ビフォア・ファントム㉕吟遊詩人の女

 さらに一ヶ月が過ぎようとしていた頃、クロウと一緒に娼館に連れられてきたシーナが、クロウとエレナに字を教えてくれるように頼んできた。

「どうしたの急に? あまり熱心じゃなかったのに」

 エレナと一緒に机についているシーナにクロウが訊くと、メグが「金持ちのボンボンに気に入られるかもしれないって」と口を挟んだ。

「ちょっと、メグっ」

「いいじゃないのさ。羨ましいね、若いって」

 とはいえ、そういうメグもまだ20代の半ばなのだが。

「へぇ、どんな人なの?」と、クロウが訊く。

「すっごい人なんだよ、頭がよくってね。でも……何言ってるかわかんない時があるからアタイもっと本が読めるようにならなくっちゃって」

「ふぅん、“頭がいい”ねぇ」

「何かいいとこの子息らしくって、法律を勉強してるっぽいんだ。すごいよ、色々話聞くとさ、世界の仕組みってのがわかる感じがするのっ」おそらく、その男の言う大まかなことしか理解していないのだろうが、まるで世界のとっかかりを掴んだように嬉々としてシーナは話す。「娼婦のことだって、アタイらの扱いがフトウだって、まるで自分の事みたいに心配してくれるんだよ。あんな人も世の中にいるんだねぇ」

 白馬の王子様に出会ったかのように話すシーナは、年相応の17歳の少女に戻ったかのようだった。

 手を腰に当てながらメグが呆れたように言う。「浮かれてるのはいいけど、そろそろ準備をしてくれないとね」

「あ、それなんですけどメグさん……。」

「何さバリー」

 メグはキツイ目で女だらけの控え室にいたバリーを睨んだ。やはり“可哀想なバリー”はとことん無害だと思われていた。

「今日はゲストが来るので……特にクロウさんは接待などの用意をお願いします」

「ゲスト?」と、クロウが訊ねる。

「そうです。毎日同じことしてますから、マンネリになって他所よそにお客さんを取られないように、たまに外から曲芸師とか呼んで催し物をするんです。今日は……確か吟遊詩人の方が来るとか」

「吟遊詩人……。」

「あれ、意味があるかわかんないんだけどねぇ」と、メグが面倒くさそうに言う。

「まぁまぁそう言わずに。催し物がある間は、お客さんも気が紛れるものですから」


 日が沈みかけ鉱山が仕事を終える頃、娼婦たちは接客の用意をしていたが、クロウはバリーに言われたように、客間控一部を接待用のスペースにしてお茶と茶菓子を用意していた。玄関の方からバリーが誰かを迎えているような声がしたので、例の吟遊詩人かと気にせずに自分の準備をしていたクロウだったが、どうもバリーの様子がおかしいことに気づいた。ただでさえ自信のない口調が、より一層しどろもどろしている。

 異変を感じたクロウは、控え室を出て玄関に向かった。


「どうしたのバリー?」

 玄関にはバリーと、吟遊詩人と思しき女が立っていた。


 明るい紫色の異国の着物を着て、杖をついて三味線を背負っているという容姿でも異彩を放っていたが、その女が一際奇異なのは、顔半分を深い紫の目隠しで覆っていたからだ。革製のように頑丈なそれは、顔を隠すというものではなさそうだった。旅をしているにしては女の肌は真っ白で、髪は緩やかな内巻きのセミロングで服と同じように薄い紫だった。唇はふっくらとなまめかしく、その唇の上には小さなほくろがあった。濃いい紫の帯の上の膨らみで、服の上からでも胸の大きさが見て取れる。歳は二十代にも三十代にも見えた。というのも、奇妙なことだがその女はある年齢から不自然に成長を止められたような印象を受けるのである。そのせいで一見して瑞々しく豊満なはずの体は、手入れの行き届いたアンティーク人形のような美しくも無機質だった。


「……何を驚いてるのかしら?」

 女は視線ではなく、耳をバリーの方に傾け訊ねた。どうやらめしいのようだった。

「あ、えっと……お話になかったもので」

「盲人ということが?」

「あ、いや、その……。」

 女は再び顔を傾け、額でバリーを見るように言う。「……身長は5、6尺※、年齢は16歳くらいかしら?その訛りだとヘルメスのギャップ出身のようねぇ。故郷離れて随分経ってるみたいだけど」

(※170センチ程度)

 女が一気にバリーの容姿を言い当てていく。女が握手を求めてきたので唖然としたままバリーが応じると、顔を近づけてさらに言う。

「肌の感じから年齢に似合わない苦労をしてるわね。それにしても痩せ過ぎよ、14貫※くらいでしょ。きちんと食べさせてもらってるの? 栄養も偏ってるし。それにもっと胸を張って歩きなさい。猫背で重心が不安定よ」

(※54キロ程度)

 女は最後に、髪はグレイかしらねと言って微笑んだ。

「おみそれしました……。」

「特別なことじゃあないわ。耳も鼻も触覚も存分に活かせば目を補えるものよ。だけどこれは芸でもなんでもなくて、ただの処世術」

 女は本業はこっちねと背中の三味線を指し示した。

「たいしたものね」と、遠巻きに見ていたクロウが言う。

 女はやはり視線ではなく、耳の方をクロウに向けた。

「……アナタは?」

「私はクロウ、一応娼婦だけど、今日は貴女のお世話をさせて頂くことになってるわ。でもその様子じゃあ、それも余計かしら」

「いいえ、そんなことないわ。ある程度はけど勝手は分かららないから助けがあったほうが嬉しいの。私はジェイティよ……よろしく」

 そう言ってジェイティはクロウに手を差し出した。先ほどのバリーの件もあったので少し躊躇したものの、すぐにその握手に応じる。

「……あら、貴女フェルプール?」

「半分正解といったところかしらね」

 クロウが得意げに言い、ジェイティは予想外の答えに眉をひそめた。

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