第24話 拒否

「ねぇ。私に手伝えることって何かない?」


 昼同様にセレスが持ってきてくれた食事を二人で食べていたときのこと。何気ない会話の中に挟んだリリスの言葉に、彼はひどく驚いた顔をした。


「私、セレスにお礼がしたいの。だから、なにかお手伝いできないかと思って」


 きっと、思いがけない言葉だったのだろう。リリスが言葉を重ねても、セレスは黙ったままだった。


「……セレス?」


 リリスが呼びかけても、難しい顔をした彼は口を一文字に結んだままだった。自分は何かいけないことを言ってしまったのかと不安になる。セレスの反応からして、リリスの申し出が快いものでなかった事はなんとなく察せられた。


「ごめんなさいセレス。迷惑な気持ちにさせるつもりはなかったの」


 沈黙に耐えられなくなったリリスの言葉に、セレスはやっと顔を上げた。リリスが謝罪の言葉を重ねると、彼は慌てたように否定の言葉を口にした。だが、それは同時に拒絶の言葉でもあった。


「違う。迷惑などではない。むしろその気持ちは嬉しい。ただ……これ以上俺に関わって欲しくない」

「どうして? 足手まといだから? 役に立たないから? 私が、人間……だから……?」


(今度こそ、繋がりができたと思ったのに。どまた別れないといけないの……?)


 思わず泣きそうになったが、何とかこらえる。言われる前に、次に続けられる言葉もわかってしまった。彼が自分を遠ざける訳――その優しくも残酷な理由を。


「そうじゃない。俺の傍にいれば、おまえは必ず危ない目に遭う。だから一緒には居られない」

「それでもいいの。私は、あなたの助けになりたい。私にできることをしたい。それは……だめなことなの?」


 自分はなんてあきらめの悪い奴なんだろう、とリリスは思う。こんなふうに駄々をこねてもセレスを困らせるだけだ。それなのに、どうして自分はもう関わらないと言えないのだろう。なぜこんなにも彼の傍にいたいと思ってしまうのだろう。目端からこぼれそうになる涙をなんとか抑えて、リリスはセレスの返事を待った。


「……お願いだから、俺にもう関わらないと言ってくれ。それが一番の助けになるんだ」


 その言葉は、リリスにとって一番優しく残酷な答えだった。


(そういわれたら、私は聞き分けのいい、良い子のふりをするしかないじゃない……)


 泣いたら駄目だ。そう必死に自分へと言い聞かせて唇を噛みしめ、嗚咽をこらえる。ゆっくりと一呼吸おいたあと、リリスは精一杯の笑顔を作ってからぱっと顔を上げた。


「わかったわ。セレスがそう言うんだったらそうする。どんな形でも、それがあなたの役に立つのなら」


 セレスは浮かない表情のまますまないと呟いた。彼に気を使わせないよう、笑顔のまま首を横に振る。謝罪の次はお礼を言われて、リリスは思わずくすりと笑った。


「謝ったと思ったらお礼を言うなんて、変なセレス」

「変とは失礼な。俺は十分まともだぞ」

「あら、そうかしら?」


 リリスの軽口めいた台詞から、元の他愛のない話に戻る。それから何事もなかったかのように会話がかわされはじめた。気兼ねのない、ゆったりとした言葉の掛け合い。それは遅いからもう寝ようとセレスが切り出すまで和やかに続いた。


「俺は隣の部屋に戻る。何かあったら呼んでくれ」

「ありがとう。そうするわ」


 リリスが素直に返事をすると、セレスは安心したように頷く。そのまま部屋を出ようとドアノブに手をかけたところで、何か思い出したように彼が振り返った。


「何?」

「いや、その、明日はまともに歩けるようなら宿の近くまで送る。途中までしか行けなくてすまないが……」

「いいの? 送ってくれなくても大丈夫なのに。何から何まで本当にありがとう、セレス」

「礼には及ばない。元々おまえを巻き込んだのは俺だから、それぐらいは当たり前だ」


 リリスはこのとき思い知った。度の過ぎた優しさは他人を傷つける刃物にもなりうるということを。彼の優しさに思わずまた泣いてしまいそうになるが、どうにかこらえて言葉を継いだ。


「ありがとう。もう寝るね。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 柔らかく微笑んでから身を翻し、セレスはドアの向こうへと姿を消す。リリスは作り物の笑顔を貼り付けたまま、その後姿を見送った。



 ――そこまでがリリスの限界だった。


「……っ!」


 溢れ出る嗚咽を部屋の外に漏らさないよう、薄い枕に精一杯顔を押し付ける。軋むように痛む胸はいまにも張り裂けてしまいそうで、涙が止まらなかった。


「……っく、ぅえ……っ」


 彼の傍にいられなくなるだけで、どうしてこんなにも悲しいのだろう。また、元の一人でいる生活に戻るだけなのに。今までも一人でも大丈夫だったし、これからもそうして生きていこうと決めた。それが、自分のあるべき姿だと思っていた。


 それなのに、今は身が引き裂かれそうなほどに悲しい。あの家を出る時も、叔父に見放された時も、ここまで悲しくはなかった。自分にとって、それよりつらいことなんてないはずなのに。


 たった二回会っただけなのに、セレスの存在は思っている以上に大きなものになっていた。自分が何もできないことは分かっている。足手まといにしかならないことも、彼は人間が嫌いだということも。そして、セレスの近くにいればもっと危ない目にあうこともわかっていた。だが、それらをすべて理解した上で、自分は望んだのだ。


 彼の傍に居たい。

 彼のことをもっと知りたい。

 彼の支えになりたい。

 誰よりも優しい彼の傍に居て、同じものを見てみたい。

 彼が私に与えてくれたものを、少しでもいいから返してあげたい。


 自分がセレスと関わらないことが彼にとって一番の助けになるのなら、そのとおりにしようと思った。それは自分を納得させるための方便だと、わかってはいたけれど。



(精一杯聞き分けがいい振りをするし、これ以上貴方を困らせたりはしないわ。だから……今日だけは気の済むまで泣かせてほしいの。明日、別れるときにないてしまわないように)


 泣きつかれて、眠りに落ちるまで。己の気持ちをすべて吐き出してしまうように、リリスは涙をこぼし続けたのだった。

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