第51話 冷戦

――2025年3月3日、新宿区市ヶ谷、防衛省――


 宮本は幕僚本部から呼び出しを受けて、沖縄から東京・市ヶ谷の防衛省に来ていた。用件は昨年の国会議事堂爆撃の調査委員会で、聴取を受けるためだ。


 宮本はF3改・心神でチャイナ・サークルに突入した経験を持ち、現実のを知る数少ない人物の一人である事。『テンペスト』のデモンストレーションにおいて、CIAの監視下にあった松田涼子に協力をした事。この2点が、聴取の理由だった。

 当然ながら宮本の本件への関わりは、全てが間接的であることが明らかで、疑惑の対象ではない。査問されるのではなく、アドバイザーとして意見を述べる立場だった。


 宮本は調査委員会の会議が終わると、防衛省に内勤している山口を、省内のカフェテリアに呼び出した。


「どうだった?」

 山口は宮本の向かいの席につくと、早速口を開いた。

「どうにもこうにも意味がない。昨年の10月に起きた事件なのに、これまで放っておいて、いきなり調査委員会ってのはどういうことだ? 委員に選ばれた、有識者と呼ばれる皆さん方は、何も知らなかったぞ」

「ワハハ、そんなところだろう。唐突に調査委員会を設置したのは、中村防衛大臣のスタンドプレーさ」

「何だそれ?」

「夏には総選挙じゃないか。防衛省の重要さをアピールして自分の実績にしたいのさ。実際の調査は、ちゃんと省内の調査室がやっているから心配するな」

「俺は数合わせのエキストラかよ」

「そう言うな。お蔭でこうやってお前の顔も見れたし、話しもできる」


「しかし山口、驚くほど何にも変わらないよな。昨年以来――」

 宮本が言いたかったのは、どの国もその後、チャイナ・サークルの保有を宣言しないという現実だった。謎の潜水艦は消え去ったきり。複数の国の軍事衛星が世界中の海を隈なく監視しているにも関わらず、どこにもチャイナ・サークルは現れていない。


「俺の言った通りになってきたな」

 山口は昨年の時点で、再びの、冷戦構造が生まれることを予見していたが、すでにその兆候が現れていた。

 米、中、ロがお互いの腹の探り合いをし、そこにEUがちょっかいを出す構図が日常化しつつある。更にイスラム過激派は、謎の潜水艦に共闘を申しいれる声明文を出している。

 しかし現実には何も動いていない。こう着状態で、疑心暗鬼だけが日々強まっているだけだ。つい一週間ほど前には、中国の無線軍用機が行方不明になり、すわハイジャックかと、世界中の軍隊が一触即発の臨戦態勢を敷いた。

 結局はパイロットの飛行技術が未熟で、山に墜落していことが分かるのだが、ちょっとしたニュースで各国の軍が右往左往するほど、世界は過敏になっているのだ。


「しかし、変われば変わるもんだな」

 宮本は言った。緊張感は経済にも人々の心にも影響を及ぼしている。株価は大暴落しているにも関わらず、失業率は過去最低で、むしろ世の中には好景気感の方が膨らんでいるのだ。

 なぜこのような事になったかというと、日経平均株価を牽引していると目されていた、金融系やネット系の企業が軒並み大幅な下落をする中で、日経平均に入らない製造業が躍進しているのだ。

 これは大衆に痛みを与えることなく、世界中のGDPの何十倍もあると言われていた、異常な金融資産が減って、実質経済に近づいているということだ。政治家たちの浅知恵や小手先では、とても出来ることのない改革が、自然発生的に進んでいるのだ。


「冷戦ってもの、悪くないもんだな」

 山口はしみじみと言った。日本の新年度の防衛予算は15%も上乗せされ、あっさりと国会を通過した。これまで自衛隊不要論をぶっていた論客たちの中には、予算の掛け方が手緩い、とまで言い出す輩が出てくるありさまだ。


 最近では、フラットパネル系の新技術が脚光を浴びている。昨年オアフ島でチャイナ・サークルが猛威を振るったなかで、壊れずに正常な状態で生き残ったフラットパネルがあった。

 それは軍事用に開発されたもので、核戦争の際に飛び交う、電磁パルスの障害に対応したものだった。まずは軍を中心にその技術の採用が広がるだろうが、やがて民生品に下りてくるのは確実だった。日本ではオムロンと信越化学が、その関連特許を押さえていた。

 山口は宮本に「今のうちに株を買っておけ」と耳打ちし、「まずい、インサイダーだよなこれ」と前言を撤回した。


 冷戦も悪くないという考えは、宮本も持っていた。

 極論を言えば冷戦というのは、緊張感だけが存在し、実際には何も起きないということだ。

「何も起きない事で、何か得があるのか?」

 そう考えたときに、宮本はハタと気付いたことがあった。何も起きない事で得をした国が過去に1つあったではないか。それは――、東西冷戦時代の日本だ。

 起きるかもしれない世界大戦、人類を滅ぼすかもしれない核戦争。その緊張感の狭間で日本は経済成長を遂げたのだ。


 東西冷戦時代は、宮本はまだ子供だったから何の実感も無い。暗黒の時代と評する者もいるが、本当にそうなのか?

 二大国の統制と抑制が効いているから、冷戦時代には大国同士の大きな直接戦争は起きなかったし、代理戦争や紛争にも、それなりの理由もルールもあった。

 自衛官の自分が言うのも不謹慎な気がするが、今のように無節操にテロが頻発する時代に比べたら、案外悪くないようにも思える。


「大きな声では言えないが、アメリカ一強に較べたら、今の方が断然良いな」

 山口も宮本と同じ考えだ。現在のアメリカ一強の世の中は、何も起きないことには変わりないが、はなはだ心もとない。アメリカ一国の力だけで状態を保つのは困難だ。

 何故ならば、という事自体が、近視眼的でうつろいでいるからだ。その証拠に中東では、何も起きない世界が、戦乱に浸食されつつある。


「しかし、一口に冷戦って言っても、昔と違って、そんな単純なことじゃなさそうだぞ」

 冷戦構造で一番潤うのは、悪名高い世界中の軍需産業だ。そしてそれらは今や多国籍企業である。自国の軍事を担うという位置づけでなく、世界中の紛争に、敵味方関係なくバランスよく武器を供給し、まるでヘッジファンドのように稼ぐのが、現代の軍需産業と言って良い。


「根はもっと、深いところにあるのだろうなあ……」

 山口の言葉に、宮本も神妙な顔で頷いた。


 窓の外では、最近あまり見たことの無い、真っ赤な夕焼け空が広がっていた。

「もう夕方だ、飲みに行くか?」

 宮本の誘いに、山口は「おう、いいな」と答えた。



――2025年3月3日、ハワイ、オアフ島――


「お前、しつこいぞ。もう何度も断ったはずだ。俺は空軍を退役して隠遁生活を楽しんでいるんだ」

「そう言わず、もう一度よく考えてください」


 ボイドは3日前からオアフ島を訪れており、カークの元に日参していた。

 エドワーズ空軍基地に、無線操縦機の試験飛行を行うための、専門の部隊が新設されることになり、ボイドが特命でその編成の任を負わされていた。

 ボイドは、カークこそがその部隊を率いるリーダーにふさわしいと睨み、説得を繰り返しているのだ。


 しかし、カークの意志は固く、口説き落とすのは難しい。

 そもそもボイドも本音では、カークがそう簡単に自分の話になびくとは思ってはいなかった。

「このままここで粘って、この人の気持ちを頑なにさせるより、一旦出直した方が得策かもしれない――」

 ボイドは頭の中で、そう考え始めていた。


「そういえば、『テンペスト』の正式公開が決まったそうだな」

 カークが話題を変えた。

「3月末ですね」

 ボイドはカーク説得の潮時だと思い、その話に応じた。

「いわくつきのシステムだけに、まさか公開できるとは思わなかったよ」

「あれには裏で、色々あったんです。ギャラガー首席補佐官の思惑を多分に含んだ、政治決着のような恰好です」

「どういうことだ?」

「実は……」

 ボイドは事の経緯をカークに話した。

 この2か月間、CIAとNSAが総力をあげて、謎の潜水艦の行方を追っているが、全く尻尾が掴めない状態にある。潜水艦が旧ソ連のものである可能性が高いことから、ロシアと政治的な駆け引きも水面下では行われているそうだが、進展はないと聞いている。本当にロシアは関与をしていないのかもしれない。

 このような状態であるが故、チャイナ・サークルと関連があるマッチレス・ウィング社を温存させ、謎の潜水艦への導線を、自国の影響下に残した方が得策と、ギャラガーが判断したのだ。


 もしもマッチレス・ウィング社を今潰したとしても、彼らはまたそれをどこかで立ち上げるだろう。次は公開せずに、極秘裏にやるかもしれないし、それを中国やロシアで展開するかもしれない。そうなれば、アメリカが介入することが難しくなる。

 CIAから諜報員を潜り込ませ、NSAにネットワークを監視させた上で、マッチレス・ウィング社に事業を再開させれば、妙な動きがあれば事前に察知できるし、あわよくばそこからチャイナ・サークルへの糸を手繰ることができる。

――それがギャラガーの思惑だった。


「そう簡単に行くわけない。アントーノフは切れ者だ、出し抜かれて終わりだよ」

 カークはあざ笑うかのような表情を見せた。

 フェニックス・アイ社の創業者で、マッチレス・ウィング社の影の支配者と目されるセルゲイ・アントーノフ氏は、行方をくらましたままで今も所在がつかめていない。国際手配を掛けようにも、そもそも戸籍自体が偽造された幽霊のような存在であるために、手の打ちようがない状態だ。


「とりあえずは、アントーノフ氏が切れ者だってことは脇に置いておきましょう。今は合衆国側に何も他に打つ手がないんですからね。むしろ私は英断だと思っていますよ」

 ボイドの言葉に、カークは両手を広げて、「どうぞご自由に」とでも言いたげな

表情を浮かべた。



――2025年3月3日、岐阜県、各務原市――


 涼子は学校から駅に向かう道すがら、道路わきに投げ捨てられていた空き缶を拾って、近くの自販機の空き缶入れに放り込んだ。

 今日は何だか気分が良い。春休み前で、高校2年最後の進路指導があったのだが、何の心境の変化か、担任の小笠原が随分と態度が違っていたのだ。


「松田、先生な、お前を応援することにしたよ」

 それが小笠原が口を開いた、最初の言葉だった。涼子はいつもの調子で、大学に行く行かないの応酬をするものだと、心の準備をしていたので仰天した。

「先生、一体どうしたんですか? まさか、重い病気で余命告知うけちゃったとか……」

「馬鹿、そんなんじゃないよ。実はこの一週間は、クラス全員の志望校のカルテを作っていてな、それで気付いたんだが、1年生の頃から志望校が終始一貫していたのはお前だけだった。だからな、一人くらいお前みたいな変わり種がいたって、良いんじゃないかって気がしてきたんだよ」

「わたしって、変わり種ですか?」

「ああ、変わっているな。他の皆は少しでも偏差値の高い大学、学部を狙って、志望が刻々と変化していくからな。先生は、それが良いんだとずっと思ってきたけれど、お前とやりあっているうちに、目標は偏差値だけじゃないかもしれないなって、気がしてきたんだ」

「じゃあ、もう東大に行けとか言わないんですね?」

「ああ、言わないことにした。航空学生になれるように応援するよ。でもな。この学校からは過去に一人も受験していないから、先生方の誰にもノウハウがない。補習授業とかはやってやれないぞ。文字通り傍で見ていて応援するだけだ」

「それで十分です、先生。ありがとうございます!」


 進路指導はたったそれだけで終わった。小笠原は自分のペンで、新しく作った自作カルテの、涼子の志望校の欄に、『航空自衛隊、航空学生』と書きこんだ。

 必要偏差値の欄には『女子は東大並み』、合格可能性の欄には『不明』と書いて、「悪いがここだけは、教師生活20年の俺にも見当がつかん」と言った。


 涼子が機嫌が良いのにはもう一つ理由があった。ずっと待ち続けていた『テンペスト』の正式リリースが3月末に決まったのだ。

 本当はもっと早く公開するつもりだったらしいが、昨年の『ホワイトハウス爆撃作戦』のシナリオ以来、関係当局からの調査が続いていて、なかなか正式なサービスに移行できないでいたのだ。

 マッチレス・ウィング社の社長は、紆余曲折あったようで二転三転し、結局は、ロバート・クラーク氏。つまりソニック・ストライカーでプロデューサーを務めたボブが就任した。


 涼子の愛機はもちろん次も、F2バイパーにしようと心に決めている。きっとバウも同じ機を選ぶに違いない。

 また一緒に飛ぶのが、今から楽しみでならない。


 ストライク・ペガサスはというと、当たり前のことながら、『テンペスト』で選択できる戦闘機のリストには入っていない。もしも入れば、色々と物議を醸すだろうし、これからもリストに加わることはないような気がする。


 そう言えば、涼子が使っていたHMDヘッドマウントディスプレイは、今も押入れで眠っている。


 涼子にとっては、記念の品だ。



――終章、終わり――

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