第105話 師と弟子と
「ソラス・キリン?」
「……本人はそう名乗っておられます」
淡々とした口ぶりのわりに、歯切れの悪い言い方だった。
「——お前が探していた例の老人だな。偽名か?」
「……おそらくは」
愛居真咲は断言を避ける。この慎重さは昔から変わらない。
地球が密かに星海連合、超銀河団規模の国家共同体の一員となってから十余年。水面下で準備を進め、一般社会への情報公開が為されてからまだ3年しか経っていない。
7つの超銀河団からなる大星海において、地球は人の寄り付かない辺境の孤島以下の存在であり、かつて若き日のフォルセナ獣王レオンハルトが地球に隠棲していたように、身分を隠し、ひそかに隠遁する異星人が他にもいることは不思議ではなかった。
「……そこで超光速通信機を使わせていただきたいと」
星海国家では当然のように使える
それだけの設備投資を数年で行える企業などまずない。
非公開の段階でひそかに星海連合の存在と加盟に備えた準備を打診された国家公認施設と企業でもなければ、自由に施設を使えない。
悠城想人率いる悠城重工はその僅かな例外だ。
悠城グループ先代総帥、悠城琢磨は40年に渡り、その準備を進めてきたのだから。
その伯父の理想を受け継いだのが、悠城想人。そして愛居真咲だった。
「——お前は、今や我が悠城グループ最大の支援者でもある。私にいちいち断りを入れる必要もない」
老人の正体を調べたいのだろうと推察する想人は、真咲の申し入れを咎める理由もない。
普段から溝呂木弧門には自由に使わせているのだ。
それでもこうして断りを入れてくるのは愛居真咲の性格に他ならない。
悠城重工の造船所の通路を行く悠城想人に対し、真咲は半歩後ろを遅れてついてくる。この姿勢も昔からのものだ。
今はもう想人の頭一つ以上の2メートルの巨体を静かに進ませながら、真咲は決してその前に出るようなことをしない。
愛居真咲は継承した母の実家である紫上家の資産をほぼ全て悠城グループの星海進出に投資している。
紫上の忌み子として疎まれた経緯から生家に関心のない真咲にしてみれば、悠城想人が紫上家を打倒し、その母親の血統を盾に真咲に相続させた資産を全て悠城グループのために使うのは当然の判断だった。その裏で紫上家の一族が何人路頭に迷うことになっても、それを気にすることもない。
悠城グループの星海進出は、同じく星海を目指す真咲にとっても有益な話だった。現にこうやって超光速通信設備を自在に使える立場にある。
「……それと、その方からご教授を得ることの許可をいただければ、と」
それが本命か、と想人は小さくため息を吐く。
「——律儀だなお前は、この4年間ロクに指導もしてないというのに」
「……先生はご多忙ですから」
通路の窓越しに真咲は造船工場内を見下ろす。
その先には完成間近の巨大な船があった。
師、悠城想人が率いる悠城重工の施設で、父、愛居真人が集めてきた異星人技術者の手で、多くの支援者の援助を得て造り出される巨大な光速宇宙船。
完成すれば地球で建造された最初の宇宙船となる予定だった。
もっとも多数の異星人技術者が関与しているため、地球初という冠はつかない。悠城想人はそんな名目に拘るような男でもなかった。
悠城重工にそれだけの設備と技術があることを証明するためのものだ。
足を止め、想人もまた宇宙船を見下ろす。
「——好きにすればいい」
今となっては想人が真咲に教えられることなど残っていない。
自分では満足に何かを教えられた自信もないが、今や頭一つ以上の巨体を備えた青年は、想人が考えていた以上に彼の剣と思考法を身に着けていた。
「私とて護法輪の運営は師父、罪火に学び。葵一刀流は別に師に習い。経営術は伯父に指導された身だ。別に、すべてを誰か特定の師に拘らねばならないわけでもない」
剣術において真咲は想人を師と仰ぐが、指導の大半を葵道場に任せた以上、言うなら弟弟子の方が近い。
「宇宙での装機での戦い方など教えようもないしな」
ここからは悠城想人にとっても未知の領域だ。
護法輪という霊能者の組織をまとめ上げ、反対するいくつもの家系を潰して糾合し、その全てを一つの目的に向けられるように作り変えた。
そして悠城重工を始めとする悠城グループ総帥として、星海進出に向けて人材育成と事業開発を進めてきた。
愛居真咲はその象徴。
護法輪を支えた八聖家の血統の集大成にして、鬼の血を引く最強の戦士。
そして星海進出の意志とそのための必要な知識と戦うための機体の備えを終えた悠城想人の理想そのものだ。
「ただ、お前が望むとおりにするがいい」
「——それが俺たちの道になる」
これからの真咲がどう成長し、何を残していくのか。
それが楽しみだった。
そしてその道に続くのは、想人の息子たちだ。
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