出て、テーブルマナーや話し方といった作法を都会から来た家庭教師から教わっている。そうしなければ、名門の出自だというヒョードルのついた嘘などすぐにバレるからだ。そうなったら上客とはいえ、一度しか自分を指名することはなくなってしまう。やがてはヒョードルは自分に商品価値がないと判断するだろう。男の喜ばせだって、ベッド以外にも、外に連れられて食事をする時にさえ意識している。
しかし彼女たちはどうだ。目の前に出てくるものを感情的に受け流すだけで、自分の運命の手綱など握ろうともしない。
私はこんなところでは終わるつもりはない。終わっていいわけがない。
サハウェイの瞳は静かに燃え続けていた。
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