第40話 罠(1)
その晩、ふらりと現れた男の姿を見て、セレスは露骨に顔をしかめた。
「何の用でここに来た」
包み隠さず放たれた殺気が空気を震わせる。肌に突き刺さすような殺気にもまったく顔色一つ変えない男に、セレスは舌打ちとともに吐き捨てた。
「失せろ、お前の顔など見たくもない」
「ずいぶんとまぁご挨拶なことだねぇ。君の身を案じて来てあげたというのに」
「お前に心配されるような覚えは無い。そしてお前は俺を心配などしない。その減らず口、どうにかして塞いでやろうか」
セレスが放つ殺気がさらに増す。びりびりと震える空気に、男はそれでもひるむ様子は無かった。それどころか飄々とした笑顔を浮かべながら、セレスの悪態をさらりとかわす。
「おやおや、いったい何を怒っているのかな? ちょっとした世間話をしに来たんだよ」
「興味ない。さっさと消えろ。迷惑だ」
「まったく、口の減らない……まぁいい、聞いておきなよ、面白い話だから。一応貴方にも関係のある話だしね。 とうとう王宮が動いたらしいんだ。目的は『青の妖魔』討伐――作戦は三日後に決行予定だってさ」
さして求めてもいない情報に、セレスは馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。そうして聞き流すついでに、その世間話じみたものに乗ってやろうとやる気無く問いかけを返す。
「ご苦労なことだ。おびき寄せる餌は魔石か、下級妖魔の類か?」
「いつもならそうだろうね。でも、今回だけは違うんだ。餌は、人間だよ」
「……魔法使いではない、ただの人間が餌なのか?」
ほんわずか、セレスの興味が話のほうへと向けられた。妖魔討伐は大体討伐対象をおびき寄せるため、餌を用意する。それは妖魔が惹かれる魔石だったり下級妖魔だったりするが、人間が餌になるケースは非常に珍しい。餌の安全を護ることが極めて難しく、使われた人間は捨て駒に等しい扱いになるため、倫理的に良くないとされている。 だが今回は人間を餌にするという。それほどに重要な討伐計画なのかと少しだけセレスの興味がひかれた。
「そうだよ。今回の討伐対象は人間に魔力にしか興味はない。だから、人間を使うしかないんだ」
「なるほど。どうせ罪人を使うのだろう?」
「君もそう思うだろう。ところが今回はそうじゃないのさ。妖魔がある少女を欲していることを王宮はつい最近掴んでね。少女に協力を依頼することに――」
ガタン、と大きな音が部屋に響く。思わず椅子を蹴って立ち上がったセレスは食い入るように男を見つめた。カイヤが執着する少女――それは、まさか。
「リリスを餌にするのか……?!」
あってはならない可能性を必死に頭の中で打ち消しながら、そうでないことを祈ってセレスは叫ぶ。その希望は次の言葉で一瞬にして打ち砕かれた。
「君の言うとおり、餌になるのは彼女さ。彼女も危険性を理解したうえで快諾してくれたそうだ」
「嘘だ! リリスがそんなことを承知するわけないだろう!!」
「どうだろうね。これは僕の友人に聞いた話だから。信じるも信じないもあなたの勝手だ。でも、彼女は危ない目にあうかもしれないね」
「……っ!!」
ぎりぎりと、爪が掌へ食い込む。目の前の男を今すぐ切り裂いてやりたい。そんな衝動に駆られるのを必至で押さえながら、一歩、二歩と間合いを詰めた。
王宮が掴んだ情報の源は、間違いなくこの男だ。そうでもしなければ、ぼんくらの集まりの『王宮付き魔法使い』たちがこんな情報を知るはずがない。手の届く範囲までセレスが近づいても、やはり男は微動だにしなかった。その余裕に猛烈な苛立ちを感じながら、男の襟元へ手を伸ばし、掴みあげる。
「教えろ! どこであいつをおびき出すんだ?!」
「セルディティエ草原E‐456、S‐852地点だよ。そうだね……ちょうど君がリリスが再会した、レシティア街道に面するところさ」
「時間は!!」
「日没と同時に作戦開始らしいね。それ以上は知らないよ」
「……っ!!」
知りたい情報を男が吐くと、ようやくセレスはその手を離した。同時に勢いよく壁にたたきつけても、男が浮かべる微笑は崩れない。だが、いつまでもここにいると命の危険があると察したのだろう。男はゆっくり踵を返し、出口の方へ歩みを進めた。
「それじゃ話したい事も話せたし、僕は帰るよ。じゃ、しっかりお姫様を護ってあげなよね、
最後まではらわたの煮えくり返るような台詞を残し、男は去っていった。そのむかつく気配が完全に消えたのを確認してから、セレスは力が抜けたように寝台へ座り込こむ。
「リリス……!!」
ぎゅっとこぶしを握り締め、寝台の縁を叩いた。それでも覚めやらぬ怒りは収まらず、セレスの感情をかき乱していく。
自分に関わらせないようにすることが、彼女にとって幸せだと思った。自分の近くにいないほうが、彼女は安全だろうと思った。だがその結果、逆に彼女を危ない目に合わせようとしている。その自分の浅はかさと考えのなさに、セレスの怒りはさらに増した。
どうして、彼女を離してしまったのだろう。なぜ、自分の傍において全てのものから護ろうとしなかったのだろう。彼女が離れていけばいくほど、セレスが彼女を護ってやることはできなくなってしまうのに。深い後悔がさらに感情をかき乱していく。自分は一体どうしたらいいのか。どうすれば、彼女を護ることができるのか。答えはひとつしかなかった。
自分の手で彼女を護る――それしか、セレスに残された選択肢はないのだから。
セレスのいる宿から出てきた男は帰路をゆっくり歩き始めた。男の口元には、かすかな勝利の笑みが浮かんでいる。
「あんなに簡単にうまくいくとはな。以前の君なら、決して騙されはしなかっただろうに」
嘲りとも哀れみともつかぬ声音でつぶやかれた言葉は、誰に聞かれることなく夜闇に消えていく。先ほどセレスに話したことの半分は嘘だった。本当なのは、『
ある意味では他の部分も間違ってはいない。リリスを餌にし、『青の妖魔』をおびき寄せようとしているのは本当だ。ただし、リリスは餌になることを承知してなどいない。また餌になることも知らない。嘘の情報を彼女のほうへと流し、草原へ来るようにさせることがランディの役目だった。
全てはたった一つの願いを成就させること――そのために裏で情報を操り、意のままの状況を作り出せるように仕向けていた。三日後、全てがうまくいけば、その願いは果たされる。そのためにはリリスが青の妖魔に殺されようが、友人を裏切ることになろうが関係なかった。
「もうすぐだ……もうすぐで我が悲願が叶う……やっと、貴女を攫い、子供を生ませた挙句、貴女を殺した男の子供たちへ復讐が果たせる……!」
ランディの高笑いが深い闇の中に響く。その声音は、すこしずつ狂気が混じり始めていた。いつまでも高笑いを続ける男の姿は、やがて町並みの奥へと消えていった。
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