第47話「森林・洞穴(3)」

「何だって?」


 ベムゼットが聞き返した。当然の反応だった。


「もう一度言うよ」ゼンは薄く笑った。「ボクら三人だけで行く」


 ベムゼットをはじめ全員が絶句している。俺とケンジは別だ。俺も驚きはしたが、ゼンならそんなことくらい言いだしても不思議はない。


 ケンジがどう思っているかはわからない。ケンジは、ゼンもベムゼットも見ていない。俺を見ているわけでもない。俺たちを飲み込むのを楽しみに待つようにぽっかりと地面に空く、あの縦穴のほうをぼんやり眺めている。


「バカを言うな、無茶だ」


 ベムゼットがゼンを説得しようと必死に何か言う。だがゼンはそれで考えを変えるような人間ではない。


 じゃあ、とゼンは、食らいつくベムゼットに挑発的な視線を向けた。


「君たちを連れていって、ボクらに何かいいことがあるのかな、つまり、君たちが、襲いくる無数のディアーボを前に、何か物理的に対抗できる手立てがあるのかい」


 ベムゼットは何も答えられない。


「だいいち、これから行くところがどんな場所か知っているのかい、過去にこの穴へ飛び込んで帰ってきたヤツはいないんだろう、君たちの手元に、どんなデータがあるんだい」


 ゼンはベムゼットの肩越しに、その後ろに立つスタッフを見据えて問いかけた。誰からも返事がない。皆、意地の悪い教師の質問から逃れようとする生徒のように下を向いている。


 ボクらはあるよ、ゼンが言った。


 何だって、とベムゼットがさっきと同じ反応を見せる。その彼に答えず、ゼンは俺の顔を見て、なぁ、と同意を求めた。いきなり話を振られて当惑したが、一拍遅れて、俺はそうだと頷いた。


「本当か? ジョークじゃないのか」


 ジョークじゃない、とそのときだけゼンは笑みを消して答えた。


「一度、ボクらは底のない縦穴に飛び込み、ディアーボと呼ぶのが適当かわからないが、とにかくモンスターどもと遭遇し、そして戻ってきた、

 ここじゃなく、日本の樹海の穴、だったけどね」


 それまでぼんやりと話を聞いていたケンジが、ゼンと俺を驚きの表情で見つめた。


 ベムゼットもふたたび絶句し、しばらく俺たちを交互に見て、それからふっと息をはいた。そして一度振り返ってメンバーに目で同意を促し、向き直って、オーケイ、わかった、と諦めたように首を振った。


 俺たち三人は、簡単な機材や食料品だけザックに入れて持たされた。ゼンが代表してベムゼットと長髪の男性スタッフからそれぞれ説明を受けたが、真剣に聞いているようには見えなかった。長い髪にメガネをかけた男性は特殊な小型撮影器具をゼンに手渡し、しきりに、データを取ってきてほしいとくり返した。ベムゼットは俺たちの安全を心から案じているようで、携行する食料や銃器についてゼンに詰め寄るようにして説明していた。


 準備が整うと、ベムゼットは俺とゼンとケンジの肩を一人ずつ叩いて、それからあの痩せて目つきの鋭い運転手と同じように、幸運を祈る、とだけ言って頷いた。


 三人が、それぞれ穴のふちに立つ。


 スタッフの一人が思い出したように慌ててワイヤーを手に近づいてきた。腰に巻く、安全のためのワイヤーだ。穴の深さを計測する目的も兼ねているのだろう。


 そんなものいらないよ、とゼンが笑って断ると、その、肩幅が異様に狭く首の長い女性スタッフは困惑した表情になった。どうしていいかわからず、ベムゼットに哀願するような眼差しを向ける。データの計測をあの老人から命じられているのかもしれない。


 ベムゼットは肩をすくめゼンに向けて首を傾けて見せた。申し訳ないがそれくらいは頼むよ、というジェスチャーだった。


 ゼンが、どうする、と言いたげな顔で俺を見る。


 いいんじゃないか、ロープくらい、向こうに着いたら外していいんだろ、と俺が言い、ゼンが、それもそうだね、と笑って、承諾した。女性スタッフは心からホッとした顔をし、顔にかかる前髪をしきりに指でいじりながら、サンクス、と俺にぎこちない笑顔で礼を言った。


 まずゼンが縦穴に飛び込んだ。ダイブしようと彼が穴のふちから中を覗き込むと、ベムゼットをはじめスタッフが一気に緊張するのがわかった。だがゼンはまったく対照的に、それまでと変わらない涼しげな笑みを浮かべたまま、それじゃあ、と軽く手を上げながら振り向き、直後に音もなく穴へ消えた。


 次はケンジだった。俺が先に発とうとしたのだが、ケンジが、自分が先に行くと言った。正直なところ、俺はケンジに来てもらいたくなかった。ケンジは激烈な怒りによってディアーボのように肉体を変化させたが、バケモノのひしめく異界でそれを再現できるかは不明だったからだ。


 それに、ケンジがゼンや俺と同じように奈落へ飛び込めるか、わかりかねていた。飛び込めないならそれでよかった。そのままベムゼットらとともにここに残ってくれるとありがたかった。


 だがケンジの意志は固かった。相変わらず無言だったが、ぎゅっと唇をかみ、こぶしを握りしめて、ゼンが消えていった穴の闇を見下ろしていた。足は震えていなかった。


 ケンジは一度だけ俺を振り向き、何かを決意した目でじっと見据えてから、小さく頷いた。ケンジの覚悟を感じた俺は、無言のままそれに応じた。ケンジは前へ向き直り、ゆっくりと両手を広げ、穴に飛び込んだ。


 俺も続こうと、二人がダイブした闇を覗き込む。


 頭の中に、アイリと、黒いディアーボ、広大な砂漠と人外の群れ、そしてあの鎧の怪物が浮かんできた。


 鎧の怪物の、異常に太い右腕の鮮明なイメージが思い出されたのとほとんど同時に、俺は両足に力を入れ、一点の光もない穴の中心に向かい頭から飛び込んだ。

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