ビフォア・ファントム③クライスラー親子

 ベンズ村の集合墓地、その外れの大きな杉の木の下にある墓標にメルセデスは寄り添っていた。

 墓標と墓標の間を春風が走り抜き、その風が木陰までたどり着くと、メルセデスの髪をかきあげて顔を露わにした。その顔には大きな火傷の痕のあったが、彼女の髪型はその傷を隠すようにではなく、むしろそれを強調するようでもあった。


「せっかくの墓参りだけど、酒は控えさせてもらうよ。アタシが飲めないし、アンタだって散々これにやられたんだ。あの世で振り回される訳にもいかないだろう?」

 メルセデスは瓶から杯に葡萄を絞った飲み物を注ぐと墓前に備え、もうひとつの杯にもそれを満たした。そして軽く掲げ乾杯をしてから数口飲み、その杯を墓前の杯の隣に置いた。

「アンタとこうやって飲むのは考えてみりゃあ随分と久しぶりだねぇ? 戦争が終わりゃあ一段落すると思ってたら、それからもお互いのんびりすることがなかったからさ……。でもこれからはゆっくりできるね、静かなところで……。」

 メルセデスは目を細めて、でもこんなに離さなくったっていいのにと、呟いた。

 確かに彼女の言うように、その墓標は周囲とやや離れたところに建てられていた。それはそこに眠る人物への敬意と同時に、ほんの少しの敬遠が入り混じっていたからなのかもしれない。


「アンタはいい女だったよ、女のアタシから見てもね。昔は村じゅうどころか街の男たちまでがアンタを見るためにはるばる足を運んだもんだった。収穫祭の夜祭の時なんか、老若男女関係なしにアンタの踊りに魅了されてさ……。」メルセデスは、墓標に親しい友人そうするかのように語りかける。「でもアンタはそれを鼻にかけたりはしなかった。子供の頃、アタシの顔がこんな風になったときは一晩中アタシのために泣いてくれてたっけ。周りは色々言ってたけど、アタシはアンタは心根のいい奴だって知ってたよ……。アンタのことを白い目で見る奴をもいるけど、アンタには村中の奴らのほとんどが感謝してるんだよ」

 メルセデスは、杯を手に取り飲み干した。

「けどさぁ……こんな最期はあんまりじゃないのさ。あの子は、アンタの生きる理由にはならなかったってのかい?」

 メルセデスは杯を再び墓前に置き、木陰で友人と語らうかのように墓標に背を預け、墓標をそっと指で撫でさした。


「お袋ぉっ」

 墓標が密集している場所からメルセデスに声をかける者がいた。息子のディアゴスティーノだった。当時18歳、人間でいうと20代後半の彼は既にフェルプールの若者の中で頭角を現し、人間やエルフといった他種族ともビジネスを始める程の顔役となっていたが、母親の前では大人しい青年を演じようとなるべく目立たない格好に徹していた。もっとも、いくら猫をかぶろうとも息子の街での所業を知らないメルセデスではなかったのだが。

 メルセデスは目じりをぬぐい、立ち上がって杯を片付ける。「あぁディエゴ、あのはどうした?」

「見送りもいらねぇって独りで行こうとしたんで、なんとか引き止めてるぜ」

 ディアゴスティーノに近づきながらメルセデスは言う。「……そうかい。まぁ仕方ないねぇ、あの娘はきっとこれからも一人を選んじまうんだろう」そして曇天を見上げて、「こりゃあ一雨降りそうだねぇ」と呟いた。

「急ぐよディエゴ。あの娘の門出をずぶ濡れにするわけにもいかない」


 二人が墓地を後にする頃、ディアゴスティーノが先程まで母親がいた墓標を気にしながら言う。「なぁ、お袋。マーリンはそんなに酷ぇ母親だったか?そりゃあよ、ちょくちょく目も当てらんねぇって時もあったさ。けどよ、世の中にゃ自分のガキに手ぇ出す奴も、ガキを二束三文で売っぱらっちまう奴だっているんだぜ? それに比べりゃあマーリンのやったことがなんだっていうんだよ」

「……世の中にはね、たまにいるんだよ。絶望的に相性の悪い母娘おやこってのが」

「……実の母娘だぜ?」

「だからだよ、解せんのさ。間違いなく自分のお腹を痛めて産んだ自分の分身が、自分とは全く違う女になろうとしている……。近いからこそ見えなくなっちまうってもんもあるんだ」

 ディアゴスティーノがそんなもんか、と呟いた。

「ディエゴ、アンタはあの娘の事どう思う?」

「どうって?」

「一度くらいは抱きたいって思ったことあるんじゃないのかい」

「子供にそれ訊くかよ……。」

「きっとあの娘がもうちょっとめかしこんで、もっと女らしい所作を身に付けりゃあ、きっと村中の男どもがほっとかなかったろうよ。あの娘の笑顔を引き出すために、四六時中あれやこれや頭を絞ったはずさ。マーリンがそうだったようにね。そして適当な頃に自分に見合った旦那を見つけて、女王様のように生きる事だって出来たはずだ。」メルセデスはため息混じりに言う。「だが、あの娘にとってそれは必要じゃなかった。でも、マーリンはその幸せしか知らなかった。そんな二人だから、近づこうとするほど傷つけあっちまうのさ」

 ディアゴスティーノは母に何か言おうとしたが、男だらけの日常にいる彼には上手く言葉が出てこなかった。

「それにね、クロウだって難しい娘なんだよ。あの娘は繊細が過ぎるのさ。愛情を与えられれば必要以上に重く受け止てそれに反発しちまう。多分、あの娘にとっては愛情よりも憎しみを受ける方が楽なんだろうねぇ。だから、あの娘は自分でも知らず知らずのうちに孤独を選ぶのさ」

「めんどくせぇ女だな……。」

「でもね、ディエゴ。アンタは、せめてアンタだけはあの娘のことを気にかけてやっておくれよ」

「反発すんだろ、意味がねぇんじゃねえのかよ」

「あの娘のためだけじゃないさ、アンタのためでもあるんだ。普通に生きて普通に考えてる奴らがどうしようもないって見限っちまうような、そんな人や物事にでも、せめてこの世の誰かが一人でも気にかけてなきゃあいけないんだよ。そういうもんから誰もが目を背けちまった時に、世界はどこまでも残酷になれるんだ。それさえ皆が忘れなきゃあ……あんな戦争は起こらなかったのにね」

 ディアゴスティーノは母親ではなく、曇天を見上げた。

「これから時代はもっともっと変わっていくだろう。だからこそディエゴ、お前はそれを忘れちゃあいけないよ。アタシたちがアタシたちであるために」

 母の言うことをディアゴスティーノは完全に理解できているわけではなかった。しかし、それが忘れてはいけない、遺言にも似た重要なことなのだということはその時の彼にも分かった。


「……なぁ、お袋」

「なんだい?」

「フォードのジジイも言ってたんだけどよ、どうしてお袋は村長にならなかったんだ?」


 曇天に、メルセデスのゲンコツの音が響いた。


 頭を抑えディアゴスティーノが子供のように弱々しく叫ぶ。「いってぇ! 何すんだよ!?」

「アンタみたいに手のかかるガキ産んじまったからじゃないか!」

「なにぃ!?」

「ホントはねぇ! アタシだって四人くらいは欲しかったんだよ!? それなのにいきなりアンタみたいなのが出てくるから!」

「人をハズレくじみたく言うんじゃねぇよっ、グレるぞ!」

「もう十分にごんたくれちまってんのじゃないのさ!」


 そして再びゲンコツの音が曇天に響いた。

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