違和感

「来てらっしゃってたんですね。そうと知っていればおもてなしをしていたものを」

 男は薄くなった頭をオールバックで束ねていて、私の鼻にはそのポマードがきつかった。脱皮中の爬虫類のようにシミだらけの顔で笑顔を作り鼻をひん曲げている私を見て言う。「こちらの方は?」

「クロウ、と申します。彼女たちの友人ですよ」

「おおそうですか。もうお帰りに?」

「ええ、今日は様子を伺いに来ただけですから」とサマンサが言う。

「それはそれは」そして声を小さくして言う。とはいえ、他の人間が聞こうと思えば聞こえる程度のものだったが。「妹君の様子はどうでしたかな?」

「ええ、とても調子がよろしいようで。ドクターたちの気遣いのおかげですわ」

「そうですかそうですか」と小刻みに男は頷く。そして固めた頭を撫でながら、「妹君は基本的に良い方なのですが、やはり診察をしていると機嫌が悪くなりましてね。あまり治療に対して協力的ではありません」


 サマンサは困ったように肩をすくめた。「ドクター、ワタクシがここに望んでいるのは妹の安全を確保することですわ。治療などは結構です。あの子の事は時間にお任せします。神こそがあの子に適切な時に適切なものを与えるはずです。人の手はもう十分なのです」

 ドクターは頭を軽く振る。「しかし、私は医者であって聖職者ではありません。治療の兆しがあるのであれば、何とかしてやるのが医師としての宿命だと思っております」

「それは……。」

「妹君のようなは、恐らく男性に対する嫌悪感が原因である場合がありまして、私の知り合いに女性の医師がおりますから彼女のところに――」

「他の病院に移れということでしょうか?」

「あくまで提案ですよシスター。私も心苦しいのです。彼女への働きかけが一切通用しない。私といると、彼女はいつも心を閉ざしてしまうのです」柔和な顔で悲しげにドクターは訴えた。


「ドクター、私はあの子を病気だとは思っていません。ただ……たまたま愛した相手が普通ではなかっただけです」

 わざとらしい笑みを浮かべドクターが言う。「何と……シスターともあろう方が滅多なことを言うものではありません。貴女はご存知ないと思いますが、妹君の症状は間違いなく病気だと医学書にも記されております」

 昼間に男たちをのした修道女は、弱点を疲れたように弱々しい顔になった。

「シスター、貴女は聖典には通じているかもしれませんが、あくまで“馬は馬方”(専門家に任せよという意)。どうです、よろしければ奥で詳しい説明をさせていただきますが?」ドクターはサマンサの肩に手を起き、不快なほどに優しく囁きかける。なるほど、彼はの実演をやってくれているようだ。人の弱点に触れるとナニがおっ勃つという性癖の。


「医学書通りにことが運ぶんなら、そこの受付の女性に本を与えて仕事を任せればいいだろう。お前さんが必要かね?」

「何だね? 彼女らの友人だとうことだが、君のような者に何が分かる。見たところまともな仕事についていなさそうだな。幼女性愛、同性愛、君の生きている場所ではそういったことが珍しくないのだろう。だが、そんなゴロツキの世界観で世の中は回っているのではないのだよ」気分を害されたようだが、特に気にするでもないという具合に尊大に言う。

「寛大に迫ればこちらが物怖じすると思ったかい?童貞の強盗にナイフを突きつけられただけで失ってしまいそうな余裕だな。単純に自分の無力さを味わいたくないために、他の所に厄介払いをしたいってだけだろう」

「そんなことはない。私だって心苦しいのだ」

「金づるがいなくなるのがかね。お前さん、治療とか言っているがただ単に人を閉じ込めて薬やらなんやらで大人しくさせてるだけじゃないか?厄介払いで運んできた家族の罪悪感を治療という名目で誤魔化しているだけ、役人との違いは棍棒を使うかどうかさ」

「そんなヤクザな役人どもと一緒にするな」

「失礼な言い方じゃあないか。彼らだって誇りを持って仕事をしているんだぜ?そしてお前さんみたいな放漫な笑顔を絶やさないんだ」

「お前なんかに何が分かる。私のやっている仕事は社会を回すために必要なものなのだ」

「きょうび売春宿の女主人だってそう考えてるさ」

 シミだらけの顔が不健康に揺れた。「とっとと下水道に戻れドブネズミめ。不愉快だ」

「ああそうしよう、ドブ臭いあの愛しの我が家へね。そして夜な夜な自分の仕事を呪うようになったならお前さんのことを思い出すよ。世の中にはまだ下があるってね」

「貴様ぁっ」

「ドクター」と、サマンサが言う。「治療などは結構ですし、病院を移るつもりはございません。これまでどおり、あの子に危害が及ばないようにして頂ければ。その為にをお支払いしているはずです」

 ドクターは呻いて押し黙った。


 私たちが受付を出ると、山中だけあって空気は余計に広々として爽快だった。どうにもあの空間で私も刺々しくなっていたようだ。実際、タバサの言ったようにそうでなくてもあそこにずっといたら心を病んでしまうのかもしれない。


「……すまなかったねシスター、ちょいと感情的になってしまった。だがお前さんも何も言わなかったな?てっきり直ぐに止めに入るかと思ったよ」

「いいえ」サマンサは横目で私を見て悪意をほんのひと匙含めたように微笑んだ。「ワタクシも常々あの男はいけ好かないと思っておりましたから」

 私も声を出さずに笑った。


「ところで、これから一体どうしますの?手がかりが無いのではなくて?」

「そうだね、とりあえず闇市まで行ってみるよ。何か情報があるかもしれない」

「貴女何を仰って……タバサにも言っていたでしょう?他をあたると……。」


 私はこれから話すことの影響を心配しながら用心深く言う。

「シスター、妹さんは何かを隠しているよ。妹さんは何かを知っていて、それを探られないようにしている。だとしたら彼女が行かないようにアドバイスした闇市に何かがあると思った方がいいだろう」

「なぜそう思われますの?」

「彼女は私のことをディエゴの紹介で知ったと言った。だが、奴は私が以前タバサのことを聞いた時に身に覚えがないようだった。それに私は襲ってきたのはゴブリンだとは間違いなく言っていない。だが彼女は何故か襲ってきたのはゴブリンだと知っていたんだ」

「それは……イヴ様から聞いたのではないかしら?」

「それもあると思う。だが、それはいつのことだろうか?試練を終えて屋敷に戻ってきてすぐに彼は旅立ってしまったはずだし、それならそうと言ったんじゃあないかな?」

「それは……。」

「多分、二人は道中で連絡を取り合っていたんだと思う。伝書鳩かもしれないし、法術が達者だという彼が何らかのやり方でタバサに連絡をしていたのかも。そしてシスター、今回の件は振り返ると所々おかしなところがあった。そして今日、妹さんと話してその違和感のとっかかりが見えてき気がする」

「貴女の仰る今回の件とはイヴ様の失踪ということかしら?」

「違う、もっと前からさ。私がロラン、イヴと旅をしてた時からだ」

「……どういうことですの?」


「シスター、ゴブリンを雇ったのはタバサだよ」


 サマンサが目を見開いて言う。「そんな、なんと恐ろしいことを言うのですっ。どこにそんな証拠がっ」

「落ち着いてくれシスター。ゴブリンに関してだが、何故か奴らは私たちの行先を知っていたんだ。移動手段もないにもかかわらず、彼らは馬を使った私たちに追いすがってきた。それに、ゴブリンの追撃を知ったロランも様子が変だった。屋敷の他の奴らがけしかけているなら、彼はすぐにそのことを私に言ったんじゃないか?言わない理由は恐らく、彼にとっても意外すぎる、味方だと思っていた人間だからだ」

「でもそれは貴女の憶測でしょう?」

「その通り、だが消去法でいくとこれが一番説明がつく。外れているなら外れているでそれでいいんだ。だが当たっているならば、早く何とかしないと誰かが大きな不幸に見舞われる可能性がある。嫌な胸騒ぎがするんだ」


「お待ちなさいっ」

 私は正門の馬車まで向かおうとしたが、サマンサが声をかける。

「もし貴女の憶測があたっているとして、その時は妹をどうするのですか?」

「どうもしない。ただ、起こりうる不幸を回避できるよう最善を尽くすだけだ」

「役人でもない貴女に一体何ができるというんです?」

「シスター、確かに私は法を執行する役人ほどのことはできないし、聖職者のように神の加護を求めようにも、私が祈ったところで天に届きやしない。けれど、私のような者だからこそできることがあるし、やらなきゃあいけないことがあるんだ。それは誰もがどうでもいいと無視してしまうようなことで、消去法の果てにある、おおよそ社会では何も役には立たないことだ。でも誰かがたまに、それをなんとかしなきゃあいけない時がある。何とかしても、誰も感謝しないかもしれないがね。もちろん私の自己満足だと言ってしまえばそれだけかもしれない。結局のところ、私は自分のロマンティシズムにしか興味がないのだから」


「……存外、貴女が神の道を歩んでいたなら思いのほか善い修道女になったかもしれませんわね」呆れたのか感心したのか分からない表情でサマンサが言う。

「飲酒と喫煙に寛容な会派があれば、あるいはね」

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