妖しの森の魔女

 私たちが通されたのは、棚に薬草や書物がひしめき合っているものの、真ん中に丸テーブルと椅子の置かれた居間らしき部屋だった。異形の骨や人間の顔のような植物の真ん中に、艶やかな赤いドレスの女がいるのはとても奇妙だった。


「そこにお座りになって。今お茶を淹れますから」

 ロランはどうぞお構いなく、とテーブルについた。私は去っていった女の後姿をしばらく眺めた後、その隣に座った。

「ここは魔女の家なんだね……。」

「ああ……。」

 私たちはそれ以上は何も話さずに座っていた。


 ほどなくして女が盆にティーセットを乗せて運んで来た。別室で香水でも振り掛けたのだろうか、女の匂いは粘つくようにより強くなっていた。


「お口に合うかどうかわかりませんが……。」女は既にお茶の注がれたティーカップを私たちに配り始める。「私が調合したハーブです」

「素敵な香りですね」ロランがティーパーティーの始まりに相応しい上品な笑顔で応える。

「さあどうぞ、召し上がってください」女が席に着くとそう言って、自分のカップを取ろうとした。

「以前来た時と部屋の様子が変わっているようですね」私はカップに指をかけた状態で言う。

「ええ? そうですか? 私は最近弟子になったばかりで、あまり昔のことは……」女もカップを指にかけたまま言う。

「それは失礼。以前は無かったのですよ、あれは……何ですかね?」私はさも興味深そうに女の後方を見た。

「あれ、と申しますと?」女は振り向かず面倒さを表情に出した。

「牙……か何かかな?」ロランが私の視線を追って言う。

 ロランに微笑みかけ、女はカップを置いて真後ろを向いた。

「ああ、あれは竜の牙です。煎じて薬にするんですよ」

「ドラゴンってまだいるんですねぇ。けれど思ったより小さいな」ロランが目を輝かせる。

「ええ、あれはワイバーン……小柄な竜のものですから。とはいえ、人間よりも大きいので捕まえる際には数名のハンターが犠牲になったのですが……。」

 女はロランにまた微笑み、自分の説明に満足したようで再度カップを取った。

 私たちは「では、」と各々カップを口に運ぶ。


 数口飲んだ後、女は私を見ていた。

「何か?」

「いえ、フェルプールのお客様は珍しいので……。」女が困ったように言う。困っているのは表情で、実際は焦っているのだろうが。

「私がフェルプールに見えますか?」

「失礼、お師匠様から珍しいフェルプールの女性のお話を……。」


 そこまで言うと、女はロランのカップの異変に気づいた。ほとんど減っていないお茶を見て、改めて私を見る。すると突然、女が呻いて苦しみだした。

「あぁ……ぐ……お、お前!」

 女はテーブルに突っ伏した。余裕がなかったらしく、ティーセットが床にぶちまけられる。


「お師匠様は教えてくれなかったかね? その雑種は手癖が悪いって」

 私はテーブルを蹴って女の肋骨にめり込ませた。ぶっ!と女の肺から空気が漏れ出る。

「お前さんが後ろを向いている隙に取り替えたんだよ。それにしてもロラン、よく私の意図が分かったな」

「ぶぅえぇっ」ロランが口に含んでいたお茶を吐き出した。「たまたまだよ。君が取り替えたから何かあるのかと思って……ちょっと、やり過ぎだよ」

「こちとら殺されかけたんだ。やりすぎてもやりたりんよっ」

 私は今一度テーブルを蹴り込んで女の肋骨に押し込んだ。

「ぐぉう! あ、が……お、落ち着きなさいクロウ。単なる痺れ薬よ。新薬で……あ、あなたの鼻を誤魔化せるか試しただけ」女はガクガクに震えながら何とか言葉を発する。涎で唇が光り、余計に艶かしくなっていた。


「……婆さんか?」私は押し込んでいた足を離した。

「久しぶりね。インキュバスの、呪いを解いて以来かしら?」

 女は震える手で胸の谷間から錠剤を取り出し、必死の形相でそれを飲み込んだ。

「その節はどうも……しかし驚いたな、若返ったなんてレベルじゃないぞ?」

 しかし女は答えず伏せたままで、薬が回るのを待っているようだった。しばらくして息を切らせながらナプキンで口をぬぐった。

「まったく、相変わらず冗談の通じない女ね」

「毒を盛るってのが冗談かね? そのユーモアはちと理解できないね。どこかよそでやってくれ。だがいったいどうしたんだその姿は? 私の記憶ではお前さん、80を越えてそうな婆さんだったはずだが?」


 女が再度忌々しそうに口を拭ってから姿勢を正すと、彼女の体がほの暗い霧に包まれたようにぼやけ始めた。女の体は徐々に埃っぽくくすんでいき、ふっくらとした体の部位はドライフルーツのようにしぼんでいった。

「この姿なら見覚えあるでしょう?」


 そこに現れたのは私の見覚えのある老婆の姿だった。体中が萎んでしまったので、豊満な胸を覆っていた部分がスカスカになり、洗濯板のように胸骨の浮いた胸元とパン種みたく垂れ下がった乳房が剥き出しになっていた。

「汚いもの見せないでくれ……。」

 私とロランは目を逸らした。


 「ふんっ」と不機嫌に鼻で笑うと、老婆の体は今度は桃色の靄に包まれた。そしてその体は再び潤いを取り戻し始め、やがて元の妙齢の女に戻っていった。


「その時の気分で姿を変えてるの。以前あなたに会った時はたまたま今の姿だっただけよ」

「口調まで変わるんだな」

「知ってる? 精神は肉体の玩具に過ぎないのよ?」得意げに女は言う。

「どこの詐欺師の言葉かな」

 女はやれやれといった具合に首を傾ける。「で、今日は何のようなのかしら? こんな夜遅くに」

「力を借りたい。人を探してるんだが、お前さんの秘術で何とかならないだろうか?」

「あなた、私に何したかわかってる?」女の目が据わった。「あばらにひびが入ったかもしれないんだけれど?」

「何百年も生きてるんだ。骨折くらいなんだ」


 女の真っ赤な瞳が暗く光る。怪しげな唇からクソガキ、と悪態が漏れた。いよいよ娼婦っぽさに磨きが増す。

「おや、ガキっていうほど若く見てくれるのか。そいつは光栄だ。まぁ気を悪くしないでくれ、金に糸目はつけない」

「金? それこそ詐欺師の言葉ね」魔女は蝿を追っ払うように、鬱陶しそうに手を振った。「あんなただの金属片に、必要以上の価値を見て人は心を惑わせるのだから」

「そう言うと思ったよ。では何を差し出せば動いてくれるんだ?」

 女はそうねぇと呟くと、ロランを横目で誘惑するように見た。ロランが困ったように私を見る。


「このエルフの生き血をいただけないかしら? エルフの血は魔術にも秘薬の精製にも使えるから」

「え? ちょっと待ってくださいっ。そんな、困りますっ」

「落ち着くんだロラン。別に血を全部取ろうって訳じゃないんだ。……そうだろう?」私は魔女の方を伺いながら言う。

「そんなこと言ったって……」

「ささやかな程度よ。大丈夫、薬草も何から何まで揃ってるから、傷だってすぐに治せるわ」

「え~~」ロランは駄々っ子みたいな表情をし始めた。


「心配するなロラン。ほら、私のここを見てみろ」私は自分の手首を見せた。「以前、ここに深い切り傷を負ったんだが、彼女の薬のおかげで傷跡も残らなかったんだ」

 私が魔女を見ると魔女も突然思い出したように、「そうそう、あの時はざっくりいってたわよね。傷口がパクパク呼吸をしているみたいだったわぁ。でも今じゃあ跡形もない」と、横目でこちらを見ながら言った。


 まあ嘘なのだが。


「分かりました。本当に少しなんですよね?」

「もちろんよ」

「妙な動きがあったらすぐに私が止めさせるさ」

 私たちに促され、ロランはしぶしぶ血を抜くことを承諾してくれた。

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