20.寒月の下の逃亡者
真っ暗な隠し通路に転がり込むや、アルトは内側から閂をかけた。
壁がドンドン叩かれている。もう一人の方もようやく駆けつけたらしく、弱々しいくぐもった声がする。
「あ……開かないな……」
「もういい、俺が壁ごと串刺しに!」
アルトは慌てて飛びのいたが、刃が固いものに弾かれる音だけが聞こえてきた。次いで、怒鳴り声──「くそっ。念には念を入れて三人で来たというのに、このざまか!」
ほっとするあまり、腰が抜けた。
だが悠長に構えてはいられない。まだ力任せの振動が伝わってくる。
(早く外に出なきゃ)
明かりとり窓からの月光はほんの僅か。目が慣れても闇しか見えない。
腹ばいになり、記憶を頼りに階段を探す。
苦労してやっと見つけたが、膝が笑ってろくに歩けなかった。壁に手をつき、一歩一歩のろのろと下っていく。
今にも暗殺者が隠し扉を破って襲ってくるのではないかと思うと、足が竦む。
藁にもすがる思いで、祈りの言葉を口にした。
「善き神、セウェルよ、光の長よ……我らに、勝利をもたらす主よ。闇を葬り、我らを導き、今、再び光明を与え給え……」
階段はどうやら無事に終わった。アルトはスーザンがやっていたように、壁に耳を押し付けた。
出口の場所は知られていないはずだが、開けた時に敵がいたらどうしよう、という恐怖があった。
(だめだ、早くしないと、ほんとに後ろから来ちゃうかも。そしたらどうせ死ぬんだ!!)
ええい、とアルトは体当たりして、真夜中の裏庭にまろび出た。
荒い呼吸をしながら辺りを見回す。今の所誰もいない。
(で、出られた……のはいいけど、これからどうすれば……)
早くここから遠ざかってどこかに隠れないと、追ってきた奴らと鉢合わせする。
壁にぴっちりとくっついて、アルトは小走りでその場を離れた。脳みそがかつてない速さで回転している。
(別の隠し通路から城に入って、誰かに助けを求めようか?)
眠らせた、という言葉が嘘である可能性はある。おそらく彼らは黒い森の人ではなく、内部の人間だから。あの人は、自分のことを「アルト様」と呼んでいた。わざわざ遺言を聞いてきたのもヘンだ。
(でも、ほんとに寝てるかも)
実際、あんなに騒いだのに誰も起きてこなかったし。ロイヤーもシュロットも、乳母でさえも。
実行犯が内部の人だからといって、黒い森が噛んでいないとは言い切れない状況である。
つまり、誰も起きて来ない屋敷で、内部犯の暗殺者が、怪しまれもせずうろついているというわけだ。恐すぎて戻れない。
でも、外にいるのも危険だ。
アルトは上掛けをぎゅっと巻きつけた。
寒い。
ここは雪国ではないし、春ももうすぐだから、凍死することも無かろうが、確実に風邪を引く。
それに、狼とか、あるいは悪神ティラの手先とかに、襲われでもしたら。剣は手放してしまったし、身を守る術はない。
では、屋敷でも外でもない場所……兵舎はどうか。
サムエルを起こして、匿ってもらうのは。
(ううん、やっぱりだめだ)
暗殺者が内部の人間なら、少なくともあの強い奴は兵舎に帰ってくるだろう。そうしたらサムエルまでやられてしまうかも。
……もしかして、八方塞がり?
どうしよう。どうしよう!
アルトは大声で泣き出したかった。
恐い、寒い、誰も助けてくれない。
一体アルトが何をしたというのだろう。何故アルトばかりがこんな目に合うのだろう。
だが泣いたら全部がおしまいになる気がした。声を出したら居場所がばれるし、涙を出したら思考がぐちゃぐちゃになりそうだった。
(落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ。僕は強い子だ。騎士で、しかも王様なんだ。それに、もうすぐ十歳だ)
いつしか屋敷の背面に差し掛かっていた。外壁にちょうどいい角っこがあったので、そこにすっぽりと身を寄せて、いつでも走れる姿勢でしゃがみこんだ。
雲ひとつない星空の下、夜風がごうごうと吹いている。
遠くに、森が見える。枯木や常緑樹がそれぞれに蠢いている。
これ以上ないというほど孤独な光景だった。
こんな寂しいところに子供が一人縮こまっていたら、すぐに見つかるだろうと思った。
じっとしていても仕方ない。どこかに隠れよう。あの森の木の上にでも。そして朝まで待とう。
寒いのは仕方がない。動物などに遭遇する危険も、あくまで可能性の話。でも、この敷地内にいたら、必ず奴らに見つかるだろう。
アルトは周りをよく確認してから、脱兎のごとく駆け出した。こんなに速く走れるのかと、自分でも驚いていた。
森に入り、奥まで進んで、どんどん進んで……屋敷が木立に覆い隠されて見えなくなってからも、まだまだ走って……ようやく足を止めた。手近な大樹に抱きつく。もちろん、葉っぱが生い茂っていてうまく隠れられそうな木に。
木登りはやったことがあるし、特別苦手というほどでもないのだが、何しろ暗くてよく見えない上に、手がかじかんでいる。何度かずり落ちて、したたかに背中を打った。
歯を食いしばり、目に涙を浮かべて、再挑戦する。
風が森を揺らし恐ろしげな音を立てたが、それを恐いと感じる余裕さえアルトにはなかった。
ようやく葉の間にもぐりこんだアルトは、しっかと幹にしがみついた。身動き一つするもんかと覚悟を決める。
寒すぎて歯がカチカチいうので、アルトは唇を噛むことにした。血の味が口に広がった。
そうしてずっと一人で震えていた。
ただ、見つかりづらい場所に隠れられて、緊張が切れたのだろう。
いつしか、アルトは気を失うように眠りに落ちていた。
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