「地球文明、か」

「なんだか、信じられないね……」


 にもどった客人のふたりは、ベッドから天井に視線を投げて、歴史家兼任艦隊司令官が話った内容を反芻はんすうしていた。


「信じざるをえないんだろうね。シュウ提督の言葉を借りるなら」


 地球文明が存在すること自体は、我星出身のふたりにとって、寝耳に水、という話ではない。ふたりが知る常識と違うのは、こちらの宇宙では純然たる事実であるものが、我星政府領においては伝承のひとつに過ぎないという点である。しかし、その伝承が実際の歴史の一片であるとするなら、淡墨髪の提督が語る地球文明の歴史と、我星の歴史は、一本の水流となってつながるのだ。


「アイリィは、信じられるの?」

「シュウ提督が嘘をついているようには、思えないからね」


 アイリィは親友の問いにそう答えたが、半分は、自分自身に言い聞かせている。まったく、いままで自分が知っていた宇宙が、全宇宙の一部にすぎないという話を、どうして素直に受け入れることが可能であろうか。

 だが、シュウ提督を信頼する是非をおくとしても、アイリィが感じる限り、ヴァルキュリア艦内の人間の言動行動に、ぐるになって客人を騙そうとしているような違和感は、いまのところない。出演者全員が名優である演劇なのかもしれないが、主演俳優だけならともかく、脇役にしかすぎない一兵士までが銀河連邦の一員を完璧に再現できているのも、おかしな話である。もし事実がそうであるなら、アイリィは彼らの演技力に降参し、物語の展開に振り回される一観客として観劇に徹するしかないであろう。


 信奉する親友の見解に、シュティは一応の納得をみたようで、そうだね、と短い返答をして、ふたりにとって深刻な話題をもちあげた。


「すぐには、我星に帰れないかな……?」

「難しいだろうね」


 アイリィは即答した。親友の言葉が疑問の外形をとった願望であることをアイリィは知っていたが、その願いを実現に導くための航路図を、彼女は持っていなかった。


「そっか……シュウ提督は、いい人そうなんだけど」

「それはそうなんだけどね」


 話はそれほど単純ではない。淡墨髪の艦隊司令官の気質が善良であるらしいことは明るい材料だが、なんにしても、彼女は一艦隊の司令官にすぎないのだ。


「連邦軍という組織に属している以上、任務外で、しかも未知の領域にむけて勝手にふねを動かすなんて、できないだろうね。それに、私たちが我星政府領の人間だっていう話、というより我星政府領の存在をすぐ信じてくれる人間は、少ないんじゃないか」

「やっぱり、そうかな……」


 シュウ提督は、異星人、というより異文明人を自称するふたりの話を、すくなくとも表面上は、すぐに信じてくれた。説明にすくなからぬ苦労をともなうことを想定していたアイリィにとってはありがたい誤算だったが、それはアイリィの弁舌がすぐれていたわけではなく、歴史家兼任司令官の、おそらくは並外れた見識と、常識に縛られない発想力の貢献が大であろう。


、戦争のある宇宙を当然のものとして、疑おうとしない」


 つまるところ、〝国民〟の常識とシュウ提督の見識のあいだには、段差がある。しかもその高低差は、決して小さいものではなさそうだ。シュウ提督の理解の良さが、連邦の人間全員の平均値であるともうしんすれば、手痛い火傷やけどを負うことになるかもしれない。


「当分、私たちが我星政府領の人間だってことは、いわないほうがいいかもしれないね」


 というアイリィの思案にシュティがすぐ首肯したのは、自身もそれを感覚でわかっていたからであろう。


「でも、そうすると、だいぶ時間がかかっちゃいそうだね……」

「焦りは禁物ってことさ」


 拙速な行動は、避けなければならない。仮にふたりが連邦にとって害ある存在とみなされるようなことがあれば、ふたりの立場はたちまち危険な領域に追い込まれることになる。シュウ提督も、自身の意思に関係なく、ふたりに不穏当な措置をとらざるをえなくなるかもしれない。

 もっとも、その点については、当事者にとって意外なかたちで、矛先を変えて表出することになるのだが……。


「とりあえず、先方に迷惑をかけないこと。誤解を受ける行動をとらないことだね」


 アイリィは当面の指針をそうさだめた。いまの状況が、それほど絶望的であるとは思っていない。我星に戻る目処がたたないのは懸念材料だが、どうも過剰に恩を感じてくれているらしい艦隊司令官が、可能な限り便宜をはかってくれることを、彼女は期待している。むやみやたらに頼ることはできないが。


 どちらにせよ、事態を動かすためのキーは、アイリィの手の届く範囲にはない。彼女にできることといえば、不安の瘴気がこもっているらしい親友の精神のコップに、安心のせいすいをすこしでも注いでやることだった。


「ま、提督の話だと、戦争中とはいっても前線以外は平穏だっていうし、しばらくはのんびりできるんじゃないかな」


 アイリィはあえて楽観論を述べたが、シュティの心情はそれに同調していないようであった。


「戦争……ちょっと怖いかな」


 アイリィははっとして、視線を親友の顔面に移動させた。ことばになったシュティの心情は、アイリィの精神に、細く鋭い電流をあびせていた。


 アイリィは、戦いに恐怖を感じたことはない。それはアイリィが実戦部隊の人間であって、不運や失敗の土台を何重にも積み重ねない限り、死者の門へいたる高さに及ばないことを、実感として知っているからである。


 だが、それではいけないのかもしれない。シュウ提督が語った内容は、個人レベルにまでスケールを縮小するなら、アイリィにも当てはまるかもしれないのだ。恐怖を感じなければいけない、とは思わない。だが、恐怖を感じる者がいる、ということは、知っておかなければならないのだろう。それを知らない者が集積した結果が、恐らく、シュウ提督がうれえた、こちらの宇宙の現状なのである。


「力を持つ者は、それを正しい方向に使用することで、人を救い、その幸福を守る義務がある」


 ヴァルバレイス号の惨劇の直後、メアリ・スペリオル・ルクヴルール提督はアイリィにそういった。そのとき、アイリィは、〝力をふるうのをやめること〟に対する憂慮しか、読み取っていなかった。しかし、もしかしたら、それ以上の意味が、そのことばには埋め込まれていたのかもしれない……。


「やれやれ……」

「ん?」

「いや、なんでもない」


 漏れてしまった心の声に反応されて、アイリィはそう答えたが、故意に思考の足跡を隠蔽したわけではなかった。そのつぶやきが、自身の見識の浅さに呆れたのか、もと上官のことばの深さへの感嘆であるのか、異なる宇宙の現況に対する当惑なのか、自分でも不分明だったのである。だが、いま彼女がすべきことは、その疑問に決着をつけることではなかった。


 アイリィは思考回路を閉じて、不安な表情をうごかさない黒赤髪の親友に、笑顔を向けていった。それは、いつの時かに伝えそびれていた、アイリィのささやかな決意表明であった。


「大丈夫、何かあったら、私が守ってやるよ」


 シュティの表情に光がひろがった。その光はまだ不安の霧を完全に払い切れてはいなかったが、さしあたって彼女は満足そうだった。


 シュティは、ありがと、とつぶやいて、夢の世界へ身を沈めた。アイリィも少しおくれて、それにつづいた。




 アイリィ・アーヴィッド・アーライルも人間である以上、〝恐怖〟という感情と、無縁ではあり得なかった。その感情からの逃避が、いまの状況を産み落としたことに、アイリィは憮然とした思いを消化できないでいる。彼女が、自分の心情にある程度の主導権をもって決着をつけるためには、思いもよらぬ遠大な軌道を描くふたりの航海が、終着点ちかくにさしかかるまで待たなければならなかった。

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