盲の女

 翌日、私はヘルメスに戻る前にミセス・タイソンに旦那の無事を告げなければならなかった。仕事を受けたギルドの寄合所の受付で、夫婦の住所を確認する。


「……そういえば、依頼者のミセス・タイソンはめしいだと聞いた。どうやって依頼してきたんだい?」

 受付の短髪の女が昨晩やった酒が残っていそうな気だるい口調で言う。「あそこの息子が手ぇ引いてきたのさ」

「なるほど」

「で、旦那は見つかたのかい?」

「ああ」

「見つけたって言っても、本人いないんじゃあ報酬はあげられないかもよぉ」

「かもしれないな」

「それとも、ものが分かんない女だってのをいいことに適当な奴でっち上げて誤魔化すつもりじゃないだろうねぇ~」

 受付の女は語尾を伸ばしたまま息を吐き出すように笑った。

「まさか、お前さんの男とは違うよ」

 受付の女は「はぁ?」としばらく意味が分からない様子だったが、私が去るころに「何だよっ」とようやく怒りを見せた。


 戦時中に使用された、馬なしで走る鉄の戦車が放置されている場所の近くと聞いていたので、教えられた地区はすぐに見つかった。その戦車は箱のような形で、いくつもの車輪を鉄製のベルトで包み込んで走るようで、上に大砲の筒のようなものがついていた。今となっては、これがどう動いていたかは全くわからない。なのにその物々しい佇まいは、一度仕事を始めれば死を量産するであろうドス黒い陰で満ち溢れていた。

 その鉄の塊を通り過ぎた地区では、戦前から建てられた土壁でできたオンボロ長屋が向かい合って並んでいて、建物は貧相だったが、ここの住人達はそれに長年居ついたことで慣れているようで、生活の様子には悲壮感がなかった。むしろ長閑のどかですらある。私は家の外で洗濯をしている女に訊ねた。


「しつれい、ミセス。ここいらにタイソンという一家が住んでないかね?」

 初老の女性は洗濯板で衣類をこする手を止め、私を見上げてから私の身なりを観察し、「アル!お客さんだよ!」と、道の端でビー玉遊びをしている子供たちに向かって大声を上げた。子供の一人が振り向き、こちらに向かって走ってきた。

 それは利発そうな10歳くらいの少年だった。少年は体に合わない大人用のシャツを着ているため、走ってそれが肩からずり落ちてしまったので、それを戻しながら女に話しかける。

「なぁに、おばちゃん?」

「このおねえさんが、アンタがたに用だとよ」

「ふぅん」と、少年は利発さに加えて深い洞察力を持っていそうな淡く青い瞳で私を見てから、「ついて来なよっ」と小走りで先導していった。


 少年は私を区画の中でも、一際老朽化の激しい家へと案内した。暗い室内の臭いから一日中あまり陽が当たらないということがわかる。

「母ちゃんっ」と、少年は室内で縫い物をしている女性に声をかけた。

 女性は顔を上げると声のした方に顔を向け、上向き加減で薄目を開けて言う。「おや、アル? もう帰ってきたの? お友達と遊んでるんじゃなかった?」

「お客さんっ」

「……どなたでしょうか?」

 ミセス・タイソンが手探りで周囲を確認しようとすると、少年がすぐに母のところへ向かい杖を取り母の手伝いを始めた。

「ありがとう、アル」

 少年は布で母の顔を軽く拭い、母の手を引いて私のところへ無理なく引っ張る。まだ幼いが、その体に見合わない成熟を詰め込んだようにしっかりした少年だ。

「どなた……でしょうか?」私の位置が正確に把握できないミセス・タイソンは、私からややずれた方向に話しかける。


 ミセス・タイソンは盲人だったが、家族二人がそうでないためか、そうだと言われなければ一見してめしいだと分からない女性だった。きっと、いま少年がやったように、髪は他の家族が協力して櫛で解いたり服装に気を使ったりしているのだろう。若い頃は苦労したらしく、顔には年齢に見合わない皺が刻まれていたが、ここ最近は穏やかであるのか、表情の作りに丸みがあった。


「私はクロウ、ご依頼いただいていた、ご主人の捜索を請け負ったレンジャーです」

「ああ、そうでしたの。お世話様です。それで……主人は……。」

「ご無事です。ただ放免としての仕事で、役人について回って領外にも出かけているらしく、帰宅できないとのことです。そして……。」私は懐から、タイソンに渡された布地を出した。「これを渡すよう言伝ことづけされました」

 ミセス・タイソンはそれを取ると、縫い付けてある糸を指でなぞった。しばらくなぞり続けると、不安ばかりだった顔に安堵の色が見えた。

「まったくもう、あの人は……。」

「その糸がメッセージになってるのでしょうか?」

「ええ、めしい用の文字です。相変わらず誤字の多いこと……。」

 表情に落ち着きが出たので私は言う。「……差し出がましいようですが、旦那さんは放免として働いておられます。気苦労が絶えないことと思いますが、しかし今回のようなことを頻繁に気にしていたら、寿命がいくつあっても足りなくないのでは?」


 ミセス・タイソンは、少年に布地を渡して「外で遊んできなさい」と言い、少年が退室したことを音で確認してから話し始めた。「もちろん、私だっていつも彼の仕事の度に捜索を願い出ているわけではありません。ただ、今回は……何と申しますか、出かける前にいつもと様子が違っていたようでしたので……。」

「殺人事件を追っているとか」

「それは珍しいことではありません。こんな世の中です。死体はそこらじゅうにあるのでしょう。けれど私たち盲は、貴方がた目明きと違ったものが見えるのです」

 彼女に見えるはずもないが私は頷いた。

「最後に出ていくときに……あの人から、ただらない気配を感じました。それに……。」

「それに?」

「死臭が……。まるであの人を連れて行くような……。」

「……ミセス、私のような稼業の者にも特有の人を見る目があります。ご主人は放免としてかなり優秀な方のようだ。気休めかもしれませんが、彼ならば見事に事件を解決に導きこの家に帰ってくることでしょう」

 ミセス・タイソンは、私の方へ正確に顔を向け微笑んだ。

「……そういえば、報酬をお支払いしなければなりませんね。……アル!」

 母に呼ばれて少年が戻ってきた。

「なぁに?」

「この方にお金を……。」

「いえ、ミセス。お金はいただけません」

「あら、どうしてです」

「ごのような仕事で50ジルもいただくわけには……。」

「あら、もしかして貴女、憐れんでらっしゃるのですか?」ミセス・タイソンの声がほんの少し尖った。「人並みのものを対価として差し出すのは私たちの気位いです。同情は普段から十二分にご近所の方からいただいております。見ず知らずの貴女にまで施される必要はありません」

「そうではありません、ミセス。誤解があったようで。私は今回、ご主人を何としてでも連れて帰るべきだった。しかし急用ができてしまい、隣のヘルメスまで行かなければならなくなり、報告のみで済ますことにしたのです。ご主人もそれを望んでいましたし。しかしここに来て、貴女の不安を打ち消すのであれば多少の無理をさせてでも連れ戻すべきだったことが分かりました。つまり、私自身としても満足のいく仕事をやっていないのです。貴女に気位いがあるように私にもそれがあります。納得のいく仕事をしていない以上、報酬を受け取るわけにはいきません」


 ミセス・タイソンは神妙な面持ちで聞いていた。その後「分かりました。貴女の仰ることを信用しましょう。けれど、この言伝は間違いなく主人からのものです。何もお渡ししないというわけにはいきません……。」

「では、半額いただくことにしましょう」

 ミセス・タイソンは、では、と少年に部屋の奥から缶を持ってこさせ、今回の報酬の半分、50ジルを私に手渡した。

「ところで……。」私は財布にそれをしまいながら言う。「随分と簡単に私のことを信用してくれるのですね。どこの誰とも分からないはずですが……。」

「アルが信用するならば大丈夫でしょう。きっと神様は私から目を奪う代わりに、この子に人を見抜く目を与えてくださったのです」

 私は少年を見た。

「このおばさんは悪い人じゃないよっ」と、少年が言う。

「なるほど、目はお父さん譲りなのかもしれないな。彼も同じことを言っていたよ」

 だが、私のその言葉に二人は少し気まずそうな顔をした。ああ、なるほど。

「失礼、ではおいとまするとしよう」


 そうして私はヘルメスへと戻った。少年は、私の後ろ姿をしばらく見送っていてくれた。

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