タバサ・カイル

 元々ものが少ない生家はすぐに片付けが終わった。ホコリを掃き、雑巾をかけ、カーテンを閉め、また長いこと時間の止まる部屋の真ん中で、旅支度を終えた私は椅子に深くもたれ、市場で買った温かさの残るパンをかじっていた。

 湯が沸いたので、フィルタを被せたポットにお湯を注ぐと、カビ臭い部屋の臭いが蒸されたコーヒー豆のおかげで、趣深い木の温もりのある香りへと変わっていく。また長いこと留守にするのだから、出かける前はせめて人の生活していた場所として出ていかなければ、この家がかわいそうだ。

 コーヒーをカップに注ぎ鼻を近づけた後、カップをテーブルに戻す。胸いっぱいに香りを溜め込み、その香りと一緒に心も部屋の中を漂わせていると、私の耳が足音を捉えた。この家に近づく足音だった。

 目をつぶり、愉しんで使っていた鼻ではなく耳に意識を集中させる。歩幅からすると女、踏みしだかれる草の音から察するに、そこまで体は大きくない。まっすぐ向かってこないのは、この周辺を歩き慣れていないからか。敵意よりも、戸惑いのある足音だ。どれ……。


「開いているよっ」

 私が大声で言うと、草を思い切り踏みしだいて足音が止まった。それからしばらくしてその足音はドアに近き、三回ドアを叩いた。

「……どうぞっ」


 ドアを開いて出てきたのはエルフの若い娘だった。

 私たちはお互いに顔を見合わせた。女同士、お互いがお互いに無害だと分かっていた。あくまですぐにはという意味だが。なので変に探ることも構えることもなく、ただお互いを観察した。モップハットの下にある栗毛色の髪、紫色の大きい瞳から伸びるまつ毛、そして成人してはいるが幼さを残した頼りない顔つき、男が庇護したくて堪らなくなるような顔をした娘だ。だが、騎士がドラゴンに命懸けで挑んで救い出そうとするほどの美人ではない。動きやすい胸の開いたボディスとショートスカートから、ロランとは違う平民だということがわかる。初対面とは思うが、栗毛色の髪と紫の瞳には何か見覚えがあった。


「何の御用かな?お嬢さんフロイライン

 娘は部屋の中を見渡してから話す。「クロウ、という方を探しているのですが……。」

「それは私だよ。私がクロウ。因みに、クロウともクロウカラスとも綴りが違う」

「貴方が……。」

「そんなところで立っていないで、そちらに座ったらどうだい?」完全に害がないようなので、一口コーヒーを飲んでから私は手で正面に座るように促した。


 女は座ると、居心地が悪そうに何度も座り直し周囲をそれとなく確認していた。平民といえどエルフなので、こんな辺境のフェルプールの村の、さらに外れにある小屋など、人の住む所とも思えないのかもしれない。


「コーヒーは? 淹れたてですよ?」

「結構です」

 私は椅子に掛けてあった鞄から葡萄酒の入った革袋を取り出した。

「葡萄酒は?」

 娘はただ軽く首を振った。

「……貴女のような娘さんが私のような女に何か? 服の仕立てなら来るところを間違えているよ」

「いいえ、貴女の評判を聞いた上でのご依頼ですわ」 

 私は「評判」と、ただ繰り返して返事をした。

「ええ。貴女、かなり優れたレンジャーだと」

「恐ろしいものだね、エルフ界隈にも私の名前が広まったというのは」

「恐ろしい?」

「ええ、エルフが命を狙ったり狙われたり、汚いことに首を突っ込み自分の手を汚さずに事を成そうとしているということだ。世も末だ」

 娘は目を細めた。その冷たい眼差しはやはり見覚えのあるものだった。

「失礼だが、以前どこかで?」

「いいえ。例えあったならば、貴女のような女性、決して忘れないことでしょう」

「では初めまして。お名前をお伺いしましょう」

「私はタバサ・カイルです。ヘルメス侯の屋敷で侍女をしておりました」

「ああ、どうりで……。」

「どうりで?」

「あ~……つい最近、姉君にお会いした」

 それに、それ以上の事をロランから聞いていた。初めて会うのに、初対面という気がしないのはそこか。

「あらそうですの」

だったね」

「そうですの? 姉は何というか……気難しいところがあって、あまり人とは打ち解けないのですが」

「打ち解け合うというか打ち合ったというか……。」

「はい?」

「いや、こちらの話だ。それで、本日はどういったご用向きで?」

「ええ、その……人探しをお願いしたいのですが、こういうのも受けていただけるのかしら?」

「もちろん。ただ、せっかく話を頂いたのに何だが、エルフの娘さんがそういう依頼をするならば、別にここまで来る必要はなかったのでは?さっき言ったように、私に回ってくる話はあまりクリーンなものではないのが常なので」

「いえ、貴女が適任ですわ。その人物は貴女のよく知る方なのですから」

「ほう。……で、その探して欲しい人物というのは?」

「……イヴ・ヘルメス、ヘルメス侯の一人娘です」


 私は無言でタバサを見た。


「よくご存知でしょう?」

 含みを持たせた言い方だ。女同士の独特の察し合いと牽制で培った、死には至らない毒を盛ったような。

「……ええ。つまり、彼女が行方不明になったと」

「昨日の朝から屋敷にはいなかったそうです」

「しかし試練の期間はもっと長かった」

「それは……周知のことでしたし、何よりお供がいたではありませんか」と、タバサがやや強めに言う。


「また旅に出たという可能性は? どうやら、は父君と不仲だったようだ」

「部屋の荷物が一部無くなっていましたし、使用人に頼んで食料を用意していたらしいのですが……。」

「では一人で旅立ったんだろう」

「そんな、一人でだなんてっ」

 私は鞄から巻煙草を詰めた缶を取り出した。

「……吸ってもよろしいかな?」

「どうぞ、ここは貴女のお家でしょう」


 私は爪でマッチを擦って煙草に着火した。ゆっくり煙を吸いながら、この町娘さんにどういう言葉で説明しようか思案する。


「私よりもご存知だとは思うが、彼女は父君や世間との折り合いに苦しんでた。それで、どこか自分を受け入れてくれる、そういう場所や人を探す旅に出たのではないだろうか? 最後に彼女と飲んだ時にはそういう話も出たよ。男子三日会わざれば刮目かつもくして見よ、とは東方の言葉だが、彼女も今回の旅でずいぶん成長した。自分一人で旅に出ようという気が起きたのだろう」

「貴女の仰るように私は彼女のことを誰よりもよく知っています。だからこそ、私に何も言わずにいなくなるのはありえないんですっ」

「しかし、現に旅の支度をしていたようだ」

「何かの、間違いがあったんですっ」


 どうやら話しは平行線を辿りそうだ。何より、可愛らしいが布の端の糸のほつれのような危うい感情の話し方をする娘だ。うっかり引っ張るとバラバラになってのが面倒になるくらいの。


「……お引き取りいただこうか、美しいお嬢さんフロイライン」私は床板の節にある穴に煙草の灰を捨てて言った。「私を痴話喧嘩に駆り出そうというのはやめてくれ。あいにくしばらくは無駄な仕事をしなくて済む身なんでね」

「……何だか怪しいですね」

「……どういう意味だね?」

「もしかして、彼女がどこにいるのかご存知なんじゃあありませんこと?」

「……そうだね、知ってるよ」

「まぁ、やっぱりっ」

「これから私は旅に出る。そして彼女と落ち合うのさ。令嬢と無頼の女の駆け落ちのアバンチュール。そして辿り着いた誰も知らない土地で二人で末永く幸せに暮らすんだよ。尼僧のようにひっそりとね。これで満足かい」

「どうやら私、貴女のことが好きなれそうにありませんわ」

「それはお互い様だ」

 彼女はテーブルに置いた手提げを取ると立ち上がった。

「無駄な時間を過ごしました」

「それもお互い様だ」

 タバサは姉と同じように紫の冷たい目で私を睨んでからドアに向かって行った。

「そういえば、貴女に私のことを教えたのは誰だい?」

「……私の願いを一つも聞いてくださらない方の質問に答えるとでも?」

 そう言って彼女は出ていった。


 やれやれ、姉とは違うかたちで随分と気難しい娘のようだ。しかし一つ気になることがあった。今話した彼女は、ロランの話から想像していたのとは何かが違っている。“三日会わざれば”、ではない。元々別人だったかのような、そんな違いだった。

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