第67話

  七

 翔一の箸が止まらない。

 食べても食べても、底なしの食欲が湧いてくるようで、翔一は目の前の料理を口に運んでいた。

 箸を動かしているのは翔一が、たった一人だけである。狸姫と、その他の狸たちは、そんな翔一をじっと見つめている。

 ふと翔一は食べるのをやめ、顔を上げた。見つめている狸姫の視線が気になってどうにも居心地が悪い。

 ふっと翔一は照れ笑いを浮かべた。

「どうしたのです? 姫さまは、あまり召し上がらないようですが?」

 くっくっと狸姫は口に手をやり、笑いをこらえる。

「まあ、まるっきり先ほどの、わたくしの台詞ではありませぬか! それにしても翔一殿、よくお食べになられましたね」

 翔一は恥ずかしくなった。

「はあ、虫料理が、このように旨いものだとは知りませんでした。すっかり、ご馳走になって……」

 と、翔一の手から、ぽとりと箸が落ちた。

 狸姫は翔一の顔を窺うような目つきになった。

「どうしたのですか、翔一殿。ご気分はいかがです?」

「い、いえ……ちょっとばかり……」

 言いかけた翔一は、がたがたと震え出していた。戦慄が背筋から首筋へと駆け上る。

 まるで着物の背中に氷柱を入れられたように寒気がへばりついていた。

「う、う、う……!」

 翔一は自分の身体を抱きしめるように両腕を胸の前で重ねた。狸姫が声を掛ける。

「寒いのですか?」

 頷こうとした翔一は、目を大きく見開いた。

 今度は体の芯から熱いものが、ぐわんぐわんと込み上げてくる。かっ、とばかりに灼熱の炎が、翔一の胃の腑を焼き焦がそうとしているようだ。

「あ、熱い!」

 悲鳴を上げた。狸姫は頷いた。

「今度は、熱いと申されるのですね」

 まわりの狸たちと示し合わせるように頷きあう。

「こ、これは……?」

 翔一は、どた、と横倒しに倒れこんだ。とても真っ直ぐ座ってはいられない。床に顔をすりつけるようにして、翔一の身体は勝手に痙攣を始めていた。

「た、助けて……わたしは、どうなったのです……?」

 すっ、と狸姫は立ち上がり、近寄ると翔一の顔を覗きこんだ。その表情は不気味なほど静かで、冷静だ。

 どくん、どくんと翔一の心臓は早鐘のように鼓動している。全身の血流が逆流するかのような感覚に、翔一は恐怖に駆られていた。

 どっと翔一の全身から滝のような汗が噴き出した。

「姫さま! わたくしに何を……まさか、これは毒?」

 狸姫はゆっくりと首を振った。

「まさか、婿殿にそのようなものを振舞うはずがありませぬ。唯ちょっと、お召し上がりになった料理に少うしばかり、男女の睦みごとに効き目のある、西地那非シルデナフィル、別名を威而鋼バイアグラと申す薬物を入れただけ……思ったより効き目があったようですね」

 むぅふふふ……。

 狸姫の笑い声が聞こえている。

 その声を耳にしながら、翔一の意識は遠ざかっていった。

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