第4話 引越しの日、朝

朝6時。きっかりとアラームが鳴った。

カーテン一面に6:00と真っ赤な文字が浮かび上がり、ベルの音は鳴り止まない。


起床してカーテンを開けるまで鳴り続けるという厄介な仕組みのそれを止めると、照明が勝手に点いて、形状記憶する布団が勝手に畳まれる。二度寝防止のために作られたというこの部屋が私にとっての普通だった。


カーテンを外して適当に丸め、畳まれた布団と共に持ち上げて段ボール箱の中へ仕舞う。辺りを見回すと段ボール箱が部屋を埋めつくしている。昨日一日かけて布団とカーテンと照明以外の家具と家電製品は全て段ボールのサイズまで小さくして仕舞ったのだ。


この大半は捨ててしまう。


歴史保護区とは二百年の差がある。

二百年前にはない技術のものは捨てなくてはいけないらしい。


パジャマを脱いで段ボールの中に詰め、その段ボールから捨てずに済みそうな服を選んで着る。荷物を運ぶからスカートよりもズボンで動きやすさを重視した。


一年前に切ったままの黒髪を無造作に束ねて部屋を出ようとする間際、天井のライトがカラン。という音を立て、小さくなって段ボールの中へ落ちる。それに反応してまるでハエトリソウのように段ボール箱がひとりでに閉じた。


これで引越しの支度は終わった。唯一の問題といえばこれから臥木に着いた時の荷解きだけだ。


部屋を出て階段を降りるとパンの焼けたいい匂いが鼻を掠めた。


「おはよう、パパ」


キッチンに立つのはいつも父だった。

仕事場が近く資料集めのために都市を出ることの多い母と違って、父の研究対象は機械化都市の中に多く存在するから家事は大体父がやってくれる。


「おはよう、恵理架。顔洗って、結夢さんを起こしてきてくれる?」


「はぁい」


父は母を結夢さんと呼ぶ。

それだけじゃない。うちの親は変わっている。端的に言うなれば、仲が良すぎるのだ。


私は顔を洗ってタオルで顔を拭きながら、学校のクラスメイトから聞く親の話を思い出していた。


他の親はbeakerで子供を産み育てる。だからかは分からないけど、何というか子供に対して冷たい。そして両親が別居していることも、離婚していることや再婚していることも珍しくないのだ。


私は何故だろう、と両親に聞いたことがある。父も母も少し気まずそうな顔をした。


まずいことを聞いたと思った。

父が暫く考え込んでから、話し始める。

その語り口は言葉を慎重に選んでいるようで、たどたどしかった。


「子供というのは本来、親同士が愛し合った末に出来るんだけどね……いつ頃からか、もうその時の歴史も消滅しているけど、愛し合う行為を穢れとする文化が広まっていったんだ。それからずっとああやって機械で子供を作るようになってしまった」


「いつか消滅するかもしれないと思うとね、愛という不確定な要素よりも、遺伝子を遺すことを優先してしまう世界になってしまったんだわ」と母が話す。


どうやら消滅は人の心や考え方まで変えてしまうらしい。私はまだ幼かったあの頃から消滅はとても恐ろしいものだと認識していた。


顔を拭いたタオルが熱を帯びて泡立ち始めたのをきっかけに、現実に呼び戻され、私は慌ててタオルを洗面台の中へ捨てた。


このタオルは使い終わると消えてしまうのだ。これも、二百年前には無かったらしい。


二百年前はつくづく不便な世界だと思う。

ただ、私にとって生きやすい世界なんだ。


母の部屋は玄関のすぐそばにある。

ドアを開けると部屋は真っ暗。部屋の奥で時代遅れなデスクトップのパソコンだけが光っている。どうやら母は作業中に寝落ちしたらしい。


「ママ、朝だよー」


ここ数日部屋にこもりきりで、ずっと作業をしている。パソコンの画面には書きかけの原稿。遠い国の話らしい。見慣れない長ったらしい国名とキリスト教国っぽい十字を組み合わせた国旗が描かれている。英語で書かれたタイトルは Alice とだけ打たれ、止まっていた。アリス、馴染み深いこの名前は母がずっと再現しようとしている物語の主人公のものだ。


原作は丁度200年前に消滅してしまい、不思議の国のアリス症候群という病名だけが残っている今の世界で、アリスという名前はあまり聞かない。200年前にはアリスを題材にした作品が沢山あったらしい。


私の名前である恵理架はローマ字にするならerikaになるが、正しくはelicaだと母は言う。

これはAliceの初めと終わりの文字を入れ替えたらしい。


「ママー!朝だよー!早く起きないとパソコンの電源抜くよー」


肩を揺すりながらそうやって脅すと母が飛び起きた。


「おはよう、ママ」


「もう朝……?引越しの準備をしないとね」


母が欠伸をひとつして、机の引き出しから小さな記録媒体を取り出した。200年前はこのメモリーという記録媒体に情報を保管していたらしい。それをパソコンに繋げて情報を全てメモリーの中に移して母はそれをポケットの中にしまった。


「この部屋の物、今から荷造りするの?」


「そうねえ、本は持って行きたいけれど、パソコンは向こうの方でも買えるし……家具も要らないわね……?」


「本棚も持っていくなら大変そうだよね?パパ呼んでこようか?」


「大丈夫よ?」


母は本棚に手をかざして、聞き覚えのない言葉を口にした。次の瞬間、本棚が本を入れたまま変形して分裂し、木箱が積み重なったような形に変わる。それを見た瞬間に何か違和感を覚えた。この街の技術に似ているのに、何かが違うような。


「なに、これ……」


「伊達に若い頃から旅を続けてないから……こういう便利な物がつい増えちゃうのよね」


そう言えば母や父は若い頃に臥木を出てからは住処を転々としてきたという。都市が各自独立した世界でそんなことが可能なのは父や母の持つ力を必要とする人が多くいるからだ。


「この本棚……向こうで使えるの?」


「使えるわよ?」


「へえ……200年前にこんな便利な物あったんだ」


そう話すと、母は少し困ったような顔をした。一見して微笑んでいるように見えるものの、目元が少し暗く見える表情だ。たまに母や父は私の発言に対してこんな顔をする。


「……朝ごはん、食べよう?パパ、待ちくたびれちゃうよ」


そういう時、私は今までの話を無かったことにして話を切り替えるのだ。


「そうね。行きましょうか」


母は本当に笑顔を浮かべて、私の後をついてリビングへと向かった。

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