第100話

  六

 大極殿に向かう義明の足取りは重い。

 できることなら、時姫の息子の時太郎を捕えてから〈御門〉には面会したかった。今、上総ノ介が大勢力でもって御所に圧力を懸け、公卿の特権である〈御門〉への面会を無理やり勝ち取ろうとなど、言上するのは義明にとって自殺行為としか思えない。

 それでも程なく、義明はいつもの〈御門〉との面会に使う部屋に来ていた。部屋の中はしん、と静まり返り、無闇に広い。

 中央近くに膝を折って座り込むと、すぐ〈御門〉の詰問が頭の中に響く。

 ──!

 はっ、と義明は額を床に摩り付けた。〈御門〉の言葉は、はっきりしたものではない。むしろ連想に近い。その連想から義明は〈御門〉の質問を推測するのである。

「聞こえ」の力を持つ信太一族なら、まとまった言葉として〈御門〉の言葉を聞き取ることができる。だが、ただの公卿である義明には、これが精一杯のところだ。

 がくがくと震えながら義明は言葉を押し出した。

「た、唯今、緒方上総ノ介が多数の二輪車、および浮かぶ城にて、御所に攻め寄せ来たっております! 上総ノ介は我ら公卿のみが有する〈御門〉との直接の面会を求めております。このままでは我ら、上総ノ介の要求を受け入れるしかありませぬ! ど、どうか〈御門〉には、よろしくご賢察のほどを……」

 ──&%$#*¥!

〈御門〉の凄まじい怒りが押し寄せ、義明は床に腹這いになった。義明の脳に電流のような衝撃が爆発する。

〈御門〉との謁見は、並みの人間である公卿にとっては地獄の責め苦に等しい。驚愕に、義明は顔を上げた。

「なんと仰せです? 〈御門〉おん自ら、お出ましにならると仰るので……」

 義明は、おろおろと立ち上がった。

 信じられない思いに、口がぽかんと開いていた。

「〈御門〉が外へ出る……まさか! いったい、何が起きたというのだ……?」

 転がるように大極殿から廊下へ飛び出した。

 ごごごご……と、御所全体が揺れている。

 みしみしと柱が軋み、がらがらと大極殿の大屋根から屋根瓦が雪崩れ落ちていく。

 ゆっさ、ゆっさと地面が波立った。

 大屋根を仰いだ義明は言葉を失った。大極殿の大屋根の向こう、聳え立つ〈御舟〉から、ゆらりと黒い影が立ち上る。

「あ、あれが〈御門〉の正体だというのか? し、信じられぬ……!」

 呆然と目を瞠っている義明に声を掛けた者があった。

「あれは、何だ?」

「み、〈御門〉さまじゃ……おん自ら、外へお出ましになったのじゃ……」

 答えて義明は「えっ」と振り返った。

 そこに三人の人影があった。一人は目元に痣が浮かぶ少年、一人は少女、三人目はからす天狗。

「そちらは?」

 少年は大きく頷いた。

「おれは、時太郎。河童淵の時太郎!」

 義明は叫んだ。

「お前が時太郎?」

 あれほど待ち望んだ相手が、いざ出し抜けに現れるという驚きに、義明の思考は停止してしまった。

「な、何をしに現れた?」

 我ながら間抜けな質問だと思う。時太郎は一つ頷き答える。

「おれは、母さんに会いに来た。案内してくれ」

 義明はきょときょとと辺りを見回した。助けを呼ぼうとしたのだが、どうした訳か、いつもは至る所どこにでもうろうろしている検非違使の姿が、一人も見当たらない。

 義明は時太郎という少年を見つめた。なぜだか、じわりと背筋に寒気が這い登る。

 まるで〈御門〉と対峙しているような気分であった。

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