17.お屋敷の新当主
数日後、葬儀が執り行われ、棺が裏庭の地中に埋められた。
伝書鳥による速達で、大諸侯フェルナンド・ブラウエンの訃報を聞きつけた大勢の人やその使者が、国内外から訪れては挨拶をして行った。
「お悔やみ申し上げます、陛下」
知らない者が述べる度に、ひとつ首を振る。そんな作業を上の空で行いながら、アルトは戦のことを考えていた。
もうじき、知らせを持った伝書鳥がひっきりなしに飛び交う日が来る。毎日毎日、たくさんのさよならと向き合う時が来る……
***
「どうした、フリック騎士長」
軍を率いるバトン隊長に声をかけられたのは、束の間の休憩時間だった。
到着地を目前に控えたころに舞い降りた訃報は、士気の低下を防ぐために、限られた者にしか公開されなかった。そうするようにとの指示が出ていた。
弔意のひとつも迂闊に口にできず、心配顔など見せるわけにもいかない。だからこうして皆から離れ、岩陰に座っていたのだ。
「は……アルト様のことを考えてまして……」
「そうであろうな。心中お察ししよう」
フリックは頷いた。
フェルナンドの命が長くないことは分かっていた。だが、ただでさえ王家が眠らされた傷の癒えない時だ。お側にいられないのが心苦しい。
「よっこいしょ」
バトンはフリックの隣に腰を下ろした。その目は来た道の向こう側、ずっと遠くの方を見つめている。
しまった──フリックは少々慌て、小声で言った。
「バトン殿、お気を遣わせてしまい申し訳ない。貴殿こそ、主人を亡くされ、お辛いところを」
若き騎士の顔を見て、バトンは表情を緩めた。そういうつもりで話しかけたのではなかったのだが、フリックの誠意は伝わってきたのだ。
「気にするな」
「はっ」
二人はしばらく、味気ない携帯食を黙々と口に運んだ。穀物の粉をそのまま固めただけの簡素な食事を、隊長クラスにまで支給するあたり、財政の逼迫状況が知れている。
「しかし、惜しい人を亡くしましたね」
「ああ。思えば長らく仕えたものだが、実に偉大なお方であった。騎士として、尊敬に値する」
「ほぉ……」
「今のブラウエン家があるのも、今の私があるのも、あのお方のお力あってこそなのだ」
そう言ってバトンは、地面に目を落とした。
そこには短い影法師が二つだけ。それなのにバトンは、さらに声を潜めた。
「ヴァシリー様は、どうなのだろうな」
「……!」
何となく、気づいてはいけないような響きを聞いた気がしたフリックは、いくぶん慎重に尋ねた。
「と、いいますと?」
「……フェルナンド様は、忠誠心を忘れぬお方であられた。その目的が何であれ、な。だがヴァシリー様は、たまに──」
ここで言葉を切ったバトンはしかし、続きを口にする前に、首を振って立ち上がった。
「いや、滅多なことは言うものではないな。そろそろ出立だ。明日中に、戦地に到着しよう」
「はっ」
「愚かな奴どもを、早く懲らしめねばな……よっこいしょ」
隊の方へ戻っていくバトンのがっしりした背中を、戸惑いがちに眺めながら、フリックは、思いを巡らせた。
不信、だろうか?
バトンはヴァシリーをあまり信用していないように、フリックには聞こえた。
忠義を重んじるバトンに限って、そのようなことは無いと思いたいが──重んじていればこそ、主人を観察する目に長けているのだろうか。
確かにヴァシリーは忠誠心が篤いわけではなさそうだ。フリック達は宮廷で、いささか冷遇されていたのだから。
(やはり、早く帰った方が良いかもしれん)
立ち上がり、金の長髪を結い直す。
気を取り直して、バトンの後を追った。
***
フェルナンド・ブラウエンは先人の例に違わず、遺言書を残した。
ブラウエン家の当主の座はヴァシリーに渡すこと。財産と土地、屋敷、および妖精は、息子のヴァシリーに譲ること。
引き続き、ヴァイスフリューク家に忠誠を誓うこと。等々。
書いてある限りでは、状況は今までとあまり変わらない。
しかしその後、宮廷の様子は随分と変わった。
ここのところ、ブラウエン家は実質ヴァシリーが担っていた。そのため彼に喜んで仕えてきた者も多く、今回ヴァシリーが伯爵の位を継いでからは、その信頼はより盤石なものとなった。
翻って、動揺した者も決して少なくない。
天下に轟くフェルナンドその人のみを評価していた者たちにとって、ヴァシリーはどうも胡散臭かったらしい。
セウェル神のお告げに恐れを抱いていた者も、落ち着きがなかった。
これらの理由から、ブラウエン家との主従契約の解除を求める動きが現れ始めた。
ヴァシリーはその全てを承知しているようで、ちゃくちゃくと人事異動を進めている。己に反対する者を引き止めても足手纏いになるだけだ、と思っているらしかった。
いらない人材は積極的に解雇して、新しい者を呼び寄せる。古参の使用人たちの中にも、下二人の息子たちが管理するお屋敷に引っ越すものがいた。
人手は減り、仕事は増える。
皆がアルトに割く時間は、以前より更に減った。もうアルトは、放ったらしの状態に慣れ始めていた。
ただ今回はそこまで大変ではなかった。
第一に、比較的ヴァシリーと気が合う人々が集まったので、仕事が円滑に進むらしい。
第二に、青い泉の妖精が、アルトの部屋を出入りするようになった。
これまでほとんど意識してこなかった妖精達だが、所有権が完全にヴァシリーに渡ったため、見かける機会が増えた。といっても数は多くなく、せいぜい十匹かそこらだが。
妖精はルーティと呼ばれる。背丈はちょうど、シャーグと同じくらい。魔力が弱く、単純な作業に向いている。そのため、召使いと似たような業務、それもあまり難しくないものを任されることが多い。
彼らはこれまでフェルナンドの看病の補佐を務めていたが、最近は屋敷をうろちょろしていた。
妖精は基本的に、魔力が弱いものほど、手がかからないとされる。
ルーティたちは扱いやすい。伝書鳥たちは世話をするのがやや面倒である。
シュヴァルツ家の妖精はというと、信じられないほどの魔力を持っている。敵は意外と、手を焼いているのかも知れない。シャーグなんか、いかにも天邪鬼だし……。
「君たちは、良い子だね」
アルトは、掃除を終えて出て行こうとする一匹のルーティに、話しかけてみた。彼(彼女?)は動きを止め、首を傾げてこちらを見てきた。
その顔には、口が無い。
何も食べず、何も言わない。
たまにアルトは、怖さを感じることがある。
それは、伝書鳥たちに思わず怯んでしまうあの感覚と、似ているような似ていないような、不思議な怖さだ。
「もう……行っていいよ」
ルーティはもたもたと背を向けて、よちよち歩きで出ていった。
彼らは、何を考えて働いているのだろう。
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