第17話 リヴァーサルフィルムの向こうに3

 その日、竜野佳樹はどうしたものか、と考えていた。

 2月中旬の土曜日、天気予報の通りに雪が降っていた。大雪になる、と予報では言っていたが、「たいして降らないだろう」という楽観で昨日の夜は過ごしたのだけれど、今日になって雪の降り方は10年に一度あるかないか、と言う降り方をしていた。

 去年、館山のバス停で知り合った冴谷百合と今日は秋葉原の昭和通り口の日比谷線へ降りる階段前で待ち合わせをしていた。屋根から外れれば、外は降り積もっていく雪で視界は大分悪くなっていた。

 今日、待ち合わせしたのは横浜の山下公園に係留されている氷川丸を訪ねて、百合をモチーフに船と美少女、と言うテーマで写真を撮っていこうと言う事だった。百合のスケジュールの都合上、この土曜日がいいと言う事だったのだが、悪天候というアクシデントは想定していなかった。

 待ち合わせ時刻はもうすぐ、吉祥寺に住む百合は総武線でJRからやってくる。百合は想定どおり、総武線のエスカレーターから百合はやってきた。スカイブルーのロングコートに白いセーター、キュロットスカート。長い髪をなびかせて、百合は改札を抜けた。

 「こんにちは、時間通りに来ました。JR、雪で遅れるか、と思いましたが遅延しなかったわ。よかった」

 長い髪を両手で振り払う様に後ろに回し、いつ見ても澄んだ綺麗な瞳を佳樹に向ける。目を合わせると、佳樹は照れて目をそらしてしまうのもいつもの事だった。真正面で百合の美貌と対峙できるのはカメラのファインダー越しで、と言う事になっていた。

 「待った?」

 「そんなに待たなかったけど、この雪だろう?どうしようか、中止にしようか、でも雪の中での撮影も面白いのかもとかぐるぐるしていたよ」佳樹は照れながら言う。

 「いいじゃない。雪の中の氷川丸なんでしょう?幻想的な写真が撮れそうじゃない?」

 「確かにそうなんだけど、この雪だと億劫に思えて」

 「それで芸術家と言えるの?」

 「ん…。まぁそうです」

 「行きましょう、日比谷線で行くの?」

 「ああ、中目黒で東急東横線で元町・中華街行きに乗れば横浜で乗り換えなくて済むけど」

 「じゃぁ日比谷線で行こう」百合はウキウキした様子で階段を降りていく。「うれしいんだな、それはわかる。雪でもオタつかないのかなぁ」と思いながら、百合の後ろを浮いていく佳樹。頭の中で描いた通り、日比谷線で中目黒に行き、東急東横線の元町・中華街行きに乗り、程なく昔の横浜の中核だった街、元町に着いた。

 「お昼だけど、撮影は午後にして中華料理が食べたいなぁ」と百合と呼び捨てにする仲に成って少々わがままがでるようになった百合であった。それでも甘えられている実感が佳樹にはあって、まんざらでも無く雪の中華街で百合の気に入った店を探した。百合が選んだのは四川料理の店で唐華楼という店だ。本場の四川麻婆と刀削麺が売りらしく、百合はそこが気に入ったようで、どんどんと店の中に入っていく。あまり明るくないウェイトレスの接客を受けて、中程のテーブル席に座った。百合は早速ランチの四川麻婆のセットを頼み、佳樹は刀削麺を頼むようにせかした。

 「え、俺も四川麻婆食べたい、刀削麺なの?」

 「両方食べるから分け合いましょうね」

 「ああ、わかりました」

 少々の待ち時間の後、二人は刀削麺と四川麻婆をお互い味わった。感想は「そんなに辛くない」とか「食べ応えがあるね」だった。店内からガラス越しに外を見ると雪はますますひどくなり、3メートル先も見えないほどだった。

 「えーっと、雪だけど、氷川丸に行きます。準備はいいかな」

 「いいわよ」とナプキンで口 を拭きながら百合は言う。中華街を出て、本町通りを横切り、山下公園に入る。右手に日本郵船氷川丸がある。雪は積雪5センチと行ったところ。滑らないように歩くの注意が必要だった。

 山下公園に出ると、人影は無く、白い雪の絨毯が広がっていた。氷川丸は入場は可能なようだった。明かりがついている。近寄って、営業はしているのを確認し、それでも周囲を見渡しても誰も居なかったが。

 デッキを登り、氷川丸の船内に入ると、奥まって受付がある。入場料を払って、半券とパンフレットを貰い、船内の案内板に従って中を漂うように二人は入っていく。パンフレットを読むと戦前に作られた貨客船で、シアトル航路に就役していたようだ。二人はその歴史の重みと現代には見られない静謐な空間に魅了された。

 「すてきね」

 「ああ、やっぱり来てみるモノだね。こんな感覚に陥るのは、普段の生活じゃまず無いよ」と佳樹はいいながら、カメラケースからカメラを取り出した。今日は初心に帰ってニコンのFM10にした。AFでざっと撮るより、丁寧にマニュアルフォーカスを楽しみたかった佳樹だった。リヴァーサルフィルムはPROVIA100Fにした。高品質な万能感のあるスペックの選択であった。

 船内には誰もおらず、二人の為に貸し切りになったようなモノだ。雪のせいか、外界の音も船内の音も無く、静かな世界に二人だけだった。

 一等食堂から階段を上り、一等社交室をぐるりと巡るときに、まずバストアップで百合を丁寧に撮った。少し顔を回して、もう少し引いて、上半身と部屋の関係のバランスを取りながらもう一枚撮影した。

 「素晴らしい内装ね。こんな船でアメリカに行ってみたいものね」

 「うん、そうだね。飛行機だと点と点の世界だけど、船で海外へ行くって、線をずーっとなぞらえて行く事になるから、思い出作りにはいいかもしれないね」

 「ねー」

 一等社交室を抜けて、氷川丸の歴史を写真と文章の解説で説明している展示室に出た。戦前、戦中、戦後と激動の歴史を抜けてきた重みがある展示だった。

 佳樹は展示を静かに眺めている百合を見て、ふっと頭の中を妄想が巡った。百合とこの氷川丸で冬のシアトル航路をハネムーンで旅行する、二人の未来を。もちろん氷川丸が現役に戻る訳でも無く、また百合とも今後はどうなるかはわからないのだけれど、佳樹は百合とのハネムーンを妄想するという事に自分自身で少し驚いてしまった。

 「百合、今君を見て妄想してしまった。君とこの氷川丸でシアトルまでハネムーンに旅立つことを。それは冬の旅で、シアトルに近づくにつれ、こんな雪の中を氷川丸で君と僕は未来へ向かう、そんな妄想をしてしまった」

 その言葉を聞いて、視線を展示に向けて百合は笑った。

 「あはは、いいんじゃない。こんな素敵な船でハネムーンなんて、実際あったら素敵よね」

 「そうだね。うーん日本から船で世界へ出るって、無いことはないんだけどね」

 「へー、どんな船?」

 「えーっとたしか、ちょっと待って、スマホで調べて見る」

 「うんうん」

 「えーっと、日本 海外航路 旅客 で検索かな」

 とスマホを操作してブラウザで検索結果を見る。

 「あれ、ロシアと中国と韓国しかないね」

 「アメリカは無いのね、ロシアも素敵じゃない、雪のロシア。幻想的に思えるわね」

 「ロシアのウラジオストックって軍港だよ、味はあるけど、ちょっと違うような気がする」

 「えーっと、雪だけど、一旦屋外へ出て船長室行ってみる」

 「そうそう、船外で雪にまみれて一枚撮って」

 「外は寒いよ」

 「平気よ、コート着てるから」と、階段を上ってデッキに上がった。デッキから見る横浜港は向こうにわずかに大桟橋が認識できるが、横浜ベイブリッジは見えてこない。雪は横殴りにちかい強さになっていた。

 「じゃぁね、私海を見るから横顔を撮って」という。手すりに寄りかかり、顔を海に向けた。視界3メートルで雪の舞う中の撮影である。色の白い百合がさらにか弱く見てくる。ファインダーでそのはかなさが雪と同じように溶けて消えてしまいそうな繊細さを佳樹は見て取る。思い切ってシャッターを切る。この繊細な感触をカメラは上手く切り取ってくれただろうか、現像を見ないとわからないが、デジカメで即座に見るわけではないフィルムカメラという手段は、佳樹と百合に共通しての趣味と娯楽であった。

 「じゃぁね、雪の中の正面の私」

 と百合は手すりを背にしてもたれかかり、デッキ中央付近に居る佳樹に向かって、右手で髪を抑えながら、左手は胸元の襟を閉じるようにポーズを取った。そこで百合の瞳をファインダー越しに見た。最初出会ったときと変わらない澄んだ強い瞳がそこにはあり、雪のもたらす幻想性は百合をまるで雪女の様に妖しく見せていた。百合は自覚があるのだろうか、リクエストに応えてシャッターを切った。いいポートレートが撮れる予感で、佳樹は震えた。クライマックスが終わって、船長室で一枚、デッキを経由して下におり、三等客室を経て、機関室を越え、出口へと出た。

 「素晴らしい体験だったわ。雪のおかげね」

 「デッキでの君の一枚、あれは良く撮れていると思う、君のセンスに引っ張られた形だけど、いいと思う」

 「これからどうするの?解散?」

 「いや、勇気を出して言うと、今日君を帰したくない。みなとみらいのホテルに泊まろう。この雪で家まで帰るのが辛い、それと…。君を愛したい」

 百合は含み笑顔で静かに言った。

 「いいよ」

 「みなとみらいまでタクシーで行こう、本町通りまで出れば捕まるのでは」

 「寒いよねー」と、二人は山下公園の白い絨毯に足跡をつけて歩いて行った。

 雪はその二人の足跡を消してしまう勢いで、降り続いていた。

 まっさらになった雪の降り積もる世界は二人の秘密すら覆い隠すほど、白い静寂をもたらしていた。


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