鹿肉を数日間かけて煮込んだというメイン・ディッシュへの論評もそこそこに、三名の士官の話は、ふたたび艦隊運営の話へとうつった。


「ところで、兵士に蔓延している不満を、提督は、どのようにお考えなのでしょう」

「ふむ、我が艦隊が冷遇されすぎているのではないか、というあれか」


 年齢がたがいに四〇以上も離れているふたりの中佐の会話をきいて、カムレーン参謀長が、やわらかな肉塊にナイフを入れながらこたえた。


「提督としては、あまり深刻な問題とはとらえていないようだ。各艦を巡察する際に、耳に入ってはいるようだが」

「独立艦隊というものは、元来、雑用が多いものですから、仕方がないのですがな。若い者は、なかなかそうは割り切れんらしいですな」


 自分にも若い頃はあったが、と老兵は表情でいった。


「そうはいっても、ミタライ体制において、の扱いの悪さはあきらかでしょう。ほかの艦隊が結果を出しているなら、まだわかりますが、さきの会戦でも、連邦軍の動きの悪さはあきらかでした」


 この場において若い者代表のホワンはそういったが、そのことばは、不満を共有しあう兵士の心情を、たしかに代弁していた。


 サヤカ・シュウは、なんの裏付けもなしに、少将、艦隊司令官という地位をあたえられたわけではない。飛び級をかさねて一六歳で少尉に任官したとき以降、七つの階級において、彼女は、他人には容易になしえない戦功を、つぎつぎに積みあげてきた。グァオ・ガンファ前とうすい本部長の革新志向が追い風となった面はむろんあるが、それに見合うだけの実力を、彼女はそなえていたのだ。アイリィ・アーヴィッド・アーライルが艦隊旗艦ヴァルキュリアの司令官私室で見た勲章の数々は、その所有者の能力を、端的なかたちにしたものである。


 兵士たちも、それを知っている。だからこそ、第三独立艦隊を艦隊戦の重要な位置におかないミタライ元帥を、の首謀者として嫌悪しているのだ。このとき、兵士たちに、別の艦隊へ転仕しよう、という積極的な意思はない。シュウ提督は、一兵卒とも言葉をかわすなど、下の者に対してきわめて寛容なのだが、艦隊司令官としては希少な部類に属する。兵士をたんなる道具としてしかみていない、というよりその存在を意識していない司令官も、少なくないのだ。


 他艦隊に配属されるとなれば、単純な確率論からいって、そういった上司にあたる可能性のほうが高い。兵士たちとしては、確率の低いところに自分の軍隊生活というチップをおいて、ルーレットを回す気にはなれないのである。


 兵卒出身のファオ老将は、そういった兵士の気持ちもよくわかるのだが、いっぽう、ミタライ元帥をはじめとする統帥本部歴々の思考も、理解できないわけではなかった。


「卿はそういうがな、ホワン中佐。提督の戦功は、最大でも分艦隊という規模においてのもので、独立の権限を有する艦隊司令官としてのものではない。実績のない艦隊に、重要な役割をあたえない統帥本部の判断は、やむをえない部分もあるだろう」

「実績のない豊かな才能より、低水準でもたしかな戦績を、ですか」

「ミタライ元帥は、そう考えておいでなのだろうな」


 ラオ・ファオがにがにがしい表情でいうと、カムレーン参謀長がつけくわえていった。


「まあ、我が艦隊が、すばらしい戦功をうちたてることができれば、扱いも多少変わるでしょう。それまでの辛抱です」


 そのことばに老将はうなずき、若者代表も、頭の固いお偉方の面々にはあきれた、という表情をしながら同意した。結局のところ、かれら自身も、上官と同様、この不満が、とくに大事に発展するとも思えなかった。


「それよりも、わしとしては、提督の、軍人という範囲外での生活が、気になっておるのだが」

「というと?」


 老戦隊長の意外な切りだしに、ホワン中佐が声を細くしてききかえした。


「普通、あの年代の女性であれば、同年代の友人と出かけて騒いだり、恋人とよい時間をすごしたり、するのではないかな。ところが提督には、そういった傾向が、わしの知る限りだが、まったくない。どこか無機的な口調や表情なども、気にかかる。どうも、提督は、軍隊生活にのめりこむあまり、私生活の方面を、うまくできていないのではないかな」


 エリートの中佐は、表情を維持することに失敗した。


「これは、ファオ中佐殿は、提督を孫娘のようにも思っていらっしゃるようですね」


 ホワンは笑いながらそういったが、横から銀髪の参謀長のとがめる視線をうけて、表情を消し、老将に陳謝した。よわい七二のこの老兵にはふたりの孫がいたが、ともに戦場でうしなっていたことを、彼は思い出したのである。


 自身の三分の一ほどの人生経験しか有しない若者の謝罪に、ファオ老人は、かまわんよ、とは言葉にださず、かわりに、ワインの瓶を手にとって、空になっていた若者のグラスにそそいだ。


 老将が年少の上官について言った違和感は、カムレーン参謀長も、自らの意思で第三独立艦隊に転仕したときから、感じていたことではあった。


「たしかに、提督には、年齢に比して冷静すぎる部分はありますな。私も気になってはいましたが、あくまでプライベートのこと、我々がそんたくすることでもないのではないですか、ファオ中佐」


 銀髪の参謀長はそういったが、老将は、表情をくずさなかった。


「こういう話があります」


 かつて、地球にあった小さな島国の、小さな島に、小さな領地を有する名家があった。当時、その島国は、小国がわかれて争う完全な内乱のさなかにあった。にもかかわらず、その家の長男は、小さい頃から柔弱を指摘され、仕える者はみな、主家と自身の将来を不安視していた。


 だが、戦乱の時代には向かぬと思われていたその長男は、成人すると、初陣で、周囲をどうもくさせる華々しい戦果をあげた。人々がおどろくのを横目に、その男は以後もひた隠しにていた武勇を発露させつづけ、父親の跡を継いだが束の間、彼の領地が属する島を、武力で統一するにいたったのである。


 しかし、そのころ、他の大きな島から、強大な勢力の影が、彼の島にせまりつつあった。だが、ここでも、彼は選択をあやまらなかった。大兵力が海を越えて押し寄せてくると、彼は、これを防いで善戦するかたわら、外交をもって、自身の家の未来をきりひらこうとした。結果、彼は、領地は減らされたものの、その大勢力のもとで、家名をのこすことに成功したのである。配下の者は、かれらの主人が、聡明で賢明な判断力を有していたことを喜び、主家のあんねいと繁栄が、これからもつづくことを確信した。


 だが、あるひとつの事件が、有能な男を一変させた。彼の愛する長男が、若くして戦死したのである。彼は、世の中のすべてに興味を失ったかのように、その精神力を低下させた。賞賛すべき武勇と鋭気が、忌避すべきたいと堕落に、とってかわられた。人格は荒れ、部下を処刑するなど残虐なふるまいをおこなうようになった。あげく、子に対し筋の通らぬ家流承継をはかって内紛を発生させ、結果、彼のわずか一世代後に、その名家は断絶してしまったのである。


「これは極端な例ですがな。私生活での変事が、統率に影響をもたらした事例は、歴史上ことかきませぬ。参謀長のおっしゃるとおり、無理に介入することはないですが、軽視しては、手痛い戦敗をもってつぐなう事態になるかもしれませんぞ」


 という老将の口調は、なかば、みずからの孫娘の人生を心配しているようでもあった。


「そうはいっても、ミュー少佐、イェン副司令官と、提督にもご友人はいらっしゃいますが……」


 ひかえめにホワン中佐が主張した。


「うむ、だが、どうも、違和感があってな。軍という組織なくしては、人間関係が構築できないのではないか、という気がしている。わしの考えすぎかもしれんが」

「ふうむ……」


 そういったきり、ホワン中佐は沈黙した。カムレーン参謀長は、しばらくなにか考えていたが、やがて口をひらいた。


「提督は、ふたりの客人を、自身で、丁重すぎるぐらい遇していましたが、もしかすると、私生活方面での欠点を、意識してのことかもしれませんな」

「ほう、あの勇猛と噂のお嬢様がたですかな」


 ファオ中佐はそう応じると、たくわえたあごひげに手をかさねてつづけた。


「参謀長、あの話は、本当なのですか。その二名の客人が、第三の宇宙からの浪客であるという……」

「私も半信半疑です。しかし、第三の宇宙という可能性は昔から指摘されていますし、あの客人らが嘘をつくべき理由も、とくに見あたりません。遭遇した星系の位置からして、解放戦線のスパイという可能性も、まずないでしょう」

「ふむ……」

「提督は、いまのところ上層部にその旨報告をあげるつもりはないようですが」


 そういった参謀長に、ホワン中佐が応じる。


「正解でしょうね。頭の固い統帥本部が、そのような話を信じるとも思えません。よくて冷笑されるだけ、悪い方にころべば、客人をろうしゆうたらしめることになるかもしれません」


 ホワン中佐が統帥本部についてかたるときは、どうも、毒気が混入してしまうらしかったが、その内容は、聞く者の感覚を、大きく外したわけでもなかった。


「提督も、そうお考えであるようだ。恩ある客人に、迷惑をかけるわけにはいかない、という思いもあるだろう。まあ、私が見る限りでも善良な方々であるようだし、出自がどうあれ、普通に首都で生活してもらう分には、特段問題あるまい」

「おっしゃるとおりですな」


 歴戦の老兵からの同意をえて、参謀長はすこしあんした。この客人の扱いが、ゆがんだ形で軍の上層部につたわったとき、シュウ提督の立場をあやうくするのではないかと、彼は心配していたのである。倍の人生経験を有する老将が、異論をはさまなかったことは、保証書に金の額縁をつけたほどの安心感を、銀髪の参謀長に提供した。



 部下が上司の悪口を、酒とともにかわすのは、軍民とわずよくあることであったが、上官の私生活までふみこんだ議論を真剣にすることは、きわめて特異なことであった。のちに、三人はそのことに気づいて苦笑し、これあるかな、我らが指揮官、とそれぞれが思ったものである。それほどまでに、淡墨髪の司令官が人心をつかむ人間であるということを、かれらは再確認したのであった。


 グライド・カムレーンは、最後のワインがはいったグラスを目線の高さにかかげると、赤い液体越しに、展望窓の向こう側にひろがる星々の海をながめやった。そうして見えるダークレツドは、戦争に従事する者であるかぎり視線をそらすことができない、血液の乾いた色にも似ていたが、宇宙軍人が、広大な宇宙に思いをはせることができる色でもあった。


 ほかのふたりも、銀髪の参謀長にならって、ワイングラスをもちあげた。それぞれのグラスの片隅に、軍用艦艇がせわしなく出入りする構造物が映っていた。アミシティア連邦軍宇宙港がその名であり、かれらの所属する、第三独立艦隊の母港であった。


 かれらは、できうるかぎり、敬愛する年少の艦隊司令官の下で、軍務をつとめたいと思っていた。そして、そうあるかぎり、グラスに光を反射させて、自らの身体をうかびあがらせているこの港が、またかれらの母港でもありつづけると、この三人は思っていたのである。

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