第286話サヨナラの言葉
「滅茶、話しづらい雰囲気作られてもうたんやけど……」
といつものように笑顔で千龍さんが口を開いた。少しその一言で音楽室に笑いが戻った。
「バサや彩音の言う通り、器楽部の皆さんには感謝しかありません。僕も三年生になってから器楽部を立ち上げるなんて夢にも思っていませんでした。美奈子先生からその話を聞いた時は『マジか!』と驚きました」
その時、石橋さんが
「いつもは美奈子ちゃんって言うとんとちゃうんかぁ!?」
と叫んだ。
「いや……それは」
と千龍さんが焦ったが
「それは知ってるぞ」
と美奈子先生が太めの声で応えた。
千龍さんは一度息を吸い込むと観念したような表情を作り、それからおもむろに
「その美奈子ちゃんがねぇ、『器楽部作る』って言ったのよぉ」
と変に甘えたオネエ声で言った。
部室には笑い声が満ちた。
千龍さんは美奈子先生の姿が見えない時は、いつも親しみと愛情を込めて『美奈子ちゃん』と呼んでいた。それは部員なら誰でもが知っている公然の事実だった。
まさか先生本人にまでバレていたとは思わなかったが……。
美奈子先生は苦笑しながら隣の谷端先生と何か言葉を交わしていた。
千龍さんは軽く咳払いをしてから話を続けた。
「美奈子ちゃんに『器楽部を作るから』と言われた時は疑心暗鬼やったけど、ホンマに例の三人が美奈子ちゃんと音楽室で僕らを待っているのを見た時はメッチャ嬉しかった。これだけでも充分なのに、あとから来てくれた二年生と一年生。ホンマに、よぉ来てくれたわ。感謝しかあらへん。それとここにはおらへんけど吹部のメンバーと谷端先生ありがとうございました。まさかこの学校でオーケストラがやれるとは思いもしませんでした」
と言って千龍さんは谷端先生に頭を下げた。
谷端先生は片手を挙げて笑顔で返した。
「今日で三年生はホンマに引退やけど、始まるのが遅かった分最後まで粘らせてもろてありがとう。皆さんのお陰で気持ちよくこんな時期まで居座る事が出来ました。卒業しても演奏会とか定期公演なんかは顔を出します。その時にまたみんなに会える事を楽しみにしています。
器楽部は吹部と違ってコンクールなんてものは縁が遠いんやけど、その分本当に音楽を、演奏を楽しめる部活やと思う。だからここに入って初めて弦楽器に触れた一年生はじっくりと基礎を学びながら楽しんで欲しい。
縁が遠いと言ったけど、昨年は藤崎・鈴原・結城・立花はコンクールに出て優秀な成績を納めました。そんな先輩が今度は最上級生としてこの部にいます。彼ら彼女らから教わる事ができる皆さん、本当に幸運だと思います。どんどん教わって下さい。
そして今年も、瑞穂と冴子はコンクールに出るでしょう。皆さん応援してあげて下さい。蚤の心臓のアニオタの事は知りませんが、出るようであれば適当に応援してあげて下さい」
しんみりとしていた音楽室に少し笑いが戻った。いつもはひとことふたこと位で話を終わらせる千龍さんにしては長い話だ。でも、何故かもっと聞いていたいと思っていた。
「それと最後に……この器楽部は自由奔放にして和気あいあいな本当にいい部活だと思います。これからこの器楽部はそう言う『音楽を純粋に楽しむ』伝統をドンドン作っていって欲しいです。それは皆さんにかかっています。楽しみにしています」
千龍さんはそう言うと一歩後ろに下がった。
そして三人一列に並んでから
「本当にありがとうございました」
と三人同時に頭を下げた。
僕たちはそれに笑顔と拍手と涙で応えた。
僕達こそよくぞ器楽部を作ってくれたと、誘ってくれたと感謝の言葉を述べたいぐらいだ。ピアノしか頭に無かった僕に、もう一度音楽と言うものをじっくりと考える時間をくれた先輩達には感謝しかない。
もうこの先輩達と会えなくなると思うと、とても寂しかったしやり残した感が中途半端ではなかった。
千龍さんの言う通り本当にこの器楽部は自由で気ままで、それでいてまとまりのある良い部活だと思う。
だからこの人たちと一緒に創った器楽部を、もっといい部にしたいとも思った。
音楽室を出て行く先輩たちを部員全員で見送りながら、僕は心の中で「ありがとうございました」と呟いた。
僕たちがこれからこの部を引っ張っていく責任を感じながら。
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