27.黒の老婆


「サムエル様


 準備がととのったので、出発します。

 これから何が起こるか分からないです。

 手紙も書けるか分かりません。

 でも終わったらできるかぎり、フェリ二世(この子の名です。)を向かわせようと思います。


   アルト」



 町では帳簿をつけるので書くものが手に入る。宿屋に頼んで手に入れた、粗末な紙と木炭で、アルトは手紙をしたためた。


 さあ、出発だ。


 アルトとフリックは歩いて町を出て、用心深く城壁から距離を取った。


「フェリ、僕たちを乗せて」


 たちまち、馬よりも牛よりもずっと大きい巨大鳥が出現する。

 二人はその背中によじ登った。


 アルトはむにゃむにゃと呪文を唱える。


「ティラ様のいるところへ、連れて行って!」


 ばさっ、と白い翼が羽ばたき、円状に風が巻き起こった。


「わあ、すごい風」


 ばさっ、ばさっ、ばさばさばさっ。


 フェリは重そうな図体を物ともせず、青空へと舞い上がった。


「やった、飛べた!」


 ぐんぐん高度を増していく。

 風が冷たく頬を切り裂く。


「わああああい」


 アルトはフリックに支えられ、フェリの羽毛をしっかり掴みながら、歓声を上げた。


 速度もぐんぐん増していく。速くなって速くなって速くなって──


 急にアルトは、身体に違和感を覚えた。


 空間全体がねじ曲がるような感覚がした。

 狭いところに押し込まれるようにぎゅうっと締め付けられる。


 思わず目を瞑った。そうしたらもう目蓋を開けることができないくらい窮屈な心地がした。アルトの心臓の鼓動が速まった。


「ううう〜!」


 堪らず呻いた時、パッと圧が消え失せた。

 アルトの体は妖精から投げ出され、ころころと地面を転がった。


 森の中にぽっかりと空いた、日差しの差し込む静謐な空間。


 既視感のある植生。あの森でしかありえないような──。


 やはりティラさまは、黒い森に居た。


 目の前には、トンネルの形をした木々の群れがある。


 二人は顔を見合わせ、そしてトンネルを潜っていった。巨大化した妖精でも余裕で通れるほど。

 先ほどの空間と違い、だんだんと薄暗くなっていく。


 そして再び、ぽかんと開けた土地に出た。


 風がそよぎ、木々の葉がさらさらと音を立てている。木漏れ日がちらちらと光って綺麗だ。


 足元に、うさぎのような妖精たちがいた。同じくらいの大きさの、人型の妖精も。


 そしてその奥に、漆黒の老婆が立っていた。

 肌が、見たことも無いほど真っ黒だ。さらりとした長髪も黒で、それは地に届きそうなほど長い。身に纏ったもったりとした衣服もまた負けず劣らず黒い。

 背筋をすらりと伸ばしている。顔には皺が刻まれていたが、なぜか肌艶がいいようにも見えた。

 相貌はきらきらとした銀だった。


 この方がティラさまだ、という直感があった。

 二人はそう確信した。そうさせるだけの威光が、彼女にはあった。


 不思議なのは、彼女がいかにも悪神といった禍々しさを放ってはおらず、ただ静かにそこに在るということだった。むしろ畏敬の念さえ抱かせるような静けさ——優しさ。


 その彼女の前に、うさぎが群がっている。

 いや、うさぎ型の、野生の妖精だ。


 うさぎ型の妖精たちが連れている人型の妖精は、どうやら足を怪我しているらしかった。

「ふむ」

 ティラさまは自らの手で、薬らしきものをつけた。

「しばらくは安静にするように。完治すれば兎型に戻ることもできようぞ」

「有難う御座います」


 人型の妖精は丁重に礼を述べた。


「や、やはり喋っている……」

 フリックが呆然として呟いた。

「? 喋るよ。黒い森の妖精も喋るよ?」

「そ、そうなのですか……」


 誰も二人に興味を示さないので、二人は黙ってティラさまの様子を見ていた。


 災厄をもたらす悪神が、不思議な力ひとつ使わず、手ずから妖精に治療を施している。

 奇妙な光景だ。


 ——あやつを悪神と思わん方が身のためじゃ。


 セウェルさまはそう仰っていた。


 やがて妖精たちが森の中へ散ると、ティラさまは銀色の目をこちらへ向けた。


「来たな、ヴァイスフリュークよ」

「あ……」

「我が名はティラ……。悪を司る者、ということになっておったな」

「なっていた」

「時代は変わりつつある」


 ティラさまはどこかで聞いたような台詞を言った。


「それは、そなたら人間が変わりつつあるということじゃ。勝者は敗者となり、善と悪は入り混じる……。わらわも兄も、曖昧な存在になった」


 曖昧……。

 そういえば、セウェルさまはどこだろう?

 ここに来ればいらっしゃると思ったのに。


「セウェルならほれ、そこにおるぞ」


 ティラさまは一歩左へ退いて、奥の方を手で示した。

 そこには石でできた椅子が置いてあり、その肘掛けに隠れるようにして、ネズミほどの大きさの白く光るなにものかが座っていた。


「セウェルさま!?」


 小さくなっちゃったの!? 何で!?


「こやつの力は弱まっておるからの。そんなことより、それ、その伝書鳥たちを見せてみよ」


 ティラさまはフェリを指差した。


「あ」


 フェリはくるるっと鳴いて、ぴょこぴょことティラさまのもとへ歩いていった。


「そのように無体に扱われてもなお、主人に仕えるか。哀れな」

「くるるっ」

「変わり者じゃのう──しかしまあ、そういう妖精がいても良かろう……。待っておれ。今、わらわが癒してやる。休め」

「くるるるる……」


 フェリは安心し切って、ティラの足元にうずくまった。


「この妖精は疲れ切っておる。そこな愚兄のせいでな。そなたらもしばらくはここでゆるりと過ごすが良い」

「ゆるりと? あの……」

「急いてはこの妖精の身体によくない。今後も良好な関係を築きたくば、そっとしておくのじゃな」


 アルトは戸惑ったが、おとなしく「はい」と言って引き下がった。


「それで」


 ティラさまはフェリを優しく撫でている。


「大方のいきさつは知っているが、改めて意見を聞こう。ヴァイスフリュークよ、そなたの望みは何じゃ?」

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