第18話 風のララバイ

十年前


 風が吹いている。透明な風が。透明でも空に向かえば青く、視線を地平線に合わせれば、ネープルスイエローのような黄色い風なのかもしれない。

 季節も三月に入ると、冬の寒さの厳しさから春の喜びが混じってくる。日高京子は春日部市立東雲中学の四月から中学三年生になる。京子の身長は百七十センチメートルである。突出した高身長はそれなりのコンプレックスを京子にもたらしていた。身長を生かしてというか、バレーボール部に入ってポジションを得ているが、幼なじみは皆そんなには背が高くはなく、連れ立って映画を見に行く時もなにか照れてしまう、そういうコンプレックスを持っていた。今日も一人古利根川に沿って歩いていた。今日は三学期の終業式で、部活は無く、明日から春休みという事ですることはあまり無く、家に帰って着替えて友達と春日部駅西口のデパートに服でも見行こうと約束をしていた。

 中学の校庭前の道路はそれなりに車の通行量が多く、京子は左に寄りながら南の東武野田線の踏切前まで歩こうとしている。大落古利根川の川沿いで、踏切の向こうは土手沿いに桜が緊密に並んで植樹されていたが、踏切以北は桜はそう多くは無い。季節のぬくもりが桜の花を三分咲きとしていた。京子は古利根川の水の佇まいに季節を満喫する充実感の中で四月から始まる中学三年生の生活を考えていた。

 「来年は受験。高校はどこに行こう。隻葉だと偏差値高いし、東雲だとちょうどいいけど、清和だと勉強が楽だしなぁ」と、高校受験の勉強のモードに中学の受験はなるので、どうしようか、と悩んでいた。もう一つ、悩みではないが、学校で靴を履き替えるとき、隣のクラスの高橋君に話しかけられた会話の記憶を思い出していた。

 「日高さん、どこの高校行く?決めた?」

 「えー、隻葉か東雲か清和、滑り止めで育英、かな。」

 「そうなんだ、ボクは清和高校、滑り止め育英だよ。清和高って美術部がすごいってんで、それで清和」

 「高橋君で美術部だったっけ?」

 「いや、テニス部なんだけど、将来は絵を描く仕事したいなぁって思ってて」

 「ふーん、もう決めてるんだ。私は高校行って遊びたいだけかなぁ」

 「ボクは作品を作るのが好きなんで。じゃぁ、またね」

 「あー、うん。またね」

 高橋君はなかなかの美少年で、隣のクラスの女の子の間でもカッコイイと話題に出る男の子で、去年の秋に授業で描いた水彩画が市の展覧会で金賞を取ったと言うので、絵を描く事に自信を持ったのだろう。好きとか、嫌いでは無いが、他人の事情とはそういうモノか、と思いながら京子は自分は将来どうするか少し考えてみたが、なりたいモノが何もない。ただ、ミンナが行くから高校へ行くと言うだけであって、確固たる意思のようなモノは京子には何も無かった。

 一人、春の陽気の中を歩いて帰る。風が吹いていた。春の陽気の中に京子は青春の入り口に立ち、茫漠とした未来を考えながら歩いて行った。揺れる心、ときめく出会い、高校受験、様々な思いを描いて帰路を歩く。ふと未来を思い描いて頭の中に言葉が浮かんだ。 「十年後、私はどうなっているのだろう?十年経って、今の私を私はどう思うのだろう?面白そう」

 不意に十年後、と言う愉快さが京子の中に湧いてきた。一人微笑みながら、鞄を持ち直し、春の夕暮れにはまだ早い午後をゆっくりと帰路についた。


十年後

 

 風が吹いていた。やはり透明なぬくもりのある風だった。空と地平に目をやれば、透明な風にも色が付く。やはりネープルイエローのような春の風だった。

 京子は十年後の今日も、久しぶりに母校の脇を抜けて、家へ帰る途中だった。インターネットの情報で図書館でCDを借りる、と言う行動を知り、今日久しぶりに春日部市立図書館にCDを借りに行った帰りだった。十年前と同じ、いつもの何気ない散歩であった。 京子は結局、少し受験勉強を頑張って春日部東雲高校に入学した。高校でも、それなりに勉強に頑張り、部活はやはりバレー部だったが、高校に入って友達が出来て、その子は文芸部に入って小説を書いていた。友達に引っ張られ、バレー部の合間に文芸部にも顔を出すようになって、読書や文章を書いて世界を構築する楽しさを覚えた。三年間、頑張ったおかげで、明治大学の文学部に現役合格した。高校生で文字を取り扱う仕事に就いても面白いかな、と思ったので、大学で文学を専攻しようと言う決意で受験勉強に取り組んだ結果であった。

 大学では様々な経験をし、同じ文芸サークルの先輩と付き合いもしたが、結局は先輩の卒業とともに消えた恋でもあった。やがて京子も大学を卒業し、神保町のあまり大きくない理工系の出版社に編集者として就職した。折からの出版不況で、三年務めた出版社も倒産し、職を失った京子だったが、出版系の付き合いの中で、編集者とライターを兼業で個人事業でやってみようか、と思いながら失業の状態にいた。

 春日部市立図書館から大落古利根川の脇を抜け橋を渡り、東雲中学の校庭前を通り抜け、京子は十年前に思った事が不意に脳裏に甦ってきた。既視感とも思うほど、十年前、青春の入り口に立った、あの頃の未来は、今京子の手元にある。

 「うーん、十年経ったかぁ、随分長かったなぁ、遠くへ来たんだなぁ」と思った。

 風が、空が、花の匂いが、水の佇まいが京子を十年前へと引き戻す。ちょっと気になっていた高橋君は高校を出て随分と早く結婚して、イラストレーターになったと、風の便りで聞いた。

 「色々な人がいるなぁ、私はどういう人になったらいいだろう」と思った。実家住まいだから、とりあえず切迫はしていないが、失業の間延びした生活には飽きていた。

 ゆっくりと歩いて、自動販売機が三台並んでいる所へさしかかったとき、ふと整理されていない思考が整理されて、一つの道ができる様に感じた。

 「あっ、そうか、ライターと編集をフリーでやればいいのか、東京へ出よう」と。

 編集のスキルは三年と短いが、ライティングと編集で仕事はまだまだ東京には一杯あると印象が着いていたので、不意に失業してしまった整理されていない思考から脱却した。

 「十年経って、この道でこうなったか。また十年で歩くときは子供連れがいいな」と考え、ゆっくりと南へ歩いて行く。

 「あの時は青春の入り口だった。私は今、青春から人生の中を進むんだわ、楽しい事も悲しい事もあったけど、歩いて行くしかないんだわ」

 十年前と同じ、温かくて透明な風が京子を包む。桜はまだ、つぼみのままだが、陽気は春のぬくもりだった。京子は大落古利根川の水面を眺めて、決意を新たにし、歩いて行った。

 風は透明で、温かく、桜は咲く準備をして、菜の花は黄色く川の土手を包んでいた。


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カレイドスコープ・ワークス 中島英樹(ブルーアイリス) @blueirisr8

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