第51話「異界(4)」

 そろそろ出発しようか、とゼンが言い、俺たちはまた歩き出した。


 俺の前で泣き続けたケンジの涙が止まり、そして乾いたころ、仮眠をとっていたゼンが起きてきた。ケンジと俺のあいだに流れる空気にまったく気づかないような素振りで、俺たちに休憩を勧めた。ケンジははじめ断ったが、君はまだ疲れてるみたいだからよく眠ったほうがいい、と諭され、もう一度仮眠をとることにしたのだった。


 休憩をとったにもかかわらず、俺は自分の足どりが重いことに気づいていた。体力は回復している。だが心が疲弊し、消耗していた。ケンジとの久しぶりの会話には救いがなかった。自分には元の世界に戻る資格がない、と語るケンジに、俺は何の言葉もかけてやることができなかった。


 三人は黙々と歩いた。ときおり分岐があるだけでほとんど一本道の洞窟は、もう目を閉じていても困難なく進めそうにさえ思えた。


 いくつ目の分岐を越えたあたりだろうか、道が徐々にうねり始め、最後に、ひときわ急なカーブを曲がったときだった。


 肌に触れる空気が、かすかに変わった気がした。


 もしかして、と思い、前を行くゼンに、なぁ、と声をかけた。


「うん、もうすぐだ」


 同じことを感じとったゼンが、こちらを振り返り微笑む。


 道なりに進み、次の角を曲がったとき、俺たちは洞窟の端まで来たことを知った。ゆるやかな傾斜が延々と続く道のずっと先に、出口が見えたからだ。


 もちろん歓喜の声とともに坂を駆け上がり洞窟から飛び出したりはしなかった。淡々と傾斜をのぼり、バケモノの存在を警戒し、身をかがめてそっと顔を出す。ひとまずの安全を確かめてから、一人ずつ、ゆっくりと外へ出た。


 広がる光景は、俺たちの視界を軽く超えていた。


 スゲェな、とケンジが横で呟く。俺もまったく同感だった。


 頭には、何かのサイトで見た、どこか遠くの国の巨大な採掘場のイメージが浮かんでいた。


 だがその規模は、かつて目にした採掘場とはかけ離れたものだった。


 俺たち三人の立つ洞窟の出口はちょうど採掘場の最深部で、そこから全方位に、幾重にも連なった段々の岩山が広がっていた。硬く荒々しい質感の岩肌がどこまでも続き、山らしい植物などもちろん一切見られず、一本の草木もない、完全に灰色の世界。暗く狭い洞窟からようやく抜け出たはずなのに、外界らしい解放感はみじんもない。


 岩山は段続きに広がっている。そのためか、垂直に切り立った絶壁のような圧迫感はない。だがそれぞれの岩段が、絶望的なほどの高さを誇り、それが無数にどこまでも連なっているために、目のくらむような景色に感じられる。近くから眺めると恐怖すら覚える圧倒的な裾野をもつ富士山を、そっくり地下に向けひっくり返したような光景だと思った。


「何だよこれ」


 ケンジがまた呟く。俺たちは呆然としながら、誰がともなく、洞窟の穴から離れ周囲を見回しながらふらふらと歩き始めた。なぜかはわからない。後退に意味がないことを無意識に理解していたのかもしれない。俺たちは進むしかない。無言のまま、もっとも近い岩段へと近づいていった。


 近づくにつれ、その巨大さが知れ、息を飲んだ。バカげたスケールとしか言いようがない。無数の岩段を構成するそのひとつひとつが、高層ビルと遜色ない高さだった。


 これを登っていくのかよ……ケンジと俺がほとんど同時にそう漏らしたとき、二人に背を向けて遠く向こうを眺めていたゼンが、あれ、と何かを見つけて指差した。


 目を凝らさなくてもわかった。どこから現れたのか、バケモノらしき一体が、遥か上方の岩山から俺たちを見下ろしている。


 おい、と今度はケンジが、目の前の岩段を見上げて言った。数十階建てのビルのような高さのその岩壁の上、そしてその先に無数に続くそれぞれの岩段に、姿かたちの違う怪物たちがひしめき、襲いかかるでもなくこちらを見ていた。


「お出ましだ」


 固まるケンジと俺にかまわず、ゼンは笑みを浮かべてそう言った。俺はひっきりなしに迫り上がるつばを必死で飲み込みながら、ゆっくりと周囲を見渡す。


 あの砂漠で、四方から襲来した人外の群れ……その数をあっさり超えるほどのバケモノたちが、だが踊り狂うように飛びかかってくるわけでもなく、不気味なほど静かに、俺たち三人をじっと見つめていた。

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