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「こちらです」
遭難者から軍艦の客人へと立場を変えたふたりは、司令官に指名をうけた兵士に連れられて、一つの部屋に案内された。
「広いな…」
部屋の扉は艦内にある他のものと比べて個性はなかったが、中はそうではなかった。貴賓室という名称から予想はしていたが、
「このような部屋を私たちが使ってかまわないのですか? 流浪の身を拾われた立場ですが…」
部屋の偉容に圧倒されて、兵士に変更の権限などないと知りつつもそう尋ねざるをえないアイリィである。
若い兵士が、ふたりの客人に好意的な表情を向けていった。
「提督より、お二人は恩人であるから礼遇をつくすように、といわれております。私個人としましても、提督の危機をお救いいただいたお二人には感謝いたしております。どうぞ、ごゆっくりおくつろ寛ぎくださいますよう」
その言動から、感謝の念とともに、サヤカ・シュウという若き司令官が、一兵士にまで尊慕をあつめていることが伝わってきた。まだ口元に硬い鍵をかけているらしい親友の分までアイリィが厚く礼をいうと、案内の兵士は笑顔で応じた。
「私か他の兵士が、部屋の外におります。御用の際は、遠慮無くお声がけください」
「ありがとう」
アイリィは重ねて礼を言った。無論、その兵士は接待役と同時に監視役を兼ねているのであろう。軟禁といえなくもなかったが、アイリィは特に不快さは感じなかった。むしろ初対面の、しかも正体不明の人間に旗艦どころか艦隊の中枢たる艦橋にまで立ち入らせただけでも寛容すぎであって、こればかりは
もっとも、その点については、艦橋で、カムレーン参謀長が注意まじりの疑問を提出していた。司令官の返答はこうであった。
「あのふたりが、我々を害したがっているように見えるか?」
参謀長は一礼してひきさがった。彼は、自分の仕える歳下の司令官が、単なる直感に依存する人間ではないことを知っていた。鋭い観察力と深い洞察力に裏打ちされた司令官の人物鑑定眼は、銀髪の参謀長が
兵士との応対を一通り済ませると、アイリィは高級感漂う木目調の椅子に腰を落とした。背後では、黒赤髪の親友が、穴の空いた風船のごとく空気を体内から吐き出して、ふたつあるベッドの片方に飛びこんでいた。
「まったく、なんでずっと黙ったままなのさ」
すべての対応を一手に引き受ける羽目になった槍術の名手が、笑いながらもやや恨み節まじりにいった。
「ごめん、なんか緊張しちゃって…」
シュティはそう答えるしかなかった。この
ひと息ついたところで、アイリィは親友にシャワーをすすめた。
「ここのところ、ろくに風呂も入れなかったからね。さっぱりしてきなよ」
四日間の漂流生活では、ボディ・シートで最低限の衛生を確保することしかできなかったのだ。皮膚が熱い湯に飢え始めるころだった。
「先に入っちゃっていいの?」
シュティは尋ねたが、その質問は形式的なものでしかなかった。こういうとき、アイリィはいつも歳下の親友に優先権を譲って、みずからが先んじて恩恵にあずかろうとは、一切しないのである。
いつもどおりの返答をえて、黒赤髪の生物科学少佐は、おそらくこの部屋だけの特権であろう、備え付けのシャワー・ルームへと消えていった。
広大な部屋にひとりとなったアイリィは、ようやくゆっくりと思考にふける時間をえて、親友が使うもののとなりのベッドに仰向けで倒れ込むと、脳内の回路をこじ開けた。
いったいどこまでが偶然で、どこからが必然なのか。
アイリィはいままでの出来事のなかから、気になる点を洗い出してみた。
一、連邦軍第一艦隊がアルバユリア星域探査作戦のため出動した。
二、アイリィとシュティが一つの士官私室を使用することになった。
三、サルディヴァール号が、もっとも我星から遠いフネドアラ星系の航路開拓を任された。
四、ふたりの士官私室に催眠ガスが流された。
五、艦内の人間が失踪した。
六、艦の航行システムにロックがかけられていた。
七、脱出ポッドが一隻のみ残されていた。
八、脱出後、すぐに可住惑星を発見した。
九、遅くともその三日後、連邦と称する勢力の艦艇群が同惑星に到着した。
これら全てが偶然であるとは、むろん考えられない。ルーレットやコイントスのごとく単純な確率論をかさねて今の結果を導き出そうとすれば、さすがの運命神も過重労働を訴えてサボタージュを起こすであろう。
では、全てが人為的な
アイリィは九つの事象を、各別に検討してみた。
一と三については、艦隊を動かす作戦は軍令本部の掌管するところであり、艦隊各艦の運用は艦隊司令部にゆだねられている。両者を何らかの手段で意のままに操ることができたならば、意思を結果に反映させることは可能であろう。もっとも、今回の艦隊および各艦の運用は一般的な作戦と異なるところはなく、偶然を奇貨として利用した可能性もある。
二は、艦首脳部の判断ということになる。こちらも、意図的に状況の作出が可能であるのは一、三とおなじである。通常ではありえないことである点が、前二者と異なるところだ。
四については、故意であるとしか考えられない。抜き打ちの訓練として催眠ガスが予告なく流されることはありえなくはないが、士官私室一室だけというのは、あきらかに不自然である。
五と七は、六をおこなった上で、艦内の人間全員が脱出ポッドを利用して艦から脱出した結果と考えるのが自然である。ただし艦内の人間すべてを買収する必要はなく、指揮統率する士官さえ意のままに動かすことができれば十分である。
八に関しては、その惑星の存在を知っていさえすれば、アイリィらをその方向に誘導することは、不確実ではあるが可能である。事実、アイリィは自分たちに向けられた悪意の存在を感じて、艦橋に残されていた航跡と逆方向に脱出艇を
九については、連邦という組織がいまだ正体不明である以上、論理的な思考を進めようがない。ただ、いまのところ、という留保はつくが、このヴァルキュリアという名であるらしい艦の人間は、突然の客人に好意的である。
「どうにも、理解できないねぇ」
アイリィは溜息をついた。一連の事象が単にふたりを排除する目的で演出されたものであるなら、睡眠ガスを噴射するのではなく、毒性を有する物質で殺害してしまえばよいはずだ。艦を恒星に突っ込ませれば、証拠など燃え尽きて分子単位にまで四散してしまう。ご丁寧にポッドを残してまで、あえて脱出する猶予を与える必要は、まったくないのである。
では何のために、ということになると、アイリィの高度な思考力をもってしても、迷路の出口にたどりつくことができない。わからないことが、あまりにも多すぎるのだ。
「もしかすると、すべてが完全な計算のもとにおこなわれているのでは、ないのかもしれないな」
と考えてみたが、どうも自分の納得がいかない心情を、強引に説得しようとしている感がぬぐえない。とりあえず自分たちの置かれている状況、連邦という組織の正体がわからないことには…
そう思っているところへ、解答の一片をにぎっているであろう人物が、司令官としての職務をひととおり終えて訪ねてきた。
その淡墨髪の人物は、相手を萎縮させないよう注意を払った、柔和さをこめた表情でいった。
「さ、少し話でもしようか。すまないが、司令官室まで来てほしい」
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