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 そう、ぼくは肉を食べない。

 でもだからと言って菜食主義者と言うわけじゃない。主義だと言えるほどの意見や主張はぼくの中には存在しない。殺されてゆく動物たちのことを考えてみてもそれほどかわいそうだとは思わないし、別段健康のことを考えているわけでもない。世界の食糧事情だって別にどうなってしまおうとかまわないし、環境問題もそう、どうだっていい。もちろんそれらの全てにおいて悪くなるよりはよくなる方がいいとは思っているのだけれど、あくまでも思うだけだ。なんとなく思うだけ。進んで世界を変えようとは間違っても思わない。けど、だからと言ってそうしようと頑張っている人々を否定しているわけなんかでもない。むしろ尊敬していると言っていい。現にぼくは宮沢賢治のことを尊敬しているし、彼の菜食主義者にまつわる短編の『ビジテリアン大祭』が大好きだ。

 つまり、この世に生きている大部分の人間たちと同じような考えをぼくは持っている。と言うか同じように『持っていない』。その上で、単に肉を食べないだけだ。

 でも実を言うと、ときどきはちょっと食べる。そしてまあまあおいしいかな、と思ったりもする。少なくともまずいとは思わない。けれどもそれはバイト上での付き合いにおいてや、知らない間に食べている場合がほとんどで、決して自分から進んで食べようとは思わない。そう考えると、嫌いだからというよりも、興味がないという方に近いのかもしれない。

 そして同じような感覚で、ぼくは他のものもあまり食べない人間だったりする。一日に摂る食事はたいていの場合一回だけだし、これと言った好きな食べ物さえもがなかったりするほどだ。しいて言うならばアルコールとドラッグ全般くらいだろうか。ただしハッシシやマリファナをやってもそんなに食欲は湧かない方だって思う。そのときのルシたちはほとんどサイヤ人のごとくめちゃくちゃに食べるのだけど、ぼくだけはチーズかナッツなんかをちょっとつまむぐらいで、あとはひたすら酒を飲んで煙草を吸っていることが多いからだ。

 そのせいもあってか、ぼくは人よりもひどく痩せている。標準体重よりも優に十㎏は下回っている。でもだからと言って何も拒食症と言うわけではない。多分そこまではひどくない。なぜならぼくは、そういう人たちのように、食べるという行為に対してなんら罪悪感を覚えたりはしないし、痩せている自分に優越感を抱いたりするわけでもないからだ。要するに、ぼくは肉をはじめとした食べ物というもの自体に、さほどの興味を持てない人間なんだって思う。一言で言うと、食が細いのだ。一体なぜそんな風になってしまったのかは自分でもよくわからないのだけど、きっとそれは生まれ持ったぼくの性質なのだろうと自分では考えている。

 でもルシに言わせると、ぼくは立派な拒食症らしい。そしてその原因もちゃんとあって、それはどうも、ぼくがまだ赤ちゃんだった頃にあるという話だったりする。当時のぼくの母親かぼくに乳をあげていた人間が、心の中ないし無意識の領域において、まず間違いないレベルでぼくに乳をあげたくはなかったのだろうとルシは宣うのだ。ルシいわく、そういう気持ちは、言葉を知らない乳児だからこそしっかりと伝わってしまって、いついつまでも残ってしまうとのことだったから、ゆえにぼくは自ずと乳を飲まない赤ん坊になってしまい、結果今のような極端に偏った食生活になってしまったということだった。しかもそれはぼくの性格にも大きく影響しているらしく、ぼくの面倒なことを避けたり波風を立てないようにしようとする大本の性格も、実はその頃の記憶を基にして形成されているのだとルシは言った。

「お前はなコウヘイ、無意識が人よりも冷めてるんだよ」

 そんな風に言われてみると、確かに思い当たる節がないこともない。と言うのも実際にぼくは、家庭の問題で生後すぐに母親と引き離されて、別な女性に育てられたからだ。

 そのときその女性はまだ子供を産んだことがなかったから、ぼくは人工のミルクで育てられた。そしてぼくが三歳になった頃、彼女は自分で産んだ子供と共に、ぼくの前から姿を消した。その事実を考えると、確かに彼女はぼくを育てることが嫌だったと言えなくもない。可能性は充分に考えられる。とそうすると、まさにルシの言う通りということになる。自覚する記憶はないのだけど、きっとそこへさまざまな体験が因子となって絡み合い、肉に興味のない今のぼくが出来上がったに違いない。

 そう言えばそのとき、ルシは太一とツバサとミクのことも総じて分析してみせた。そしてそこへぼくを入れた四人の中で、一番に無意識が荒れている人間をずばりと断じてみせたのだけど、それは意外にも、ツバサという話だった。そして次に、と言っても同じくらいに荒れているのがミクで、そのミクと同程度に荒れている、と言うよりは冷めているのがぼくで、そして最も荒れていない、と言うかむしろ驚くほどに純粋なのが、太一なんだそうである。

 でも実際に三人の生い立ちを振り返ってみると、確かに頷けるところがあったりもする。なぜならばミクもぼくと同じで小さい頃に実の親──父親──と親の都合で引き離されていて、しかもそのあと義理の父親となった人物に、まだ中一だったとある晩にレイプされかかったことがあるらしく、翌日事実を泣きながら母親に打ち明けてみたところ、「どうせ色目を使って誘ったんだろう、でないとお前みたいな『不器量』な女が男に襲われるなんてことはありえない」とぴしゃりと言い返されたという苦すぎる過去を持っている。ツバサはツバサで、出身国の異なる両親──家の中では一切口を利かないにもかかわらず、外出時には引くぐらいに家族円満をアピールするらしい──によって常に『がんじがらめ』に育てられてきたらしく、太一は太一で、実を言うとあいつは孤児なんだとは言っても、それは何も捨てられたわけではなくて、五歳の頃に両親を交通事故でいっぺんに亡くしてしまったのだということだ。ただそれまではこの上なく愛されていたっぽい。とは言え彼の場合、その後預けられた親戚宅において、叩かれて両耳の鼓膜を破かれたり、煙草の火を背中に押し付けられたり、蹴られて睾丸を二つとも潰されてしまったり、あげくには聾者特有のしゃべり方とコーヒー色の肌が原因で、小学校で手ひどいいじめにあったりして結局グレるにはグレてしまったのだけど、正確に言うと変態になってしまったのだけど、根っこの部分では誰よりも純粋なんだという風にルシは分析していた。

 ただルシの生い立ちだけは、ぼくも含めて、全員がまったくと言っていいほどに知らないままだ。これはちょっと普通では信じられない話かもしれないけれど、ルシはぼくたちと出会う一年前の、まだ小六だった頃から既にアパートで一人暮らしをしていたらしいから、誰もルシの両親はただの一度も見たことがないし、彼らのことを訊いてみてもはぐらかすばかりで、まともに答えてくれたことがないからだ。でも、もしかしたら知らないのはぼく一人だけなのかもしれない。なぜなら二十歳になる頃まではいつだってみんなと一緒だったのだけど、それから最近になるまでの約八年間は、ルシたちとぼくは別々に過ごしてきたからだ。ちなみにミクとだけはプラス一年間ほど会っていない期間が長い。と言うのも彼女は高校を卒業後すぐにタトゥーショップで見習いとして働き始め、以来三年間ほどグループから疎遠になってしまっていたためだ。

 と、そんな風にルシは、ドラッグの売人なんかをやっているくせに、のみならずど派手な入れ墨だけじゃなくて、チタン合金まで腕に埋め込んでなんかいるくせに、もっと言うと裏モノJAPANを毎月欠かさずに読んでいたりなんかもするくせに、同じくらいの情熱でフロイトやユングや、ラカンの本を読むような男だったりもする。同じ人間がどうしてそれぞれ違う性格になってしまうのかということについて、独学で勉強をしているようだ。そしてその中でも特に最近は、一体どうして人は犯罪を犯してしまうのか、どうして人を殺してしまうのかということについて、やたらと研究熱心だったりするらしいのだ。

 その証拠というわけでもないのだけど、一時期のルシは、己に歳が近い人間や、いわゆる少年少女と呼ばれるハイティーンの人間たちが、殺人や傷害等の大きな事件を起こす度にTVの前に居座って、事件に関連するニュースやワイドショーを、もれなくチェックしていたことがあった。確かぼくと再会してすぐの頃だ──その頃、ちょうどそういう事件が多発していたということもある──ルシは対象の事件を扱っている民放各局プラスNHKの番組を全て録画して、事件の内容と状況から始め、犯人の供述、生い立ち、社会背景、更には番組の司会者の意見、ゲストで呼ばれた専門家の発言、コメンテーターのコメント、街の人々の声、そして番組の報道の仕方までをも隅から隅まで、あますところなくチェックしていた。ヘッドホンで全ての音声を拾い、こまめにメモを取りながら。だいたいそれが放送期間に合わせ、短いときで二日、長いときでは六日間ほど続いた。その間にぼく、ミク、ツバサのみならず、太一の意見さえも求められた。決してふざけているわけじゃなく、真剣に耳を傾けていた。

 新聞とかは読んだりしないの? ある日そうぼくが訊ねると、基本ネットとTVだけでわかるからな、とルシは答えた。ただ、読むときはスポーツ新聞を含めた全社のものに目を通す、それが条件だな、そう付け加えた。「でそれらを基に自分の経験を重ねてしつこく考えていけば、たいていのやつの気持ちはわかるんだ。少なくとも担当弁護士レベルくらいまでなら余裕でな。ま、何にせよ一番大事なのは情報よりも、理解しようっていう気持ちだろうな」

 だからルシに言わせると、犯行の動機が理解できなかったその手の犯罪は、今までに一つもないと言っていた。それが一見、たとえどんなに不可解で理不尽に思える事件だったとしても、そういう風にしつこく考えていけば──犯人が脳に先天的な疾患を持ってでもいない限り──なぜそんな事件を起こしてしまったのかという原因らしきものに、ちゃんと辿り着くことができるらしい。そう言えばルシはそのときに、こんなことも言っていた。

「つまりひっくり返して言えばよ、たとえば何か一つの犯行が起こったとするだろ? そしたらその動機の動機みたいなもんが、どっかには必ずあるっていうことになるんだ。まあ当然って言えば当然のことなんだけどな。なのになぜかみんなそれを探ろうとしないときてる」

 でも、いつからかルシはそうした独自のリサーチを止めてしまった。少年や少女による殺人事件が起こっても、関連した番組を見るには見るのだけど、前ほど熱心には見なくなった。まったく見ずに、ネットの見出しだけで済ませてしまうこともあった。その理由を一度訊いてみたことがある。最近はあんまり気合入れて見ないんだね、と。

 『あいつ』の心理はだいたいわかったからな、と言うのがルシの答えだった。あいつ? とぼくは訊き返したけれど、すぐにルシは、悪い、あいつらの間違いだ、と訂正した。

 あともう一つの方の答えは、ニュースやワイドショーを真剣に見ていると無性に腹が立ってくるから、というものだった。と言うのもTVに出てくるほとんどの人間は、自分だけは犯人のようにはなりえないと考えているようにしか見えなから、ということらしい。やつらの『うぬぼれ』には耐えられねえ、ぶち殺してやりたくなる、とルシは比喩ではなく実際に吐き捨てた。じゃあ専門家って人たちは? 続けてぼくが訊くと、あいつらも例外じゃない、とルシは言い放った。あのしたり顔のおっさんおばはんどもは、容疑者の犯行前後の心理を探ることには長けてるが、根本の心理には決して目を向けようとしないんだ、それじゃあなんの解決にもならない、あれぐらいのことだったらおれにでも言える。あいつらは自分の社会的立場を利用して、小銭を稼いでるだけのペテン師に過ぎない。

 ルシほど苛烈ではなかったものの、実を言うと日頃からぼくも似たような考えを抱いていたという事実も手伝って、その後二人してマスコミの事件の報道の仕方を、これでもか、と糞ミソに罵ることになった。そして最後にそんな自分たちを糞ミソに集る蠅──最終的に翅をむしられた銀蠅に落ち着いた──に例えて自虐的に締めくくったあとで、ってことはじゃあさ、ルシやぼくにも、そうなる可能性があるってこと? あの犯人たちみたいになる、とぼくが訊くと、ルシはじっとぼくの目を見つめながら、お前はどう思うんだコウヘイ、と逆に訊き返してきた。

「ぼく? んー、まあ可能性はあるかな。そうなる。ぼくはね」

「『違う、誰にでもあるんだよ』」とすぐさま強い口調でルシは訂正した。「可能性という意味じゃな。ゼロはありえない。だからやつらの言うことを聞いてるとむかっ腹が立ってくるんだ。てめえらのことは完全に棚に上げてるからな」

「でもさ、あの人たちが言ってることにも、一理はあるんじゃないの?」

 否定された反動も手伝ってぼくが言うと、ルシは片眉を吊り上げた。「どういうことだ?」

「え、どういうことも何も、ルシの言うそのうぬぼれで言ったら、それは事件を起こした人間に、一番言えることなんじゃないの? だって人を殺しちゃうんだからさ。まあ個人的な怨恨とかでならまだわかるんだけど、でも、最近は関係ない人を殺しちゃう事件も多いじゃん、通り魔的なさ。それがうぬぼれじゃなくて、一体なんだって言うの?」

 ルシは何も答えなかったから、ぼくは自分の意見を言い切ることにした。「だからあのTVに出てくる人たちは、そういう風に考えて犯人のことを責めるんじゃないの? どうしてお前には人の気持ちがわからないんだ。どうして我々は我慢してるのに、お前にはできないんだって。お前だってそんな風に見ず知らずの人間に殺されたりなんかしたら嫌だろう? たまんないだろう? 自分がやられて嫌なことは他人にもしちゃいけない、それが世の中のルールってもんだろう? だから人生が嫌になって破滅したいなら、他人を巻き添えになんてしないで、一人で勝手に死んでくれよって考えてさ。それって実は、絶対に崩すことのできない正論なんじゃないの?」

「お前はどう思うんだ?」

 ぼくを見るルシの瞳の奥底には、驚きと悲しみの色が見て取れた。「やっぱり、そういう風に思ってるのか?」

「どうだろ」目を逸らしてぼくは言った。「だいたいは思ってると思うんだけど、だからってごり押しするまではなれないって感じかな、あの人たちみたいには」

 それは正直な意見だった。そうか、とルシは言った。

「もしかしてぼく、なんかずれたこと言っちゃった?」不安になってぼくは訊ねた。

「いや」ルシは言った。「正解なんてものは、結局は誰にもわからないんだしな」

「何その言い方」ぼくは言った。「じゃあルシはどう思うわけ? 聞きたいんだけど」

「聞いてどうする」

「それは聞いてから考えるよ」

「言いたくはないと言ったら?」

「それは駄目。ずるいから。ぼくだって言ったんだから、ルシだってちゃんと言ってよ」

 軽くため息をついたあとに、おれはおれの意見を言うだけであって、決してお前に喧嘩を吹っかけたりしたいわけじゃないからな、と前置きを一つしたあとで、ルシは自分の考えを話し始めた。詳細まで思い出すことはもうできないけれど、大筋はちゃんと憶えていて、それはつまり、こういうことだった。被害者側と加害者側の立場をきちんと『区別』して、その二つの方向から『同じ規模』だけ該当する事件について考えること。そうしないとただの感情論になってしまって本質になんて迫れないし、ましてや解決もできないということ。結果だけに目を奪われないように注意しつつ、あくまでも過程に目を向けるように気を付けること。そういうことを、ルシは一本道や怪物の尻尾などといった、独特な例えを駆使して話してくれた。そして最後に、TVに出てくる人間たちのように考えてしまうこと自体が、それらのことを実行できていない証拠なのだと言って締めくくった。

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