第四章 四つの想いは夜空に交わる
第22話 昨夜の記憶
朝の柔らかな日差しがリリスの意識を覚醒させる。重い瞼をゆっくり開けると、見慣れない天井が目に映った。
「ここ……は……?」
半身だけ起こして周りを見渡す。ベッドと小さなサイドテーブルだけが置かれた部屋には見覚えがなかった。服は着替えておらず、いつの間に眠ってしまったのかをよく働かない頭で記憶を辿る。
昨日、街道に現れた青の妖魔に食われそうになった自分を助けてくれたのが、あの男だった。戦いを止めさせるために身を差し出そうとしたリリスに、男は状況を打開する手が一つだけあると教えてくれた。それから――。
そこまで思い出したところでリリスの頬が真っ赤に染まった。意図せず蘇る感覚に鼓動が跳ね上がり、体の体温が一気に上昇する。
男は先に説明できなくて申し訳ない、といっていた。これは魔法使いの契約というより妖魔との契約に近いものだから、と。あの場から逃げるには仕方なかった。それは十分にわかっているのだが。
「一応、はじめてだったんだからね……っ!!」
誰もいないのを確かめてから、リリスは耐えきれず小声で叫んだ。思い出すだけで顔から火がでそうだ。忘れようとすればするほどよみがえる柔らかな唇の感触。リリスを強く抱く腕、耳元でささやかれた甘やかな声音。そのどれもが未だに鮮明な感覚で体の中へと刻まれていて、すぐに忘れることなどできそうになかった。
「ああもうっ! どうしてくれるのよ……!」
「さっきから百面相をして、何をそんなに悩んでいる?」
訳の分からない感情を持て余し、頭を抱えたリリスの声に答えるように声が響いた。弾かれるように顔をあげると、ドアの近くで困惑顔の男と目が合う。
「ちょっ、あなたっ……ノックは……っ!!」
誰もいないと油断していたリリスの顔にさっと朱がさした。単語を並べるだけで精一杯になったその言葉を、男は何とか解読したらしい。うろたえるリリスに苦笑しながら、男はさらりと返答した。
「はじめてが何たらと叫んでいたあたりから部屋の前にいたが、どうも入りづらくてな。入っていいか声をかけたが返事がなくて、仕方なくノックしてから入ったんだ」
「うそ……」
「嘘じゃないが――」
「ぬ、盗み聞きするなんて……!」
男の顔を見ていられなくなり、思わず目の前にあった枕に突っ伏す。彼が盗み聞きするつもりなどなかったのは百も承知だが、あまりの恥ずかしさに思わず非難めいた言葉が飛び出した。
(うう……穴があったら入りたい)
「すまなかった。聞くつもりはなかったんだが」
「そんなのわかってるわよぅ……」
男は全く悪くない。リリスが聞かれて困るようなことを不用心に叫んでいたのが悪いのだ。私のばか、と大きくため息をついてからゆっくり顔を上げると、男は更に謝罪の言葉を重ねた。
「あと、お前のはじめても奪って悪かった」
「わわ、わ、わかってるからっ、そんなこと謝らないで……!」
「謝るのもだめなのなら……どうしたら顔を上げてくれるんだ」
「え……えと、そのっ……」
「俺はどうすればいい?」
真剣な声で聞かれても困る。もともと聞かれて恥ずかしい事を言ったのはリリス自身なので、頭を下げられる理由もない。仕方がないので、リリスはもうどうにでもなれとため息をついた。
「お願いだからさっきのことは忘れて! すぐに全部!!」
「わかった、忘れる。もうさっきのことは何も言わない。だから顔を上げてくれ」
そんな願いも、男は素直に受け入れた。あまりにも一生懸命な声をきくうちに、なんだか笑いがこみ上げてくる。そうしてしばらく軽口を交わすうちになんとか恥ずかしさも消え、ようやくリリスは枕から顔を上げることができた。
(そんなに謝らなくても大丈夫なのに。戦っているときと全然違って変な人……)
「ようやく顔を上げたな。よかった」
「気にしないで。あなたが悪いんじゃないから」
なんだか言いたいことを言ったら少しだけすっきりした。そんなことを思いながら、ベッドから降りたリリスは男を部屋へ迎え入れたのだった。
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