第4話

牧狩りの宴が催されてから暫くノチ、羽廾と兎の姉妹はまだ秋宮に留まっていた。竜田姫がこわれた薬筒の修復を申し出たためである。水牛の角で作られた薬筒は、昔薬師さまから頂いたものだそうな。思い入れがあるらしく、羽廾はその申し出をありがたく受けた。


「ありがたい申し出。代わりと言っては何ですが、私に出来ることはございましょうや?」


見事な細工が施された薬入れを直すのは、どんなに急いでも数日はかかる。それまでの間だが、何かお返しができればという。


「でしたら、センに馬と弓を教えてあげてくださいませ」


いずれ何処かの宮に仕えるなら、弓馬ユンバの稽古はつけておいた方がよい。内務に回されるとは限らない。身を守るすべを覚えて損はないのだ。


「師が羽廾さまなのです。箔がつきますわ」


月へ行ってから弟子はとっていないと聞いていた。だから竜田姫も駄目元で頼んでみたのだが、羽廾はそんな事で良いならばと、快く引き受けてくれた。


そんな流れで、幸運にもセンは羽廾から弓と馬術の手解きを受けることになった。

弓術にたいし、センはかなり良い勘を持っていたらしく、驚くべき上達を見せた。羽廾の師としての腕の良さもあったかもしれないが、数日後には易々と小鳥を射ぬけるまでになっていた。とは言え、未だ子供のため強弓を引くまでの力はないのだが、羽廾は行く末が楽しみだと目を細めた。


晴れた日の午後は牧場で馬術を習った。

こちらは弓のようにはいかず、センは馬にからかわれてばかりいた。


「毅然としなされ。気弱な態度は馬に見抜かれますぞ」


やさしい馬ばかりではない。軍馬となれば尚更だ。

気の強い者が多く、自分より弱そうな者の指示は聞いてくれない。


馬を指示通りに動かすことに苦心し、乗り慣れない鞍のせいか内腿や尻が痛むのを我慢しなければならなかった。それでも、センを思って教えてくれているのだからと、泣き言を言いそうな気持ちを押さえて馬に乗った。


稽古の終わりに馬をせせらぎへ連れていき、労をねぎらって体を洗ってやっていると声をかけられる。懐かしささえ感じたその声に振り返ると、川縁に静かにたたずむ時雨の姿があった。


「時雨。お帰りなさい」

「ただいま。迎えに来ましたよ」

「うん。秋宮から連絡がきたの?」

「いいえ、唹加美神さまから迎えに行くようにお達しがありました」


てっきり白帝から知らせが行ったのだろうと思っていた。けれど、どうやら違うらしい。時雨は彼女の仕える女神から迎えを指示されただけで、詳しいことは未だ知らされていないようだ。


「おれ、やったよ」


それを聞いた時雨が、薄く微笑みを浮かべる。

瞳が輝きを増し、澄んで行くのをみた。


「そう」


たった一言の肯定。

しかし、その一言には様々な想いが込められているのをセンは理解できた。いつまでも嬉しそうに時雨に見つめられ、くすぐったくなってきたらしい。

話題を変えた。


「馬に乗れるようになったんだ」


『時雨も乗せてあげる』と言う。

馬に乗ったことなどない。雨女は水を介して移動するため、馬や車に乗る必要がないのだ。しかし、センの好意である。成長を披露したい子の誘いである。

時雨は頷いた。慣れたように、ひらりと馬へ飛び乗るセンに手を引かれ、時雨は覚束ないようすでどうにか馬の背に上る。


「ゆっくり行くからね」


逞しく馬の手綱をさばく、センの腰に手を回す。

少し見ぬ間に大きくなったように感じる背を、時雨は感慨深く眺めた。


「歳をね。二つ減らしてもらったんだ」


枯れ草の混じる緑の野を辿りながら城へ戻る。センは時雨の居なかった間に起きたよもやま事を話して聞かせる。馬の背に揺られながら、時雨はセンの話に時おり短い返事を交えながら耳を傾けた。


その話を聞きながら、時雨はなぜか涙がこぼれた。

安堵の涙なのか、喜びの涙なのか、時雨にも良くわからなかった。

ただ、涙がこぼれた。


穏やかに雲におおわれた薄曇りの空から、音もなく霧雨が落ちる。淡く滲むように降る雨は、ふたりを包む風景をいっそう鮮やかに塗り替えていった。

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