第7話

「センは夏宮に偉く気に入られているんだな」


彩華はああ見えて真面目な守護獣らしい。

よほどの事でなければ持ち場を離れたりはしない。それを曲げて様子を見に来たのだから、向こうのお姫様はよほど気を揉んでいたと見える。


「センは夏宮の天人になるのか?」

「分からない。まだ決めてないんだ」

「そうか」


目まぐるしく変わる回りに流されて、ふたつの宮を巡ってきた。

夏宮も秋宮もセンを暖かく迎えてくれた。恩は感じる。けれど、どちらの宮に仕えるのか、まだ腹は決まらなかった。


『自分の事はよく考えた上で決めるべきだ』と、朱上皇は教えてくれた。

センもそうしたいと思っている。


「痛っ!」


突然、となりにいた力輝が声をあげる。

何が起こったのかと見れば、げんこつを握った白嶺が、彼女にはあるまじき鬼の形相で立っていた。更にぽかぽかとげんこつを落とす。


「皆に迷惑かけて! うちと悪さしないって約束したのに、また騒ぎを起こして!」


どうやら先程の話を聞いていたらしい。

兎の耳をごまかすことは出来なかったようだ。


力輝に正座をさせてお説教を始める。『分からなければ良いなんて事を考えてはいけない』だとか、『今度こそ山に封印されてしまう』だとか。険しい顔をして叱りつけるさまは姉と弟のようだ。


山津浪をひと噛みで滅する白虎だが、この小さな兎には頭が上がらないらしい。

『ごめんね』、『もうしないよ』と、繰り返し謝っていた。


「うち、竜田姫にお手紙かくからね! 力輝が悪さしてないか毎月聞くからね! もし、悪さしてたら大きなお灸をすえに来るから!」


こんな大きなやつだよと手を広げて見せる。

本気で怒っている白嶺のお説教を聞きながら、それでも力輝は、少し安堵したような、嬉しいような目をしていた。


「うち、力輝の面倒みなくちゃいけないんだから、ちゃんとしてよね! いろんな神様に約束しちゃったんだから! 約束破りになっちゃうでしょう!」


まだまだ終わりそうにないお説教に、みかねた黒嶺が とりなしにはいった頃、センにも声がかかった。


「センや。山津浪へ一矢報いたそうだね」


白帝に手招きされ、側に座ると労いの言葉をかけられた。大変な手柄だから褒美を与えないとと、竜田姫が嬉しそうにいう。


。何か欲しいものはないかね?」


竜田姫が目配せをした。願うなら今かもしれない。

もとより秋宮に来たのは、この目的の為だったのだ。


「歳をひとつ減らしてほしいんです」


どうしたらいいか知恵を貸してください。

センははっきりとそう願った。


白帝はわずかに微笑んでから、さも今耳にしたとでも言うように考え込む。


「うむ。何でもと言ってしまったからには考えなくてはならないね」


羽廾さまにお知恵を借りられないかと水を向ける。

通常はそういった願いは聞かない羽廾も、共に山津波に立ち向かったセンの事である。


「薬師さまからお預かりしている変若水を持っていたのだが、先程の混乱で薬筒を割ってしまい今は手元にない」


もし、今一度手にするなら、高天ヶ原へ出掛けている薬師の帰りを待ってからということになるが、なにぶん月読命の用なのでいつ戻るか分からないという。

それに、仮に持っていたとしても預かりものゆえ、勝手に分けるわけにもいかないそうだ。


「すまぬが直ぐにと言うわけにはいかぬな」


無いものは仕方ない。

落胆した気配が漂うなか、羽廾がセンに尋ねる。

老いた者が若返りたいと言うのなら未だ分かる。しかし、それほど年でもないセンが歳を減らしたいとはどういうことか?

それもたった一つだけとは不思議なことだ。


センはこれまでの経緯イキサツを羽廾に語った。

自分が雨女の伴い子として、人の世からやって来たこと。こちらの世で暮らすには年を取りすぎていることなど。包み隠さず話した。


羽廾は終始無言で話に聞き入っていた。


「なるほど心得した。それは難儀なことでございましたな」


考え込むように、ほうとため息をついた。

その後、なにかを見透かすようにセンをじっと見詰める。『ここへ留まる条件は七歳でしたな』と、改めて聞いた。頷くセンが、次に聞いた言葉で我が耳を疑った。


「されば尚のこと、若返りは必要ないと思うのだが……セン殿は六つではないか?」


は? と、誰もが聞き返すなか。

羽廾が念を押すように『セン殿の歳は六つですな』と再び告げる。

昔の名残で人の歳が見えるという。どのように見えるか説明しろと言われると難しいのだが、魂にも年輪のようなものがあるらしい。


「えぇ? おれは八歳なんだけど!」


混乱してセンは思わず大声を出す。


「力輝さま。ちと確認して頂きたい」


天人達には人の歳を直に見ることはできない。それゆえ白帝は、神獣である力輝に再度確かめてもらおうとしたのだが。当の白虎は少し離れた酒席で未だお説教をされていた。『今は無理』と、その目が訴えている。


白帝が苦笑を浮かべていると、傍で訪いをたてる者がいた。先程話をしていた彩華だった。白帝に『お邪魔しております。朱上皇さまからようすを見てこいと言われまして』と断りをいれてからセンをみる。


「私が見てもセン殿は六つだね~」


これはおかしい。自分の歳を間違えるはずはない。

考えた末、あることを思い出す。


月見台のしたで山津浪の突進を受けたとき、何かの滴を浴びたことだった。あの時少し眩むような感覚があった。されど、目に滴が入ったせいだと思って気にしなかった。


あの時センは、黒嶺の真下にいたと思う。


あの滴が、零れた薬だとしたら……。


話を聞いた羽廾は、うむうむと頷いた。

七十過ぎの翁が一口飲んで若者になるのだ。一歳二歳など一滴で十分。齢を重ねた妖しや天人が少し飲んだくらいではたいして変化もないが、人の身が神の薬を受けるおりには注意が必要である。


「何はともあれ良かったですな」


事故ゆえ、無断で拝借した咎めはあるまいという。


最大の難関と思っていたことが、なんとあっけなく片付いてしまったことか。センは今だ信じなれない気持ちで上座に座る面々を眺めた。


「センや。時雨に良い報告ができるねぇ」


嬉しそうに笑みを浮かべる竜田姫に言われて、ようやくじわじわと喜びが押し寄せてきた。その嬉しさを感じながら、センはこの世界に留まりたいという、自分の思いの強さを初めて実感した。


やっと自分はこの世界に受け入れてもらえるという、安堵に笑いがこぼれた。

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