33.取引と契約
「というわけで、資金援助をお願いしに伺いました」
「難しい話は抜きだ、ナヴァルディアのお嬢さん。我々は対価として何を貰えるのかな?」
宝石のたくさんついたネックレスを身につけた、背の高いジダーン人商人組合の親方が尋ねた。
「今後一年間、紅茶を含む全ての商品の買い取り価格を二パーセント値上げします」
「十年だ」
うわっ、とスーザンは苦笑いした。
この親父、どでかく出やがって。価格でなく年数で来たか。十年は流石にねぇだろうが。
「一年半」
「八年」
あ、膠着する。
「二年。これ以上は、どうか」
「五年だ」
「……二年です」
「五年だな」
「……」
「……交渉決裂かな?」
「お待ち下さい。……ロイヤーさん」
スーザンが振り返ると、ロイヤーは、やれやれ、と言った様子で歩み出た。
「ごきげんよう。私の名はアーニャ・ロイヤー。私はソルラント王アルト・フェリクス・ヴァイスフリューク様より遣わされた勅使です」
これには親方も目を見開いた。
「ソルラント王家……!? あそこは断絶したと聞いたぞ」
「それは誤報です。私は陛下直筆のサインも持ってきています」
「確かに……いや、待ってくれ。他国の王族に関わるのはまずい。うちの王様に睨まれちまう」
やべ、とスーザンは臍をかんだ。
このタイミングでロイヤーを出したのは悪手だったか。
しかしロイヤーは冷静だった。
「これは政治問題ではありません。商談です。私どもヴァイスフリューク家は、勝っても負けても、報酬を払うことができます」
ほう、と親方は興味深そうに座り直した。
「というと?」
「国王に何かあったとしても、ヴァイスフリューク家の財産は無事です。相続権は、現在眠りについているヴァイスフリューク家の方々にあるからです」
ああ、そうか、とスーザンは気付いた。
ローゼたちは生きている。
ブラウエンはアルトの後見であるが、アルトが負けても、ブラウエンはヴァイスフリュークの財産を相続できない。フェルナンドが死亡した時とは、話がまるきり違うのだ。
「で?」
「現在、ヴァイスフリューク家の白翼城は封鎖されています。戦争が終わったらその封鎖が解かれ、城内の宝物を自由に取り出すことが可能になります」
「そりゃ、いいな……しかし、どういうことだ?」
それは、とロイヤーは淡々と説明する。
「国王陛下は、シュヴァルツの要望を叶え、戦争に加担する、この二つを条件に、城の封鎖を解いてもらうおつもりなのです。──勝っても負けても、城の財産は解放されます」
***
家族を助ける。これが第一。
だとしたら戦に勝っても負けても、ヴァイスフリューク家が持ち直しても没落しても、とにかく家族だけは助けなければ。
そう伝えると、ベアトリスは、少し考え込んだ。
「戦に勝ったら呪いを解いてもらう、という条件はやめましょう。戦に協力する代わりに、呪いを解いてもらいましょう」
それはシュヴァルツになにか利点があるのか、とのフリックの問いを、ベアトリスはさらりと肯定した。
「ブラウエンが勝った場合、彼らの覇権が確立されるわけですが、私たちもシュヴァルツもそれは避けたい。そのために最も有効な手段は、ヴァイスフリューク家を復活させることです」
「……それ、戦が始まる前じゃだめなの?」
「戦が始まる前にフェリクス様がお目覚めになったら、ヴァイスフリューク家はシュヴァルツ家に協力するでしょうか?」
……しないだろうなぁ。
と、アルトは思ったのだった。
そんなやりとりを思い出しながら、アルトは緑の丘の公爵ヴェルティスと向かい合っていた。
道中、フリック家に寄り、協力するとの確約を取り付けた。勝利への道は着々と敷かれていっている。
「あの時のことはお互い水に流しましょう」
緑の公はそう言ってにやにや笑った。
「水に流す、ですと?」フリックが言った。「あれはそちらが勝手にアルト様に無礼を働いて……」
「そうでもしないと、シュヴァルツ殿の望みは叶わなかっただろうからな」
「貴殿は王家の財産が欲しかっただけでは……!」
フリック、とアルトは制止した。
それから立ち上がってぺこりと一瞬お辞儀をした。
「父上のことは、ごめんなさい」
フリックは情けない顔をしたし、緑の公はすっかり驚いてしまった。
「アルトさ……いえ、陛下?」
「ほら、仲直りする時はお互い謝るんだよ。公も僕にちゃんと謝って?」
「アルト様、国王御自ら先に頭を下げるような軽率な真似はおやめください! 威厳にかかわりますよ!」
「フリック、一番大事なことは何?」
「それは……アルト様のご家族をお救いすることです」
「じゃあ四の五の言わずに仲直りするのっ。ほらヴェルティス公、早く! それとも君は、この僕がペコッとやっただけじゃ不満なのかなあ??」
「め……滅相もない」
公は大慌てで白目を剥き、手をあわあわさせた後、深々と礼をした。
「申し訳、ございませんでした……!」
「うん。許してあげる。その代わり、僕に忠誠を誓ってね?」
「畏まりました!」
「はい、契約。フリック、書類ちょうだい」
「は、た、ただいま……!」
「ヴェルティス公、このことはブラウエン家には内緒だからね」
「承知しました!!」
彼はまだ頭を下げている。アルトは得意満面で「おもてをあげよ」と言った。
「これで、仲直りだね!」
「は! 恐悦至極にございます!」
そして書類にサインが書かれた。
***
ベアトリスは屋敷に集められた契約書類の束を丁寧に整理した。
交渉が危うい時もあったし、この屋敷にブラウエン家の追手が来たことも何度もあった。
でも、何とかここまで来た。
ここに、こんなに、契約書類がある。
ネイヴァルド家。カルツェ家。フリック家。ヴェルティス家。その下位の貴族たち。密かにブラウエンを裏切る予定の者たち(シュロット家含む)。そしてジダーン人の商人組合。
……これで、攻める。
ベアトリスは、旅先のアルトへ向けて文をしたためた。
──準備は整いつつあります。どうぞシュヴァルツ家へお向かい下さい。
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