鹿島は続けた。



「つまり、個体ごとの時間はズレがあるどころか、そもそもそれぞれに独立しているのだ。これは私の解釈だが、時間というのは川の流れのように、全体でみればひとつの大きな流れだが、それを構成するひとつひとつの物質はそれぞれ別々にで下流へ移動している。しかし、例えば表面張力のように、その動きは相互に影響し合っているわけだ。多少のズレなら周囲の時間との結合が離れることはないが、ズレが大きくなれば、周囲の流れとは離れてしまうだろうね」



 一気に話し終え、グラスで口を潤す鹿島の横で、伸治は頭を殴られたような衝撃を感じていた。


 『ユアタイムバンド』の開発が動き始めてから、体感時間の加速、減速については、誰よりも敏感に意識してきたと思う。


 しかし、それは飽くまでも、世間一般の時間と比較してのことだ。鹿島の言うことは荒唐無稽に思われたが、一方で伸治はその話を与太話と結論づけることも出来ない事情がある。



「周囲の流れと離れてしまう、ということは、つまり……」



 伸治は言葉を選びながら鹿島に尋ねた。手首のところで、赤いLEDが点灯している。



「その人にとっての現実が、周囲と異なる……ということになる?」



 もしかして自分は、周囲の時間の流れから離れてしまっているのか?



「ふむ、そうだな。実際にどういうことになるかはなんとも言えないが」



 鹿島は、慎重に言葉を選ぶようにして伸治に答えた。



「しかし、例えばこの同窓会のように、久しぶりに会った友人と話をしていて、思い出話の内容に微妙なズレを感じる、というのはよくあることではないかね?」



 伸治の心臓が大きく波打った。



 微妙なズレ――瑞希がいない、というこの世界の状態も、「微妙なズレ」で済まされるのか?


 個人の時間の流れがそもそもズレている、という前提で世界が成立している?それがどういうことなのか、伸治には想像がつかない。



「……例えば、あそこに笹本という男がいますが」



 伸治は、先ほどから中央付近のテーブルで、飲み屋での武勇伝を周囲に披露している男を指差した。今は広告会社で営業の仕事をしているという。二年前に結婚したと、先ほど聞いた。



「彼は私と同じ研究室の所属で、学生のころはよく飲みにいった仲です。しかし、彼と私の時間がズレているのだとすれば、今あそこにいるのは誰なんです?あれは私の知る笹本ではないんですか?」


「それは決まっているだろう。あそこにいるのは、その笹本君の未来の姿だよ」



 伸治は困惑した。その表情を見た鹿島は、またもやにやりと笑ってみせた。



「正確には、未来の姿のひとつ、と言うべきかな」


「多元宇宙論……ってやつですか?」



 なにかの映画で観たことがある。様々な可能性が別の世界として、現実と並行して存在しているというあれだ。



「だいたい、我々は既に、個人の時間が加速したり減速したりすることを知っているのだろう。だとすれば、もっと先に行ったり、逆に前に戻ったりすることだって可能なはずじゃないかね?であれば、その先にいるのは未来の笹本君か、過去の笹本君だろう」


「タイムスリップ……だとでも?」


「人の時間がひとつの流れだとするならば、その流れが行きつく先はある程度決まっている。全ての物質は、今この瞬間の状況が指し示す先の未来へと、それぞれの速度でタイムスリップし続けている、という言い方もできるかもしれんね」



 伸治は混乱していた。それではまるでSFの世界だ。

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