第26話 ファントムチーム

――2024年10月20日、岐阜県、各務原かかみがはら市――


『国会議事堂爆撃作戦』のミッションを、最初から最後まで通しで初めて成功させたのは、涼子たちのファントムチームだった。最初の試行から実に1か月近くが過ぎてのことだった。

 全チームが、コンスタントにミッションを完了できるようになるころには、季節はもうすっかり秋になっていた。新しいミッションでの最高成績はファントムチームが勝ち取り、前回9月に記録した、最下位の雪辱せつじょくを果たした。


 10月20日の日曜日。この日、涼子たちファントムチームには、ボブから特別な指示が下った。『テンペスト』用に開発された、ある新システムを、他のチームに先駆けて動作テストせよと言うのだ。

 ボブによると、「CGシステムを、実験的に新しいものに切り替えてみたい」とのことで、新システムとは、グローバルイルミネーションと、多重マッピングを使用した、フォトリアリスティックなリアルタイムレンダラ―であるという説明だった。

 早い話が、「より現実に近いCG表現が出来るようになったので、試してみろ」という事だ。


 ペガサスシリーズは、全方位カメラを内蔵した無線操縦機であり、パイロットは遠隔地からそのカメラ映像を見ながら操縦を行うことになるのだが、『テンペスト』ではそれと同じ環境を、ユーザーに提供したいのだとボブは語った。

 HMDヘッドマウント・ディスプレイを装着した涼子には、ボブの言っている意味がすぐに分かった。バイザー内に表示されている風景は、まるで本当のライブ映像を中継しているかのように、空気感、現実感を伴っていた。

 しかも画面には時折、デジタル映像中継に特有の、モスキートノイズも入ると言う念の入れようで、ボブの完璧主義を垣間見る思いがした。


 新システムのテストと言っても、新しくなるのは表示系だけ。このところ連日成功させているミッション――潜水艦を離陸して東京湾から侵入し、国会議事堂を爆撃したのち離脱――を、新しい表示環境の中で行うというに過ぎない。

 既にミッション自体は何百回も繰り返しており、ファントムチームの面々は皆、もう片目をつぶっていても易々と成功できるまでになっている。


 今回のミッションに当たっての、チーム内のブリーフィングでは、バードが編隊の小隊長となって先頭を飛び、涼子が分隊長で最後尾を飛ぶことになった。

 日本時間の0・6・1・5の作戦開始時刻と共に、涼子たちは1機、また1機と垂直離陸し、隅田川を遡上していった。周囲はまだ明け方の薄暗さをまとってはいるが、川面を往来する船はほとんどいない。視界は悪いものの、障害物が少ない分、操縦は楽だと涼子は思った。


 永大通り手前で川面を離れ、地上飛行に移った。このミッションで最大の難関である八重洲通りに入ったところで、涼子は「あっ」と驚きの声を上げた。道路を車が往来するその光景は、これまでのCGでも再現されていたが、今回の新しいレンダリングシステムでは、それとは次元が違う。

「凄い」という言葉が、思わず涼子の口を突いて出た。何と車の往来だけでなく、歩道を人が歩いているのだ。

『国会議事堂爆撃作戦』では、ストライク・ペガサスが低空を舐めるように飛ぶために、その人々の顔まで、涼子ははっきりと認識することができた。突如の航空機の飛来に驚いて見上げるその表情は、マネキンのような均一の顔ではなく、一人一人が別人で、まるで生きているかのようだった。


 ふわりと機の高度を上げて、正面に迫る東京駅を越えると、もう難易度の高いマニューバは、超低空飛行での左旋回だけだ。しかし、そこで予想外の展開があった。ファントムチームが旋回動作に入った丁度その瞬間に、左手の警視庁の屋上からヘリが飛び立ったのだ。

 これまでには無かった展開だ。恐らく、ボブが皆を驚かせようと、黙ってシナリオの中に警視庁出動の項目を書き加えたに違いない。


 空中衝突を避けるため、4機はそこで皇居側に膨らんで回避行動をとった。

「ちくしょう、ボブ、やりやがったな」

 と、誰かの声がインカムから響く。

 これでこちらの行動は、国会議事堂側から丸見えだ。テロリストたちは地対空ミサイルを発射してくるに違いない。恐らくは赤外線追尾型のFOX2だ。

 赤外線欺瞞ぎまんを行うため、涼子の指が、フレアのディスペンサーのボタンボタンに掛かる。


 だが――

 何故かテロリストたちは、地対空ミサイルを発射してこなかった。

 これまでの『テンペスト』は、こちらが僅かでも最適な飛行コースから逸脱をすると、途端に航空自衛隊のスクランブルが掛かるか、テロリストのミサイルが飛んできたはずなのに――

「バグだ」

 と、また誰かがインカム越しに叫んだ。


 確かにそうだ、バグとしか考えられない。先頭を飛んでいたバードは迷うことなく、空対地ミサイルを国会議事堂に発射して上空に離脱。後続の2機もそれに倣う。涼子は攻撃の仕上げとして、前の3機が撃ち漏らして無傷の、左手の衆議院議場にとどめの一撃を加えて高度を上げた。

「楽勝!」

 涼子は喜びの声を上げた。


 前半の攻撃ミッションは完了し、後は速やかに東京湾に出て、外灘に逃れる脱出ミッションだ。先行していた3機は、それぞれが思い思いの手段で東京湾に向かって速度を上げていた。涼子は日比谷公園上空を抜けて、晴海通りを伝って海に出るルートを取った。

「それにしても、ボブは凄いCGを作ったものね」

 涼子は感嘆の声を上げた。作戦が終了すると、緊張感が解けるために、より周囲の映像を注意深く見ることができる。

 朝の銀座はまだ人通りもまばらで、店舗のシャッターもまだ下りている。CGでこんなところまで再現できるとは、大したものだと涼子は思う。


 ふと涼子に、ちょっとした悪戯心が芽生えた。

「この仮想の街は、一体どこまで作り込まれているのだろう? もしもビルを攻撃したら、一体ビルは破壊できるものだろうか?」

 ミッションの目的以外で、機に搭載されているウェポンを使用すると、テスターとしての評価が下がってしまうのだが、涼子は誘惑に勝てなかった。

 今日はミッションの成功に加え、プログラムのバグまで発見した。テスターとして、良い査定を受けるのが確実な日だ。

「こんな日に良い日は、ちょっとくらい遊んでも良いよね……」


 涼子の目の前には格好の標的、TVで見慣れた円筒形の『三愛ビルが』見えていた。涼子はその最上部の広告塔部分に照準を合わせ、軽くバルカン砲の発射ボタンを押した。

 その瞬間に、毎分6000発の発射能力のあるM61からは、銃弾が1本の線となって円筒部に伸び、瞬時にその場所を粉々に粉砕した。

「凄い! こんなところまで作り込むなんて、ボブはクレイジーだよ!」


 晴海通り左手には歌舞伎座が見えてきた。涼子がもう一度バルカン砲を掃射すると、白い壁と瓦屋根が粉砕されて辺りに飛び散った。

「ヤッホー」

 涼子は歓声を上げると、そのまま速度を上げ、築地から月島上空を舐めるように東京湾に出て行った。



――2024年10月20日、中国福建省、武夷山ぶいさん基地――


 武夷山基地では早朝から招集された幹部会議が、始まって間もなくだというのに、既に煮詰まりの状態にあった。

「貴様らは、もっとまともな提案ができんのか!」

 怒声と共に、まだたっぷりと中身の入ったコーヒーポットが宙を舞い、同時に会議テーブルの上では幾つものカップが無残に砕け散った。馬軍区政治委員の苛立ちは、最早頂点に達していた。

 8月に決死隊をチャイナ・サークルに突入させたことで、南京軍区空軍は失いかけていた威信を回復し、同時にそれを主導した馬は英雄となった。

 しかし――、次に打つ手が用意されてはいなかった。


「総参謀部では、英雄の次の一手に期待してくれているというのに、あれから既に2か月も経つ。それなのにお前らは、何の手も打っていない。

 王空軍総司令員閣下の元には、海軍や陸軍の上層部からは、催促の電話も来始めているという。どうしてくれるんだ?」


 基地幹部の一人が挙手をした。

「馬閣下、それでは次は、100人体制で突入しては如何でしょうか?」

 馬はテーブルに両こぶしを強く叩きつけながら、「馬鹿者!」と一括した。


 不意に会議室の扉が開き、基地職員が飛び込んできた。

「大変です、日本が……、日本が……」

 その口調は上ずっており、何を言っているのか聞き取ることができなかった。

「落ち着け、何があった!?」

 洪軍区司令員が職員の動揺に、ただ事でないものを感じていた。

 職員は息を切らせながら、震える指で、会議室の壁面に埋め込まれた大型ディスプレイをさし示した。

 洪は手元にあったリモコンを取り上げると、すぐにディスプレイの電源を入れた。



――2024年10月20日、8時45分、岐阜県、各務原かかみがはら市――


「あー、今日は爽快だった!」

 涼子は『テンペスト』のミッションを終えて、2階の自室から台所に降りてきた。HMDを脱ぐと、仮想の世界から急に現実の世界に舞い戻ったためか、少し立ちくらみがした。

 もしかすると、徹夜で何時間もの間、繊細な作業に神経を集中していたので、脳が酸欠を起こしているのかもしれない。

 涼子は冷蔵庫を開けると、紙パックの牛乳を取り出すし、大ぶりなコップに注いだ。ゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み。

「フー」

 と息を吐くと、それでようやく、ひとごこちついた気分になった。


「新システムのCG、あれはあれは凄いよ、ボブ!」

 目を瞑ると涼子の脳裏には、先程までHMDヘッドマウント・ディスプレイで見ていた、まるで実写のような映像が蘇ってきた。ボブはあの映像について、「これは『テンペスト』の限界性能を試すために、限られたエリアだけを特別に作り込んだチャンピオンデータなんだ」と言っていた。

 しかし、いくら限られたエリア内だけだとは言え、あれだけのCG映像は見たことが無い。ハリウッドクラス――?

「いやいや、ハリウッド以上でしょう」

 まだ涼子の神経は、興奮で昂ぶっていた。


 隣のリビングからはTVの音が聞こえていた。多分母親が、の料理番組でも見ているのだろう。涼子がこれからひと眠りしようと、台所を出たときだった。

「ああーーっ」

 と、母親の悲鳴にも似た声が、リビングから響いた。


「何かあったの?」

 リビングにつながる引き戸を開けると、TVを見ていた母親が振り向いた。

「大変よ、今朝、国会議事堂が爆撃されたんですって」 

 涼子がTVに目を向けると、そこにはつい先ほどHMDヘッドマウント・ディスプレイを通して見ていたものとそっくりな、黒煙を上げる国会議事堂の姿があった。

 涼子は今しがた覚えていた立ちくらみとは、明らかに違う強い眩暈めまいを感じた。


 画面には何台もの消防車や救急車、パトカーが集まる様が映し出され、現場は騒然としていた。カメラが上空を向くと、消火に当る消防庁のヘリの更に外側に、自衛隊の大型ヘリが10数機もホバリングをしており、更に上空にはF35の編隊が旋回していた。


 中継のアナウンサーが血走った目を見開き、叫ぶように同じニュース原稿を連呼していた。


『本日、午前6時32分。東京湾方面から飛来した戦闘機らしき飛行体によって、国会議事堂が爆撃されました。被害者の数はまだ判明していません。また犯人による犯行声明も出されていません。首相官邸には緊急対策室が開設され、目下閣僚たちが集まり始めています。

 防衛省からの発表によると、攻撃は第2波が来る恐れがあります。また市街で何らかの破壊活動が行われる可能性があります。皆さん外出は控えてください。外出は控えてください』


『本日、午前6時32分。東京湾方面から飛来した戦闘機らしき飛行体によって、国会議事堂が爆撃されました。被害者の数はまだ判明していません。また犯人による犯行声明も出されていません。首相官邸には緊急対策室が開設され、目下閣僚たちが集まり始めています。

 防衛省からの発表によると、攻撃は第2波が来る恐れがあります。また市街で何らかの破壊活動が行われる可能性があります。皆さん外出は控えてください。外出は控えてください』


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