18.土埃と戦士たち
春もそう遠くないはずなのに、戦場は無慈悲なほど冷え込んでいた。
眼前に広がるは、草の一本も生えていない、荒涼とした冬の平野。
重苦しい灰色の雲が、幾層にも垂れ込めている。
強い風が、対峙する二つの陣に吹き付けた。
命のやり取りが始まる直前の、震えるような緊張感は──正直、フリックには無かった。
「拍子抜けだな」
先発隊は随分と敵を追い込んだらしい。報告通り、黒い森の軍勢はかなり少ない。心配されていた他領の協力者も、“黒い妙な影”も、見当たらない。
これは単純に、包囲してしまえばこっちのものだろう。
呪いの対策もしてある。詳しい者に意見を求めたところ、この場で確認できる呪いの痕跡は、広範囲に渡ってはいるものの、ごくごく小規模なものだという。それならば単純に、数に物を言わせて薙ぎ払ってしまえばいい。
念のため、火打石と松明を用意させていた。シュヴァルツ家に仕える妖精は植物の性質を持つ。大人数で炎を用いれば、更に有利に事を運べるという。こんな何もない場所なら、火事の心配もない……。
両軍、睨み合いが続いている。
──最初に仕掛けたのは反乱軍だった。
いきなり闇雲に真正面から突っ込んで来たので、フリックは面食らった。これではみすみす殺されに来るようなものだ。
国王軍に向けて、合図の太鼓が鳴る。
それぞれが武器を構えた。弓兵が矢を引き絞り、両端の舞台が相手を囲うように動き出す。
フリックも槍を握り直す。
そして、戦端は開かれた。
言葉にならない雄叫びが、荒野を包む。
飛び交う弓矢、剣と盾がぶつかる音、熱気と興奮、鉄の匂い、舞い散る鮮血。
戦場特有の空気の中で、フリックは、冷静さを失わないよう努めた。
(呪いは、まだか)
国王軍は、はや相手方を包囲しかけていた。それに合わせてフリックも馬を進めていた。このまま押せば容易く勝てる──その感覚に酔ってはいけない。
これは、このあっけなさは、おかしくはないか。
違和感を抱き始めたころ、突然、背後で轟音がした。
土くれが雨あられと降ってくる。
「出たかっ!!」
フリックは土埃で涙目になりながらも、辺りを見渡した。
呪いの発生源は、敵を囲んだ国王軍のそのまた両脇からだ。
(やはり、誘い込まれていた……!)
太鼓の音は今にもかき消されそうだ。フリックは耳をそばだてて音を聞き分けてから、腹に力を入れて指示を飛ばした。
「点けるなッ、突撃ッ!!」
挟撃されてしまった現状では、火を使うのは早計だという、司令部の判断かもしれない。それでも、慌ててしまった兵がいるらしく、ところどころで赤い光が見える。
地面からはにょきにょきと黒や茶色のものが飛び出してきて、こちらを囲もうとしていた。
否、続々と。
「何か植物っていうより、動物だな」
嫌な予感がした。わらわらと蠢くそれを見るにつけ、疑惑は確信へと変わっていく。
これはもしや、噂にあった“妙な影”!?
だとしたらこれは植物の呪いなどではなく――
伏兵だ。それも大量の。
おそらく、微弱な魔法によって地中に隠れていたのだろう。
「まずい!」
次々と湧いて出る動物に向かって、フリックは先陣切って馬を駆り、目にも留まらぬ速さで槍を振るった。次々と手応えが返ってくる。
四本足のやつ、小人みたいなやつ、羽の生えたやつ、人間にそっくりのやつ。
(こいつら、野良の妖精だ!)
黒い森に沢山住んでいるという、あの。
野生の妖精が人間と手を組むなんて、聞いたことがない。シュヴァルツはどうやって奴らを従えたんだ。こんなのと戦って、無事で済むのか──!?
もう誰もが死にもの狂いで、武器を振り回している。時たま、風が焦げ臭い嫌な匂いを運んでくる。
敵は、既に怪しい魔法を用いているらしい。頭を抱えて叫び出す兵士や、怪我もないのに胸を押さえて苦しむ兵士が現れた。いつ、あれが自分に降りかかるのか。
しかし、妖精ばかりに気を取られてはいられなかった。もはや戦場は大混戦の恐慌状態。あっと思った時には、フリックの馬が斬りつけられていた。
「うわ!?」
嘘だろう。後ろはもうそんなに手薄なのか。
愛馬にはすまないが、労わる暇すらない。思わず槍を手放してしまい、地面に投げ出されたフリックは、そのまま刃が振り下ろされるところを躱し、すぐさま立ち上がってその勢いで抜刀。
ガキンと金属がぶつかり合い、火花が散った。
相手は妖精だった。人間に似た姿をしているが、牙が生えており、灰色の肌をしていて、かなりの巨漢だ。速さはフリックに遥かに劣るが、力比べに持ち込まれると苦しい。
(誰か来てくれ!)
しかし、そんな余裕のある者はいなかった。誰もが目の前の敵との激闘に躍起になって、次々と消耗している。
だめだ。不意を突かれた我が軍の負けだ。勝ち目は、薄い。
バトン隊長、撤退命令はまだか──!?
組み伏せられそうになったフリックは、ようやく隙を見つけて相手を押し返し、振り向きざまに何匹か切り捨ててから、再びあの妖精に斬りかかった。
また火花が散る。
「おまえ、なかなかやるなぁ」
低いガラガラ声が言った。
フリックはぎょっとした。こいつ、魔術は使って来ないくせに。
「口がきけるのか」
「なめてんのか。何様のつもりだ」
怒声と共に鋭い一撃が襲いかかってきた。
「くっ!」
必死になって避け続け、打ち合い続ける。
妖精は疲れ始めたようだ。肩で息をしながら、よく分からないことを言ってきた。
「お……おまえは哀れなやつだ」
「なに?」
「おれたちを従えるために……こんなところまで来て戦いやがって……主人の危機も知らずに」
「危機、だと? 公爵のことなら、俺はもう、知ってる」
「ばかめ……陛下のことだ……」
「なっ」
剣撃よりも激しい衝撃が、フリックの心臓を貫いた。
(落ち着け。嘘に決まってる。俺を惑わすための妄言だ)
そう考えても、不吉な動悸は収まらない。
「貴様っ、妖精ごときが、デタラメを、言うな!」
「やっぱりおまえは……哀れなやつ……」
「黙れ。その口、永遠に利けんように、してくれるっ! でやあ!」
首から赤い液体を吹き出した妖精の顔など、フリックはもう見ていなかった。
「バトン殿!」
光の速さで雑魚を蹴散らしながら、司令部のいるであろう方向へ走る。やがてフリックは恐ろしい光景を目にすることとなった。
羽の生えた妖精たちが、守りを飛び越えて、バトンと対峙している。
危ない。大将を取られては、敗北どころでは済まない。
「撤退命令を!!」
フリックが叫ぶと、周囲の騎士が凄まじい形相で振り返った。
「口を慎め。我々は、妖精ごときに負けるわけにはいかぬのだ!」
「妖精ごときだって? あいつら、どう見たって俺たちより強いじゃないか」
「おいこら、無礼だぞ、フリック殿!」
駄目だ、こいつらでは話にならない。
「バトン殿っ、お早く!」
「気にするな。騎士の名にかけて、私はこやつらに屈するわけにはいかない」
「いいえ、すぐにでも撤退を!!」
フリックの訴えも虚しく、そして騎士たちの奮闘も虚しく、
雑踏の向こうで、「ぐあっ」と絞り出すような叫びが微かに聞こえた。それきり、起き上がる気配はない。
「嘘、だろ?」
あまりのことに、全身の血が落ちていく感覚がした。
こんな、馬鹿なことがあるか……!?
騎士たちは気も狂わんばかりに慌てふためいた。
「撤退だ、撤退せよ! 国王軍、撤退──!!」
夢から覚めたように、太鼓が鳴り始めた。
遅すぎた。遅すぎたのだ。
もっと早く下らぬ意地を捨てていれば、ここまで惨めな形で終わりはしなかったものを。
「くそっ」
胸に短刀が突き刺さったバトンを、味方が抱えあげるのを見届けてから、フリックも敗走を始めた。
敵は、追撃をやめるつもりはないらしい。少なくない数が、捕らえられたり、矢の餌食になったりしている。
「勘弁しろよ、こっちは大将をとられて……」
突如、ガツン、と頭が内側から殴られたような痛みが来た。
視界でいくつもの星が破裂する。
「うっ」
頭蓋骨が粉々になりそうだ。
気が遠のき、膝をついた。
倒れこむ
(くそ、背後から呪うなど──!!)
相手を罵る力さえ、フリックには残っていなかった。
(俺は、アルト様のもとへ戻るまでは、死ぬわけには……)
「フリック殿!」
「しっかり!!」
味方の声が聞こえたのを最後に、フリックの意識は暗転した。
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