第6話 ある獣に課せられた宿命

「状況の報告を、二枚目のジョーカー」


自分の目の前に立っている校長が静かな声で言った。


校長とはいえ、まだ人間の基準にすれば三十代後半と言うべき容姿で、一児の父親だ。それでも長く……月夜先生がこの街を捨ててから随分と長くアリスに代わってこの街を治めてきた校長の一人だ。


校長、という仕事はこの臥木においては外と大分違う意味合いを持つ。ただの教育機関の長では無く、臥木における歴史保護……即ちそこに住む人間を教育し、管理する立場である教師の長である。


臥木には五つの学区がある。中央のハート、東のスペード、北のクローバー、西のダイヤ。そして入口のある南のジョーカー。


それぞれに校長がいて、アリスが居ない場合は彼等があらゆる事を評議し、この街を治める。そういうルールになっている。


目の前のジョーカー区の校長、巳浪棗みなみなつめが怒る理由も分かる。アリスが帰ってくる、というのは彼らにとってこの街を治める権限を本来の主の元へ返すことなのだ。


それを重荷を捨てられて有難いと思う者もいれば、権力を失うことと感じる者もいるが……目の前の上司は前者の思考だった。


「この街に入った途端、夢魔が一家の乗った車に襲い掛かり、当代のアリスであった月夜先生、その妻である結夢さんが……呪いにかかりました」


夢魔、と聞いて巳浪は盛大に舌打ちをした上で自分の頭を掻きむしった。丁寧に整えられたミルクティーのような色の髪が乱れて無造作に伸びた前髪が額へ垂れる。


「呪いの種類は?」


「眠り姫型とのことです。調査の結果、元は死をもたらすものであったそうですが、咄嗟に結夢さんが捻じ曲げたものかと」


医師の見立てでは……呪いが解けるまでに200年ほど眠るとのことです。と伝えると校長は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「200年……死を捻じ曲げたんなら妥当だろうな……だが、そんなの……僕の娘が教師になって退職する方が早いじゃんか!!あーもーーーー!!!!!!」


自分はこの男が取り乱す様を幾度となく見た。常に誰に対しても物腰が柔らかな彼が自らを“僕”と呼称するのは取り乱している証拠だ。


巳浪家は代々校長を務める家系だ。古くから真宵本家と血縁を持つ家の一つであり、彼の娘もいずれ校長として学校を取り仕切ることになるのだろう。だからこそ、目の前の男は自分の娘に自分と同じ重責を背負わせたくないと思っていたはずだ。


「一つだけ救いがあるとするなら、先生達の一人娘は呪いに掛かりませんでした。……今は意識不明ですが」


彼女のことを知っていたのは先生と結夢さん……そして僕だけだ。不幸中の幸いと呼ぶべきだろう。


「一人娘?……それは確かなのかな?」


「伝言役として出向いた際に居たのも、現場で見つかったのも女子が一人です」


信じられないという顔と、また厄介なことが起きてるなという顔を綺麗に混ぜ込んで巳浪が此方を見つめる。


「あいつの事だ……トランク辺りにもう片方をぶち込んでたとか」


「流石に先生でもそれはありえませんよ」


他に生体反応は無かったこと、襲いかかった夢魔の首を刎ねても、喰らった人間は出てこなかったことを伝えると、彼が深い溜息を吐いて……自分の方へ憐れみの目を向けた。


ああ……嫌な予感がする。


「校長として、先生へ命令を通達します。次代のアリスが確認出来た。意識が戻り次第、至急師弟契約をして、教育に従事しなさい」


「慣例的にアリスの教育は本家の者があたるはずでは?」


真宵本家が教育に当たれない事例は昔もあったからねと、とても良い笑顔で校長が机の上の紙へ羽ペンを置く。するとペンは独りでに立ち上がって命令書を書き上げ始めた。


「先代と当代のアリスから魔術を習って……確か父の言うことが確かなら、先々代から産まれたのが君だ。出来るだろ?」


「だからとて、混血の魔獣には……荷が重すぎます」


無意識に手袋越しに左手の甲を押さえていた。書き上がった命令書を眺めて、校長がそれは確かにそうだけどね、と呟くように言う。


「では少しばかり手当てを付けようか。そうだな……君の首に付けた呪いの刻限を出来る限り伸ばしてあげよう。現時点での旧法律に照らすならば執行猶予と言った所かな?」


首に付けられた呪いとは、自分の反乱とも取れるような行動に対して付けられたペナルティーだった。予め刻限が設定されており、時間が切れるか、校長の判断で文字通り首が飛ぶ。そういう呪いだ。


今、自分は目の前の男に命を握られているのと変わらない。小心者だから、そんなことはしないと理解しているのだが、油断は出来ない。アリスの代行をする校長は時に残酷な決断であっても下さねばならないのだから。


「消してはくれないんですね」


そう言うと、「それ」は僕達校長が決議の末に付けた物だからね……僕の一存で取り消す訳にはいかないんだよ。と申し訳なさそうに彼が言った。


我が校の校長は……突拍子も無いが、悪人では無い。事実、自分が犯した罪にも最後までこの呪いを付けるという決議には反対票を投じてくれたのだから。


「でも、君がアリスを育てれば万事解決だろう?君の呪いをアリスが解く。良い話じゃないか」


「それは……許されることでしょうか?」


「アリスが行うなら、それは全て正しい何処の法典であれ、彼女の意思には逆らえなかったのだから」


現に彼女の意思に反した物は消え失せる運命にあるじゃないか、と言いながら校長が自分に命令書を手渡した。


「第一級教員 鵺宵白兎やよいはくと 先生


真宵の娘(姓名が分かり次第更新)との師弟契約を結ぶ事を許可する。


ジョーカー校 校長 巳浪棗 (印省略)」


とのみ記載されたこの紙切れ一枚に自分の運命が掛かってしまった訳だ。

厄介なことになったとは思うのだが、他の者に任されるくらいならこれで良かったのだという気もする。


「とりあえずは夢魔の種を蒔いた犯人探しだ。とはいえ……何の因果だろうね」


この臥木には、消滅が起こらない。

その代わりに人々を悩ませる災害が一つだけある。それが夢魔と呼ばれる怪物なのだ。


正体不明で、自然発生する……とされているこの怪物は大きな影のような姿で魔術師を襲い、呪いをもたらす。特に夜に出歩き、獲物を喰らうことからその名が付いた。


そしてジョーカー校は、この夢魔が現れた原因を把握している。


ある少年は、この街を導く一族に生まれついた。だけどその少年は……指導者アリスであることを拒んだ。


学生身分のうちに少年はこの街を抜け出す方法を見付け、その際に混乱を起こす為の仕掛けを作り出した。その仕掛けこそが夢魔だ。


少年の生み出した夢魔は少年が街を出た後にとある悪意を持った男の手に渡り、最悪な事に臥木に暮らす子供たちに植え付けられてしまった。


お陰様で死刑執行を待つ自分を含む数名の教員は毎晩のように夢魔退治へ駆り出されることになったのは、また別の話だ。


「懐かしいね……今でも思い出せるよ。夢魔が呪いを振りまく地獄絵図の中で、壊された壁に立って……妹をお姫様抱っこして人質に持って行きやがったあの人でなし野郎を」


校長が言葉に若干の怒りを滲ませながら語る。少年が街を捨ててしまったからこそ、彼は校長として無駄に重責を背負うことになったのだ。だけど怒りだけではなく、懐かしさとでも言うのか……複雑な感情を滲ませた声だ。


確かに先生という人は、神にも等しい権能を持つ者としての自覚を持ちながらも、他者にそのつもりで接したことは無かった。だからこそ校長は懐かしさ、なんていう感覚を持っているんだろう。


「自分で作った物にむざむざ喰われるなんて……余程魔力炉が錆び付いてたんだな」


「いえ、恐らくは……結夢さんが呪いを書き換えながら、先生は……娘を守る魔術を使っていたのだと思います。発見された娘は、意識は無かったのですが、交通事故の際に見られるような傷は一つもありませんでした」


校長は自分の報告に俯いたまま溜息を吐いた。


「君があいつのところに出向いた際に聞いた報告もそうだけど……あいつにも人の心があったことが驚きだよ」


「ええ、本当に」


自らの運命を変えるために多くの他人を犠牲にしてきた少年は、親となって何かを手に入れたのだろう。


「ああ……昔馴染みのみんなで集まってさ、あいつの変わり様を茶化してやりたかったなあ」


目の前の男が、哀しそうな顔をして言った。

ええ、本当に。と返しながら……自分は、きっとその場にはもう居ないのですけどね。という事実を飲み込んだ。


首の後ろに付けられた呪いの刻印を、手袋越しにそっと撫でて、そんなことを考えた。

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鳥籠の中のアリス 礫瀬杏珠 @rekiseannzu

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