老賢者ディオール

 サマンサに連れられて訪れた霊廟は、墓というよりもいくつもの小部屋と階段のある、まるで屋敷のような建物だった。生活だってでききそうだ。外見は汚れているものの、内部の生活範囲の空間は掃除が行き届いていて、中を通される途中に棺桶と墓標がなければ、世を捨てた金持ちの別荘屋敷だと言われても気づかなかっただろう。とはいえ、老賢者の部屋に行くまでは、薄暗い中を並んでいるいかつい胸像たちに睨まれているようであまりいい心地がしなかったが。


 回廊のつきあたりに位置している、巨大な両開きの扉を前にしてサマンサが言う。

「ディオール様、お客様です」


 しばらく声がなかった。私がボソっと死んでるんじゃないよな? とロランに言いかける直前、「ヘルメスの者か?」と、扉を通しているはずなのに、まるで消えかけの蝋燭から出てきたような声が、しかししっかりと聞こえて来た。


「……はい」と、サマンサが答える。


「……通せ」


 男二人でもてこずりそうなほど重々しい扉を、サマンサは荷車を押すように体全体を使ってこじ開け、私たちを室内に招き入れた。

 室内では暗い色の観葉植物たちに囲まれた大きなベッドとロッキングチェア、小さな丸テーブルだけがあり、そのロッキングチェアに、生命が岩肌の苔よりも頼りなく体にこびりついている老人が膝に毛布をかけ座っていた。天窓から射す光がより彼を周囲の観葉植物と一体化しているように見せていた。

 毛布の上には水気と精気を失って久しいシミだらけの手が組まれて置かれていた。さじを持つのにだって苦労しそうな手だ。たが、そんな老人であってもさすがは賢者といったところか。それは遺跡の大神殿が、例え今は打ち捨てられていても、その建設には多くの知性と技術が費やされ、そしてかつては人々の崇拝のよりどころとされていたことがうかがい知れるように、そこには独特の荘厳そうごんで神秘的な存在感があった。その様は、この霊廟に宿る精霊のようですらあった。


「お久しぶりです、ディオール様」

 ロランが老人の前でうやうやしくひざまずき挨拶をする。


「……イヴか」老人は口をほとんど動かさずに言う。「何をしに来た……いや、皆まで言わずとも分かる。……私を連れ戻しに来たのだろう」

「……恐れながら」

 空虚でありながらも鋭い眼差しを向けられ、より一層ロランが小さくなる。


 老人はため息をついた。いや、うっかり呼吸をし忘れてしまい息が荒くなっただけかもしれない。そしてそのまま息を引き取ってもおかしくはないくらいの老人なのだ。


「父はディオール様に屋敷へ帰っていただくことを望んでおります。突然、貴方様が父の元を去られたことを大変気に病んでおりまして──」

「私は……もうこの世界のことに関わる気にはなれん……。」

 ロランは言葉を遮られたまま何も言わずに老賢者の言葉を聞く。

「……すべてが変わってしまった。国も、そこに生きる人間も……。『鉄の時代』、人々は今の時代をこう言う……意味は、分かるか?」

「鉄が産業を支えるかなめだということだと聞きました……。」

「今はな、戦争中は「鉄」は兵器を意味しておった。そしてあの戦争が起こる前の時代を『黄金時代』という。それは決して、黄金が豊富に採れていたというわけではない。それはあの時代には、まだ文化があり、そして信仰があり祈りがあったからだ。鉄以外の全てにも意味がある時代だった。しかし今はどうだ? 先人が積み上げてきたものを食いつぶしているだけ、例え新しいものが生み出されたとしてもやがて消えゆく流行はやりものばかり。すべてが数に変えられ社会が成り立っておる、人の命さえも素材のごとく換算してな。効率と利益と合理しか信じられん世界、それがあの戦争のもたらしたものだ……。」

 老人はやはり虚ろなままの瞳で、けれどその奥には果てしない憎悪を含んで話し続ける。きっと今の世の中のすべてが気に入らないのだろう。

「あの戦争は証明した。そうすることで、すべてを駆逐し勝利できると……。いや、あの男が、そうしたというべきか……。」

 この話の流れでといえばアイツのことしかない。


「そこの女、お主はどうやら雑種のようだな、もしかして……。」

「お察しの通りです。御老体」

「……そうか、これも何かの縁のようだな……。父親のことはどれほど?」

「私の産まれた時にはすでに……。」


 老賢者は深々と椅子に座り直すように体をうずめた。「不思議な男だった……。幾千の戦場を知りながら、しかしその実一度も戦場には立ったことのない男のようだった」

「戦場に立ったことがないというのは?」ロランが不思議そうに言う。

「……捕虜の血を見て卒倒しおったのだよ。……我々の見たこともない戦術と兵器を駆使しながら、血を見るのが苦手ときおった。それだけではない、あ奴は全てを知っておった」老人は遠い記憶を探りながら、その思い出の世界を今まさに見ているような口調で話す。「まるで、その結果を初めから知ってるような采配であった。敵や我々がそう動くことを既に見てきたような……。あ奴が指揮した戦場では、聖典の黙示録すらも描写しきれない事が起こった……。」老人は私たちを見た、さっきまでがらんどうだった瞳に中身があった。「血の雨が降り注いだのだよ……。どれほどの禁呪を使った戦でもあんなものは再現できない……。戦場だけではない。ただ話すだけでも、あ奴は既に終わったことをなぞるかのような、妙な自信を持ってそうしておった。誰もがあの男の話を聞かずにはおれず、また動かされずにはいられなかった。あの男は……何者だったのだろうか……。」

 老人は私たちがいるというのに、自分に問いかけ一人で頭を悩ませ始めていた。


「ディオール様、お茶をご用意いたしましょうか?」

 別の世界に行ってしまっている老人にサマンサが話しかける。老人は顎を微かに動かして返事をした。

「お二人は?」

「いただきます」ロランが言う。

 サマンサが出て行く際に「確か、貴女はジャム入りの紅茶がお好みでしたわね?」と言ったので、ストレートでと返した。サマンサが怪訝な顔をした。

「頭を打ってたのでね、適当にのさ」

 冷たい表情で彼女は出て行った。

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