第90話 最前線

第三重征師団旗艦スレイドルの艦橋に映し出された戦場の様子にティリータは絶句する。

映像の中で、彼女も知る紅零機ゼムリアス=ゼルトリウス公子の乗騎が、次々に装機を屠り、剣の一振りで艦隊をも切り裂く姿を前に怯えた。

「ウォル……」

右に立っているはずの側近に振り向いたはずのそこには誰もいなかった。

思わずあたりを見回し、反対側にいるもう一人の側近であるメルヴェリア・ハーレインと目が合った。

かつての家庭教師は、ティリータの困惑を見透かしているかのように頭上を指さす。

「あの人ならそちらです」

彼女が指差した先は天井。照明以外は何もない無機質な金属の集合体だ。

だがその天井から無数に折り重なった内壁と外壁の先、宇宙に面した艦上に、鎧将ウォールドの駆る軍将機、ディンブルが立っていた。

その装主席に先ほどまでの軍装姿から一転して戦闘服を纏った鎧将ウォールドが座す。

いつの間に、どうやってそこに移動していたのか、ティリータにはわからなかった


「は、離れたほうがいいのではないでしょうか」

震える声で残ったメルヴェリアに問いかけ。

そのすぐ後に恥じた。

自分で覚悟があると、つい先ほど言ったばかりなのだ。

メルヴェリア・ハーレインは気にしなかった。

彼女にしてみれば、戦場を知らないティリータが危険が近づくことに怯えるのは当然のことだった。むしろ、ここで意地を張られた方が困る。

「すでに移動中です」

だから、まず状況の説明から行った

「開戦当初から本艦は、常に戦場に対して一定距離を置いて位置してきました」

え、と思わぬ言葉に、ティリータは家庭教師の顔を見上げた。

艦が動いているとすら思っていなかったのだ。

「残念ながら、本艦は最大でも超光速が限界。ゼルトリウス公子が戦線を押し上げて来ている状況では全速後退でも逃げ切れません」

メルヴェリアは平然と戦局図を操り、この数十分における戦場の推移を再現する。

神速騎士であるゼトがスレイドルに向けて突進を続け、超光速が限界の軍将以下超光速騎士が何とか追いすがる姿。

そしてスレイドルと紅麗機ゼムリアスの間に立ちはだかるベルウッド公爵率いるバルト艦隊が数を減らしながらもなんとか戦列を維持する姿だ。

「ずっと、動いていたのですか?」

「もう覚えていないでしょうけれど。比較対象物のない宇宙では、彼我の位置関係の把握こそが極めて困難で、一番重要なことだと、昔教えましたね」

惑星間航行に関する講義など、興味が無くて忘れていた。


ナーベリアはフェーダ銀河とアウェネイア銀河の間に横たわる何もない宇宙。

星界において海と称される虚空空間だ。

ナーベリア海には何も基点となるものがない。

遥か彼方に長距離望遠機能で観測可能な銀河があるだけの宇宙。

ここでは、計器の助けなくしては自分がどこにいるかも、今どうなっているのかすらわからない。

ましてスレイドルのような上級艦は、外部からの影響を完全に遮断できる。


「こちらへの助けは無いのですか?」

「先ほど、ドナウ艦隊の救援にバルドルたちが向かったばかりですよ」

ティリータの言葉に、メルヴェリアは苦笑気味に答えた。

教え子が自分の置かれている状況を正しく理解していなかったことなど気づいている。それで何の問題もなかった。

形式上は主君ではあっても、実戦場での指揮権は彼女と夫のウォールドが保有している。状況を把握し、対処するのか彼女の役割だった。

そしてそれも息子たちに一任している。

メルヴェリアは艦内の機能を操り、彼女たちのいる観覧席の保護障壁の一部を解除する。

スレイドル艦橋内で、ティリータのいる観覧席と艦の運行を司る戦闘艦橋との不可視の遮断壁が解放され、その途端にティリータの耳に無数の声が飛びこんできた。

スレイドルの艦長、戦術予報士、航法士、通信士。

艦の運用時代は戦艦の思考結晶とその専門の従事者たちの仕事だ。

だからメルヴェリアは今まで彼らに何の指示も下さず、またその姿をティリータに見せることもしなかった。

「気づいていなかったでしょうけれど」

繰り返すが、メルヴェリアに悪意はない。

彼女の主君はこれが初陣なのだ。

何事も経験なのだと、段階を踏んで一つずつ自覚させることが重要だと考えていた。


「ここは戦場です。最初からね」

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