25.妖精の導き

 ──食べられちゃう。


 人食いの眼が、無機質にこちらを見つめてくる。


「あの、あの……」

「何をしに?」


 だらだらと、アルトの背中を汗が伝う。


「よ、用を足し、に……」

「……そう」


 デニサは目を逸らした。


「……気をつけるのよ」

「……は、はい……」


 体が凍りついたかのようだったが、早くここから去りたくて仕方がない。アルトは無理矢理その場から身を引き剥がした。

 戸を閉めるまで、ずっとデニサに見られているような気がした。


 微かに月光の差す中で、とりあえず当てもなく足を踏み出す。

 眠い……。

 早く、伝書鳥が飛び立てるような場所を見つけなければ。


 ──ポケットの中がもぞもぞした。


「どうしたの?」


 小さな妖精を取り出してみると、それはむくむくと大きくなって、鷹ほどの大きさになった。

 白く光って、よく目立つ。


「何してるの……?」


 伝書鳥は、来い、と言うように首をくいっと動かしてから、バサバサと飛び立った。

 ゆっくりと低空飛行で、アルトを誘導するように飛んでゆく。


「どこいくの」


 アルトは小走りで妖精を追いかけた。


 途中、何度か岩につまずいたり草に絡まったりして、転んだ。暗すぎて何もわからない。

「うう〜」

 でもこんなのは訓練で慣れている。何度でも起き上がって追いかける。

 狼とか動物が出ないか心配だったけれど、伝書鳥の案内ならきっと安全だ。呪文をかけた伝書鳥が無事に戻らなかった例なんて一度もないのだから。


 暗い森をひたすら走った。

 やがて足がもつれ始めた。木にぶつかったり、脚が絡まったりすることが増えてきた。


「まだなの……伝書鳥」


 今更ながら、“伝書鳥”と種族名で呼ぶことは煩わしいことに気付いた。

 そうだ、名前。名前を考えてやらなくちゃ。あの黒い森の妖精──確かダルクとかいう種族だ──には名前があった。シャーグと言っていた。

 ならこの子にもあって良いではないか。


「うーん」


 せっかく王家の妖精なのだから、何か関係のある名前。えーと、えーと……ヴァイスフリュークだから……。


「……父さんの名前……フェリがいいな。今から……ぜえ、はあ……君の名前は……フェリ!」


 くるるっ、とフェリは鳴いた。


「あれ!」アルトは驚いた。「君、声が出るようになったの?」

「くるる」

「もしかしてシャーグみたいに喋れたりする?」

「くるる」

「無理か……はあ、はあ……」


 それからも、足場も見通しも悪い中、走って、走って、走った。

 稽古をさぼらなくて良かった、とつくづく思った時──前方から音が聞こえた。


 馬の駆ける音。


(まさか……追手がこんなところまで? そんなはずはないのに)


 だがフェリは進むのをやめない。


「待ってよ、危ないかもしれないのに! フェリ!」


 やがて、騎乗した人影が視認できた。


(まずいよ、軍人だよ。どうしよう!)


 しかし。

 だんだん近づいてきたそれを見て、アルトはさっきの何倍も驚くことにかった。


「えっ」


 驚きのあまり顎が外れるかと思った。


 だって、だって、彼がここにいるはずがないのに。


 でも……。

 逞しい長躯。長い金髪。アルトを呼ぶ声。


「まさか!」


 ***


 時は少し遡る。

 シュヴァルツの領地のとある野営地にて──。


 ──頭の頭痛が痛い。


 いやこの表現はおかしい。駄目だ、うまく頭が働いていないようだ。


 フリックは、起き上がった。

 真夜中だった。天幕の中で寝袋にくるまっている。


 外はやや明るかった。篝火を焚いているのだろう。寝ずの番をする者がいるはずだった。


 少しの間頭を悩ませてから、フリックは自分が置かれた状況を思い出した。


 敗走中だ。

 妖精どもにやられて、今は撤退している最中だ。

 自分は情けのないことに、呪いで頭を攻撃されて、頭痛に苦しめられている。


 フリックは頭を触った。専門家がまじないをかけた包帯が巻かれている。これのおかげで、痛みはかなりやわらいでいた。


 ふと、胸のあたりがくすぐったい感触がした。


「?」


 寝巻きのポケットに手をやると、肌身離さず持ってきた伝書鳥の羽根が、勝手に動いていた。


「何だ、これは」


 掌に載せると、それはふわふわと舞い上がり、フリックの目の高さにまで達した。


 そして羽根の先で何処かをしきりに指し示し始めた。方角は、西。

 ブラウエンの屋敷とは、ややずれている。


「……」


 胸騒ぎがした。

 敵に言われた言葉が蘇る。


 陛下が──アルト様が危機に陥っている。


 この羽根はアルトがフリックに与えたもので、元々はアルトの飼い妖精である伝書鳥に生えていたものだ。

 それが、何かを訴えるように、フリックをいざなうように、自ら浮かんで動いている……。


 フリックは立ち上がった。

 着替えて、一人で鎧を身につけた。


 同じ天幕で寝ていた者が、何事かと起き出す。


「問題ない。少し外を見てくるだけだ。胸騒ぎがしたもんでな──たぶん気のせいだろうが、念のためだ」


 そう言って天幕を出る。続いて荷馬車の方へ行き食料を失敬する。それから予備の馬も。

 その間、羽根はふわふわとフリックについてきていた。


「困ります、フリック様。どうかお休みに」

 番兵が言ったが、フリックは首を振った。

「そうも言っておられんのだ。見逃してくれ」


 国王軍の騎士長であるフリックにそう言われれば、基本的には誰もが引き下がらざるを得ない。

 しかも所詮はお飾りのかしらだ。実力のある者なら他にもいる。


(怪我人一人、いない方が楽というものだろう。それより俺は、この状態で一人で行って大丈夫だろうか)


 誰か共をつけるべきだろうか。

 しかし、こんな根拠の薄い決断に付き合わせるのは申し訳ない。無駄足になる可能性がかなり高いし、軍隊に留まっていた方が安全に決まっている。


(──まあいい。この身はアルト様に捧げると俺は決めている。どうすべきかは明白だ)


 フリックは馬に跨った。剣と槍と食料袋を携え、松明を持っている。

 羽根はいよいよ出発だとばかりに、ふわりふわりと移動を始める。


(──行くか)


 フリックは一人静かに、馬を走らせた。

 白い羽根の導くままに──森の中へ、全速力で。


 ***


「アルト様!」

「フリック!」


 アルトは馬に飛びつかんばかりの勢いで駆け寄った。


「どうしているの!?」

「アルト様こそどうしてこんな……危険です」

「色々あったんだよ」

「色々」


 フリックは幼い主人をまじまじと眺めた。

 庶民の着物……? 所々怪我をしている。呼吸が荒い。

 そして伝書鳥がバカデカい。


(お聞きしたいことは山ほどあるが、まずは)


 フリックは下馬し、「失礼ます」と断ってアルトを抱え上げた。


「わあ」

「幸いこの頃は寒さも緩んでおりますが、こんな時間にそのようなお召し物では体が冷えてしまいます。それにお疲れの様子」


 フリックは再び馬に跨り、アルトを自分の前に乗せ、自分の上着を着せ掛けた。


「まずは安全な場所を探しましょう。事情は道々伺います」

「うん」


 そう答えたアルトの声はくぐもっていた。


 ***


「──そうですか」


 アルトはフリックが決めた野営地でフェリの翼に抱かれ、上着に包まっていた。


「そのようなおぞましい魔女どもが」

「それで、もう早く逃げて、セウェルさまの言う通りにティラさまの所へ行こうと思ったの」

「……」

「フリック?」

「いえ……セウェルさまも恐ろしいことを仰るな、と。ご無体な」


 アルトは、上着をぎゅっと握りしめた。


「怖いと思うから怖いんだって」

「は?」

「悪神が怖いかどうかは、人が決めることなんだって。だから怖がらなければ怖くないって……」

「……聞いたことのない話ですな」

「でもセウェルさまが言ってたもん」

「そうですか……」

「でもやっぱりちょっと怖い」


 この世の悪だと聞かされ続けて、信じてきた。見るだけで目が潰れるんじゃないか、と思うくらいに、会うのが怖かった。


「そうでしょうとも」

「だからフリックが来てくれて本当によかった」


 頼れる大人の人がいるといないとでは、ぜんぜん違うのだ。

 頼った大人に裏切られ続けてきた今は、なおさら。


「そのような……」


 フリックは恐縮していた。

 アルトはもそもそと彼に近づいて、肩に寄り掛かった。


「えへへー」

「アルト様? そんな、畏れ多い」

「フリックはいつも駆けつけてくれるんだね」

「も、もちろんです」

「あの夜も……僕が呪いで城から出られなくなった時も、たった一人で助けに来てくれたよね。剣で蔓を切って、僕を抱っこして飛び降りてさ……」


 そう言うと、フリックは申し訳なさそうに目を逸らした。フリックはアルトの命を救ってくれたのに、他の家族を救えなかったことをひどく悔いているのだ。

 気にしないでって言っているのに。

 やがてフリックはアルトの方を向いた。


「あの時から自分は、アルト様に全て捧げると改めて決意したんですよ」

「……ありがとう」

「これからもお守りしますから。安心してください」

「うん」

「さあ、お疲れでしょう。もうお休みになった方が」

「そうするー」


 フリックとフェリに挟まれて眠る。

 こうしてみると、心細くて仕方なかったノジュクとやらも、少しはましだ。

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