第43話 左ハンドルのサヨナラ
「忘れ物はありませんか?」
不意に背中から声が聞こえた。
それは、引越し屋のおじさんが遠慮がちに発した言葉。
荷物はすべて運び出され部屋の中にはもう何もない。
普通に考えたら、忘れ物なんかあるわけがない。
なぜおじさんはそんなことを言ったのだろう?
その理由は何となくわかった。
窓から差し込む光に
名残惜しそうな眼差しで。
教会のチャペルみたいに真っ白な天井を見上げて、ボクがグッと唇を噛んだから。
涙がこぼれないように。
「ありません。置いていくものはありますけど」
ボクは努めてとびきりの笑顔で言った。
「前に進めるように」という言葉を飲み込みながら。
トラックがエンジンをかける音が聞える。
そろそろ出発の時間。
黄色いワーゲンの運転席に座ってエンジンキーを回した。
バックミラーに三年間暮らしたマンションのエントランスが映る。
一人で済むには広すぎる場所。
同時に、三年間の思いがギュッと詰まった、狭すぎる場所。
運転席の窓を開けて左手を太陽に
薬指に何もないことに違和感を覚えながら。
少しずつ慣れていくと思う。
そのための引っ越しなのだから。
ワーゲンのアクセルを踏み込んだ。
マンションが小さくなっていく。
ミラーを見ながら
「ありがとう、スイート・ホーム。さようなら、スイート・メモリーズ」
RAY
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