第64話

  四

 遠くから、狸の腹鼓が聞こえてくる。

 時太郎とお花、芝右衛門と刑部狸たちは、宴会場から離れた別室で向かい合っていた。

 刑部狸は巨大な身体を持て余すようにして、どてっ、と座り込んでいる。股座またぐらから、八畳敷きの睾丸を広げて、座布団の替わりにしていた。

「まったく、我が娘ながら、何を考えておるのか、さっぱり判らん! 選りに選って烏天狗を婿にするとはな!」

 苦々しげに呟いた。

 芝右衛門は、困惑した表情で刑部狸を見上げた。

「いかがいたしましょう? このまま宴会を続けましょうか?」

 じろり、と刑部狸は芝右衛門を見つめた。

「お前、どう思うのだ。烏天狗が我が娘の婿に相応ふさわしいか! どうなのだ!」

「そ、それは……なんとも申し上げかねます。拙者も姫さまの気紛れには……」

「ふん」と、刑部狸は鼻を鳴らした。

「まあ、よい。あれのやりたいようにやらせてやれ! どうせ気紛れだ。いずれ烏天狗など、婿にはならぬと観念するだろう。婿探しは、その時になって改めてすればよい」

「それは、困るわ!」

 お花が叫んだ。

「あたしたち、京の都に着かなければならないのよ! こんなところで足止めを食っているわけにはいかないわ!」

 刑部狸は首を振った。

「おぬしらの都合など、知らぬ! 婚儀はすでに始まっておる。ともかく、姫が諦めるまで、烏天狗の翔一とやらは、ここに留まって貰う」

「そんな、勝手な……」

 時太郎も呆れていた。

「それじゃ、姫さまが翔一に飽きるまで、ってことかい? 馬鹿にしてらあ!」

 芝右衛門は慌てた。

「これ、そのような無礼な物言い、ちと身分をわきまえんか」

 刑部狸は芝右衛門を押さえた。

「待て。その小僧の言うことももっともである。確かに姫の気紛れは、わしも手に負えぬ。だが、問題は婿殿が来ぬ、ということだ。つまりは、婿殿がこの狸御殿に来て、姫との婚儀を滞りなく行えばよいのだ」

 時太郎とお花は顔を見合わせた。

「それじゃ、婿殿を連れてくればいいんだな? そういうことか?」

 芝右衛門が眉を寄せた。

「おぬし、何を言い出すのじゃ?」

「おれが姫さまの婿殿を連れてくるって、ことさ! 狸穴に出かけて、連れてくる!」

 刑部狸は、にやりと笑った。

「よくぞ申した! 時太郎とやら、おぬし狸穴に向かい、なんとしても婿殿を連れ帰ってこい! それなら翔一とやらも、おぬしらの旅を続けることができるであろう」

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