第53話「三人で温泉に入ることに……」
眠ってしまえば疲れも取れ嫌なことも忘れられると思っていたのだ。
……が。
背中に柔らかな重みが勢いよくのしかかり、ふて寝すらさせてはもらえない。
「ぐふっ……。疲れてるんだよ……ゆっくり寝かせてくれてもいいだろ?」
「お風呂に入ってから寝ればいいにゃ!」
「私もそのままお風呂にも入らずに寝るのはどうかと思うなぁ」
「じゃあ先に入ってくればいい。上がったら起こしてくれ、それまで横にさせてくれ」
「駄目にゃ。主をほったらかしにして従者が先に贅沢するなんていけないと思うにゃ」
「ユイナと一緒なら問題ないだろ?」
「アーニャよりは先にゃ。それはいけないにゃ」
「変なところだけしっかりしてるのな。わーったよ、さくっと入ってっ来るから寛いでてくれ。ユイナ悪いが、先に入らせてもらうわ」
「う、うん」
昨晩の事を思い出しての事だろう。
なんとも歯切れが悪い。
「スペラもこれで文句はないだろ……ったく。面倒だな」
「満足にゃ……にゃにゃ」
結局埒が明かないので先に温泉を味あわせていただくことになったわけだが、心配事は常に絶えない。
前回とは違い、今回は先にお風呂に行くことを明言しているので、思わぬ乱入騒ぎになることはないだろう。
寝室から出て広めの脱衣所で纏っていた装備を脱ぐと、扉を開ける。そこには大理石で作られた立派な浴槽に、獅子の口から源泉かけ流しの白く濁った温泉が溢れだすように常に流れ出していた。
広さは屋敷の温泉に比べればかなり狭いが、10人位なら一度に入れそうな広さはある。
だからと言って男が一度に大勢入ることなど想像したくはないけどね。
入れるのと入るのとは同じようで全然違うから。
肩まで湯船につかり、足を延ばしても余裕があるとところが最高に気持ちがいい。
みるみる疲れが癒され擦り傷などが無くなっていき、失われた魔力が回復してくる感じがなんとなくわかる。
この世界の温泉というのは元の世界の健康にいいというのとは根本的なところからして違う気がする。
身体にみなぎるエネルギーといい、ステータスそのものの向上さえ感じ取れる。
温泉に入るだけで強くなれるなら、万々歳だがこれだけ立派ならば庶民や貧乏冒険者じゃ手が出ないのだろう。
「まじで、効果あるみたいだなー」
つい口から出た独り言。
「じゃあ、試しているにゃ!!」
独り言に対して応える声が浴室に反響する。
もともと装備自体が裸みたいなものなのに、目の前にはその申し訳程度の装備する外した猫耳少女が俺目がけて走ってくる。
「ちょっ!! 走るなよ、危ないだろって入ってくるなよ!!」
「にゃにゃにゃ!!」
湯船にあと一歩と言うところで盛大に滑って俺目の前に勢いをつけた強烈な、柔らかな弾力から繰り出される一撃を叩き込まれる。
本来は人目に触れることのない身体の一部をドアップで顔面に受けて、そのまま湯船に沈んでいく。
幸か不幸かドアップ過ぎてよく見ることは出来ずなんだかよく分からかった。
しかし、柔らかい感触は未だに残っていて気が気ではない。
自分が湯船に頭から浸かっていて、今溺れているという事実が頭に入ってこない。
「もが、ぶくぶくぶく」
どけと言ったつもりなのだが水中ではもちろん伝わることはなく、頭の両脇は太ももでホールドされていて脱出不可能。
本当に勘弁してほしい。
こんな状況で溺死なんて全く洒落にならない。
スペラは両足の太ももに態と力を込めているらしい。
恐らく逃げられるのを防ぐことを目的にやっているのだろうが、方法を考えろと言いたい。
このままでは本当にまずいのでこのまま、勢いよく立ち上がる。
こうなることは予想できたのに、敢えて思考停止していた自分が悪い。
悪いのだがどうしようもなかった。
ユイナに目撃されるまでの僅かな時間までは……
「アマト、これはどういう状況!? これは流石にないわ……ないよね?」
スペラの太ももの間からユイナが何を言いたいのか理解できた。
ユイナはタオルで身体を隠しながら、浴槽へとゆっくりと向かってきた。
正直なぜ、昨日の今日でわざわざ俺の入っているうちから浴室に入ってきたのか理解ができなかったが、今はどうでもよかった。
何故なら俺の大事なところはスペラの頭が隠しているという、最悪な状況。
これは一種のギャグかなんかなら良かったのだろうか、よくないだろうなぁ。
スペラは俺に正面から突っ込んだので、幸いにも眼前で直視されるなどという公開処刑にはならなかったのだが、俺は見ちまったんだよと居た堪れなくなっている。
今も予断は許さないのだが。
ユイナと目が合ったまま視線を逸らすことが出来ない。
(怖い……なんでいつもユイナにびくついてるんだろ……)
「とりあえず、俺を解放しろ、スペラ……」
「しょうがないにゃ……」
スペラはユイナの表情を見るとあっさりと床に足をつけ、頭を上げる。
「にゃにゃにゃ!!」
スペラの目の前には俺の見られたく場所が……。
それよりも目を逸らすなり、顔を赤くするなりせずに興味津津といった具合にまじまじと見つめてくるので恥ずか差のあまり湯船にドボンと浸かりなおした。
「あー……」
猫耳少女はがっかりしたように耳がしなり、不満げな表情をみせて上目づかいでみつめてくる。
(そんな表情をされても困るんだが、まじで勘弁弁してくれ)
「アマトあっち向いてて……」
助け舟ってわけでもなさそうな口調でユイナにこっちを向くなと言われた。
だいたい想像はできるが、まさか。
人が湯船に入る音がする。
そのまさかだったのだ。
「もういいよ」
律儀にもタオルを湯船に着けない為に、俺に向こうを向いているようにいったのだ。
今のユイナは恐らく何も身に着けていない。
昨日の今日でまた同じ湯船に浸かる日が来るなんて思いもしなかった。
昨日と違うのはスペラも一緒に温泉に入っているという事だ。
これだけの広さがあるというのに、なぜこんなに密着してるのだと思う。
「だから抱き付くなって、広いんだからさ。もっと離れて入ればいいだろう?」
「ここがいいにゃー。アーニャといると癒されるのにゃ」
「アマトも困ってるでしょ! 離れなさい!」
「ユーニャもミャーがお風呂に入るって言ったら、慌てて追いかけえ来たのにゃ。本当はユーニャもアーニャにしがみつきたいと思ってるのにゃ」
「そ、そんなことないわよ!!」
スペラとは反対に顔を真紅に染めるユイナはぶんぶん顔を横に振って、激しく否定する。
どっちにしてもこの状況は変わらない。
新技の餌食になるタイミングが綺麗に無くなったのが救いだ。
「それなら、アーニャはミャーが好きにしてもいいって事にゃ。わかったなら、ミャーのすることに文句を言っちゃいけないにゃ」
「いやいや、俺が良くないから。何しれっと話、進めてるわけ? スペラも離れてくれ暑いから」
「お風呂は暑いくらいがちょうどいいにゃ」
何かとかこつけて抱き付いてくる猫耳少女。
抱き付き癖でもあるのかと思えば、そうでもないらしい。むしろ認めた人間以外は近寄りもせずに一定の距離を置いている節がある。
「どうでもいいから離れてくれ、マジで頼む。ユイナが怖いんだよ」
「私は別に気にしていないから。何とも思ってないから。これっぽっちも思ってないからね」
激しく気にしている様子がひしひしと伝わってくるが、なぜこうもお怒りになっているのか理解できない。
満面の笑顔の奥に怒りが見て取れるのがなおさら怖い。
「またまたー。本当はアーニャが構ってくれなくてうずうずしてるのにゃ」
「ちょっと!! 何言ってるのよ!! もう離れておとなしくしなさいって!」
我を忘れてスペラを引きはがそうと乗り出してくるユイナは、あまりの激しさ湯船から立ち上がっていることもあり、いろいろと見えてしまっているが本人は気づく様子もない。
普段は冷静に周りをよく見ていて、恥じらいもあるというのにどういうわけか俺が風呂に入っているのに乱入してきたり、スペラを引きはがそうとムキになったりとなかなかどうして熱い一面も持ち合わせている。
それよりも、この状況はどうするのが正解なのだろうか。
このままではスペラが離れた瞬間我に返ったユイナに殴られる。
スペラに頑張ってこのままくっつかせておいても俺の未来は複雑怪奇になるだろう。
俺はおもむろに両手をパンと叩いた。
「二人とも向こうを向いててくれ!!」
突然の提案にユイナとスペラの取っ組み合いは終わりを告げる。……と当時にユイナは再び顔を真っ赤にして顔を隠すが俺はそこじゃないだろうと思ってしまった。
もう、わかってるんだから……。
「み、見た!?」
最悪だ。
俺はこの展開は流石に予想していなかった。
何故かと言えば、いまだに継続中だからである。
見たというのは、すでにその場面が終わってしまっていることに対してであり、目の前には顔を両手で隠し固まっているユイナが立ちすくしている。
という事は見た見てない以前に今も見えているという事。
「見てない」
俺は嘘をついた。
「本当?」
「あ、ああ。湯気とかで見えないなぁ……」
「そうよね……」
安心したようにユイナは手をどけようとした。
これは非常にまずい。
俺は咄嗟にユイナの両肩を掴みくるっと180度回転させ、明後日の方向へと向かせた。
ユイナの肌はすべすべしていて、思わず息を呑んだ。
素肌の感触を掌で味わって、罪悪感というか背徳感というか邪な感情とは別に高揚感のような感情が一番強かったのだと思う。
「ユーニャの胸は大きくて大変そうだにゃ」
スペラはユイナを正面から見て素直な感想を言ったのだが、それはばっちり俺達が見ていたことを暗に語っているわけで、仮に見ていなくとも俺には伝わった。
「あっ!!」
余計な事を言ってと思うのもつかの間。
ユイナは恥ずかしさから感情が昂り同じ方向に回転し、こちらへ向き直る。
俺は掴んでいた肩から手を離してしまったため、限りなく零距離で向き合うことになってしまった。
すると、ユイナは正面から俺にしがみついた。
密着するふくよかで柔らかな胸の感触を直に感じる。
心臓のドクドクという心音が伝わってくる。
「こ、こうすれば見えないでしょ!!」
何を言い出す兎さん。
「そうだね……見えないね。何も見えないよ」
俺は目の前が真っ白になる。
生きている間にこんな経験ができる何て思いもよらなかったが、刺激が強すぎる。
「ユーニャばっかりずるいにゃ!!」
ぎゅっとスペラも俺に飛び乗ってしがみつくが、かすかに柔らかい感触が伝わるのだが胸なのかどうか判断はできそうにない。
それでも、やはり女の子なのだとは分かるのだけれど。
そんなこんなで俺達は時間が止まったように立ちすくんでいた。
次第にどうにでもなれ何て思いつつもゆっくりと湯船へと体を沈めていく。
暑さからか、恥ずかしさからか皆顔を紅く染めていた。
もうそろそろ、上がりたい。
これ以上入っていたのではのぼせてしまう。
体をろくに洗いもせずに、傍から見ればいちゃこらしていただけのような気もするが、俺は一人前に出ると浴室から出ていく。
勿論しがみついていた二人は白く濁った浴槽内で離れていただきました。
脱衣所には前もって用意されていたであろうバスロープを素早く来て、寝室へと向かう。
バスローブの数が人数分ピッタリ用意されていたのは、やはりサービスにに定評があるからだろう。
恐らく、最初からこの部屋に泊まることも想定されていたのだろう。
最初のフロントのやり取りもここしか空いてないので、気兼ねすることがないようにという配慮だったのではないかとさえ思ってしまう。
俺は、こんどこそゆっくりと眠りたいものだとベッドに横になっていた。
二人はまだ戻ってこないうちに先に寝てしまうのは悪い気がしていたが、猛烈な眠気に勝てずそのまま眠ってしまった。
これで長かった異世界生活の3日目も幕を閉じるのだった。
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