Bonus track:Dead men tell tales,2‐1

                ※※※


――クロウがグリーンヒルを訪れる前日


 ヘルメス領バルトレー。このヘルメス領の中心地から離れた街の酒場には、役人の監視が厳しくないことから、様々な思惑を抱えた人間が集まっていた。堅気の人間の隣で、違法な薬物の取引をするヤクザがテーブルを囲む光景は、しかし戦後にはあちこちで見かけるものでもあった。

 

 そしてこの酒場のカウンターで一人の女が飲んでいた。金色がかった茶色の緩やかなリーゼントヘアが特徴的で、ダークブラウンのストライプシャツに深い茶色のネクタイを締め、その上にレザーのオールドベストを羽織り、さらにブラウンのロングコートで身を包んでいた。下はタイトなブラウンのパンツで足にはロングブーツを履いている。カウンターの上にあるテンガロンハットはそのリーゼントの上に乗せられていたもので、そのカウボーイのような格好から、酒場の人間はまじまじと見る必要もなく女がレンジャーなのだという事を知った。いつでもことのできる装いだからだ。だが武器が見当たらない。腰にも背中にも、剣や槍といった長物の得物がなかった。アグリコルの修道女のように体術を駆使しようにも、その体つきは街の女ほどではないが細身であり、男に対しては簡単に力負けをしてしまうだろう。レンジャーが標的にする相手ならばなおさらである。

 

 女は杯の葡萄酒に反射する自分を眺めながらも、意識はその後ろの乾いた血のような朱色のフードをかぶった男に対してあった。胸元にだけ当てられた軽鎧に酒場だというのにフードで口まで覆い隠しているその男もまた、自ら進んで店内の灯りが当たりづらい所を選び、ひとり影に身を包むようにして他の客とは違う雰囲気を醸し出していた。

 フードの男は同じテーブルで他の客と商談を交わしている白髪交じりの男に耳打ちをすると、席を立って店を後にした。男がスイングドア(胸の高さほどに有り前後どちらにでも開閉できる両開きの扉)を開いて出て行くと同時に女も立ち上がり店を出ていく。


 女が外に出ると既に男の姿はなかった。だが、女は迷うことなく建物の影にある暗闇へと向かった。まるで、待ち合わせの相手がそこにいるかのように。女が歩けば歩くほど闇は深くなっていく。建物の影を抜けると、女は打ち捨てられ廃墟となった精紡工場の密集地帯に出た。この工場地帯は戦後の経済成長の煽りで建てられたものだが、工場勤務をするための教育を受けていなかったこの地域の人々は、まともな働き手となることができずそのまま経営が立ち行かなくなり、次第に人々が離れ今では違法な売春婦が男を連れ込んだりゴロツキが裏切り者のリンチをするための場所になっていた。


――何の用だ


 いつの間に背後に回られたのだろうか。だが背後を取られたにもかかわらず、女の深い茶色の瞳には恐怖の色はなかった。

「……ディアジオだね」

「貴様は誰だ?」

「アタイはユーニ。アンタを狩るモノさ」

 背後の男・ディアジオは暗闇のように笑った。

「“業炎の隠者”も見くびられたものだな、こんな小娘に付け狙われるとは。貴様、酒場から殺気がダダ漏れだったぞ?とんだ素人だな」

 女も負けじと口角をつり上げて笑う。その笑みにも、恐怖の色は微塵も感じられない。「いんやぁ、別にアンタ相手に隠す必要もないと思っただけさ。わざわざ一人になってくれて、おあつらえ向きに踊り場まで用意してくれるなんてね。ずいぶんと気遣いのできる男じゃないのさ」

「踊り場?それは……」ディアジオは腰からダガーを抜き出し振りかかった。「墓場の間違いだろう!」

 ダガーが朱く光り炎を纏う。女・ユーニはそれを腕でガードする。刃物が金属がぶつかる鋭い音がした。

「何か腕に仕込んでるな!?」

 ユーニが破けたコートの袖をまくると、腕には鎖が巻かれていた。ユーニが腕を降り回すと鎖がはだけ、彼女の周囲に鎖の旋風が巻き起こりディアジオのフードとマスクを切り裂いた。ディアジオはバックステップを数回繰り返し距離を取る。


「鎖?それがお前の武器か?」

 ディアジオが頬を撫でると、うっすらと出血していた。

「珍しいだろう?」

 そう言うとユーニは体をくねらせ腕を振り回し、両腕に巻きついた鎖をほどいた。さらにユーニが踊るように体を回すと、鎖が彼女を纏うベールのように残像を作りながらしなった。


「ふん、大道芸か。そんなもので俺が倒せるとでも?」

「お代は見てのお帰りってねっ」

 噛み付くような笑顔とともにユーニは鎖を振り回す。彼女が両腕を交差させると、鎖の先の分銅がディアジオに襲い掛かった。だがディアジオは余裕でそれを躱す。ユーニは体勢を低くして両腕を開げ鎖への力加減を変えた。すると外れた分銅が今度は上空からディアジオに襲い掛かる。だが、それもまたディアジオは余裕で躱した。


 両腕を振り回し続け幾度も分銅の先でディアジオを狙うユーニだったが、いずれの攻撃もディアジオにとっては驚異とならなかった。ディアジオが前傾で走り込み一気に間合いを詰めた。炎を纏い、元の長さよりも小太刀くらいに伸びた短刀でディアジオが反撃する。ユーニはまだ腕に巻きついている鎖の残りで斬撃を防いだ。だが、金属と金属の衝撃は防げたものの、短刀の帯びた炎がユーニの腕の肉を焦がした。ユーニが低くうめく。


「やはり小娘の大道芸だな。貴様、働く場所を間違えたよ」

 ディアジオの短刀の炎がより一層赤く燃え盛る。ユーニの鎖さえも赤く熱され、持ち主にダメージを与え始めた。

「これは火山地帯の黒曜石より切り出した、炎の精霊サラマンドラの加護を受けた短刀だ。ただの武器では太刀打ちできんぞ」


「ぐぅっ」

 ユーニは空いている方の腕を振って空中で鎖の輪を作り、ディアジオの首に巻きつかせた。そしてその腕を引っ張り、巻き付けた鎖で首を締め上げようとする。

「小賢しい!」

 ディアジオはその鎖を掴んで振り回し、ユーニの体を逆に引っ張って持ち上げた。力負けな上に体重差のせいで軽くユーニの体は宙に浮き地面に転がされる。

 距離を取れたユーニは、再度鎖を振り回しディアジオを攻撃するが既に彼女の鎖は見切れらていた。


「馬鹿の一つ覚えか。お前の得物のタイプなど珍しくもない。見た目には派手だが、結局のところ腕の動きで攻撃の方向、勢いが簡単に読めるのだからな」

 ディアジオが両手で短刀を構えた。すると短刀の炎がより一層激しく燃え盛り、刀身はバスタードソード程に長くなった。そしてその炎の剣を振り回すと炎刃の残像は消えることなく、ディアジオを守るようにその場に留まった。その無数の炎刃を纏いながら再びユーニに斬りかかるディアジオ、ユーニはやはり鎖で防ごうとするが鎖で炎を防げるわけがなく、炎の刃でユーニの体は火傷と切り傷を増やしていく。


 壮絶なダメージで息を切らせていくユーニ、そんな彼女の様子を見てディアジオが言う。

「もう無駄だな。ここで焼けて朽ちて死ね。女といえど見逃すつもりはない」

「だろうさ。女子供もかまわず手にかけてきたクズ野郎なんだからね、アンタは」

「だからなんだと言うんだ。疫病貧困戦争、きまぐれに命が奪われることなど珍しいことでもない。新しい時代になりビジネスで奪われるという選択肢が増えただけだ」

「だったら今度はアンタの番だねっ」

 再び鎖を振り回すユーニ。

「くどい!」

 ディアジオが短剣で虚空に8の字を描くと、短剣は空中に留まっていた炎刃を吸収しさらに長くなった。ディアジオはその槍ほどに長くなった炎の剣を突き出す。炎刃はユーニの鎖をくぐり抜け彼女の腹を貫いた。

「あ……。」

 微かに呻いてユーニは倒れた。まだ辛うじて息はあったが、完全に動けないようだった。ディアジオが倒れた彼女にゆっくりと迫る。


「自分の力を過信したな、小娘」

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