第97話

  三

 吉村啓介中佐は「南蛮茶店」の二階で唇を噛みしめた。

「なんたる事態だ! このような重大な危険をなぜ今まで見過ごしていたのだ?」

 中佐の側で松田玲子大尉も顔を青ざめさせていた。

「判りません。まったくの怠慢としか言いようがありません。これは、現地人政府への干渉などという問題は霞んでしまうほどの危機ですね!」

 中佐は頷き、両手を組み合わせた。

 机の上には立体画像ホログラフィーでこの星系の全体を示す概念図が投影されている。中佐は手元の操作盤コンソールを使って、そのうちの第四惑星を拡大投影クローズ・アップさせた。

 地球型の惑星に、双つの月が回っている。一つは大きく、一つは小さい。大きいほうがゆっくりと遠方を周回し、小さいほうは低い軌道を素早く動く。

 今や、双つの月は「合」の位置にあった。中佐は時間軸を操作し、今から数時間後の双つの月の位置を呼び出した。

 小さい月は大きな月へと接近し、大きな月の潮汐力でばらばらに分解され、衝突しつつあった。

 双つの月は、衝突した!

 小さな月に衝突された大きな月は、本来の軌道を変え、惑星から急角度で離れていく。その軌道は双曲線を描き、二度と元の場所へは戻らない。

「この星は、月を失う運命にある……」

 中佐は悲痛な声を上げた。

「そうなると、どうなります?」

 大尉の質問に中佐はじっと映像に見入って答えた。

「この星は公転面に対し、十七・五度ほど傾いた自転をしている。この自転軸は安定だが、それは、あの月が星のふらつきを吸収していたからだ。要するに地球の月と同じ役割を果たしていたのだ。もし存在しなくなると、数十年、いやもっと早い段階で自転軸の逆転、および横転が起こってしまうかもしれない。温帯が熱帯や、寒帯になり、また、その逆もありうる。つまり気候の激変が考えられる。この星の生態系のほとんどが打撃を受けるだろう」

 大尉は首をかしげた。

「なぜ、このように不安定なのです?」

「もともと、あの月は、この惑星の周囲を回っていなかったからだよ。この星に殖民された当初、外惑星の木星型惑星から衛星を運び、この世界の軌道に強引に乗せたのだ。自転軸を安定させるためにな。小さな月……藍月というそうだが……は大きな月、紅月の軌道を安定させるためにあの位置に置かれた。が、最初の計算がうまくいかなかったのか、現在このような状況にある」

「状況の打開策は?」

 真剣な大尉の表情に、中佐は頷いた。

「一つ、ある! もともと月は、この惑星に到来した殖民船の重力制御装置により移動した。だから──」

「そうか! 殖民船を再起動すれば!」

 表情を明るくした大尉に対し、中佐は首を振った。

「そうはいかん。殖民船──〈御舟〉──は〈御門〉の制御下にある。〈御門〉がこの危機を認識しなければ、どうにもならん」

「どういうことです? なぜ〈御門〉が認識しなければ、と仰るのです。いったい、〈御門〉とは、何者なのです?」

 中佐の口調が苦々しいものになった。

「連絡がとれんのだ! 何度もわたしは御所の〈御門〉に、この状況を伝えるよう要請したのだ。ところが、あの連中〈御門〉に奏上できるのは公卿の特権と言い張って、連絡をとってくれんのだ! 〈御門〉については、前任者も首を捻っていたな。ただ一人の意思決定者なのか、あるいは多人数の意思決定機関があるのか、謎だ。しかし、このままでは……」

 大尉は暗い顔で頷いた。

「ええ、大変な惨事カタストロフィになります」

 大尉と中佐は絶望的な視線を交し合っていた。

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