第332話・結氷とのこと


「ところでさぁ、アスィミって氷天虫ってのを見たことってあるの?」


 そうたずねてみると、


流言うわさくらいにしか。そもそもあたしもどんな妖魔ものなのか皆目不知しらぬ所存でして」


 困り果てた表情で頭を下げた。


「いちおう、徒党パーティーを組んでいる人の中に知っている人がいるにはいるんですが……」


 現状、ナツカたちと逸れているオレと同様に、アスィミも似たようなものだしなぁ、それに関してはなんの言いようもない。


「オレも、ナツカが知っている口だったから、それを頼りにしていたところがあったし」


 さて、オートマッピングよろしく、初めて遭遇したモンスターが自動的に記録される、いわゆる[モンスター図鑑]というものがあることは、以前話には出て来ていたことがある。

 その中に[生息分布]という、どこのフィールドで出現するのかという機能があるのだが……、


「遭遇したことがないモンスターを探すのって無理だよね?」


「無理ですね」


 鬼一口もびっくりな速度で、『』と吐く間もなく即答された。

 なにを当たり前なことをといわんばかりに嘆息を吐かれる。


「そもそも、遭っていることがあったら、いの一番にその機能を使いますよ。今回の目的は氷天虫の絹糸なんですから」


 そうなんだよなぁ――というのと同時に、オレ自身この山を登るのは今回がはじめてだ。

 周りを見渡すと五里霧中――。いや五里雪中か?

 轟々と風雪が眠気眼の羆のように、空腹を訴えているようにしか聞こえなくなってきた。

 うーん、龍殺姫ナツカがいればなんとか対処法があるものだけど、ない物ねだりしていても仕方がない。

 しかも、切り札である[ワンチュエン]は冰熊との戦闘で使ってしまっていて、今日のログインでは使えなくなってしまっている。


「モンスターの体臭においを探るっててだてがないわけではないのだけど」


「そんなことができるんでしたら、やったほうがいいですよ。最悪長距離グリーンからの攻撃だってないわけではないでしょうし」


 オレたちが吹雪で視界を遮られていることと同様に、モンスターだってそれは似たようなものだ。

 が、モンスターにはプレイヤーのにおいを探るスキルがあるものもいるので、かえってこういう状態は危険きわまりない。



 一箇所に集まって、雪が晴れるのを待つ……は、フィールドの設定上無理。

 散り散りになって好機を待つ……は、最悪対処とかフォローに回れないので却下。

 なら、考えるとすれば、


「来いっ! ワンシアァッ!」


 アイテムストレージから[シュシュイジン]を取り出し、狐狗狸ワンシアを呼び出し、モンスターのにおいを探ってもらう。

 これ幸いに、遠距離攻撃の対処方法はあるしね……MPが持てばの話だけど。

 シュシュイジンを空高く掲げると、オレの足元に六芒星の魔法陣が浮かび上がるや、



 楚々そそとした金色こんじきの羽衣のごとし狐の柔らかい毛皮をまとい

 その傾国招きし魔獣、君主を従順し、仇なすもの血塗れの殺意を向けるはいぬのごとし

 魅入りし下弦の弓月のごとくしなやかなやまねこの肢体



 オレのテイムモンスターであるワンシアが可憐に召喚される。


「ワンシア、召喚して早速で悪いんだけど……」


 オレが命令を下そうとした時――、


「ガガブガクブルガクブルブルブルガクブルガクブルブルブルガガガガガ」


 狐狗狸ワンシアは全身の毛を逆立て、ヴィヴァルディの『冬』のように歯を小刻みに叩きつけながら、青褪めた表情で身を震わせた。


「あれ?」


 そこはいつもどおり、気品たっぷりに「お任せ下さいませ」とか言うと思ったのだが。


君主ジュンチュ何故なにゆえこのような極寒の地にお出でになられているので?」


 ワンシアが訴えるようにオレを見上げる。


「いや、ちょっとドロップアイテムを探しにな。見たことがないモンスターで、この状況だとどこからモンスターが攻撃してくるかわからないから、においで探れんかなと思って」


「単刀直入に申しあげますると『公魚わかさぎも・糸が見えれば・つつかない』ですよ」


 言うや、ワンシアはそそくさと翻筋斗もんどり打って、消えた。

 あの様子からしてかなりの寒がりみたいだけど、てっきり狐だから寒いの大丈夫と思ったが違うのな。


「どういう意味ですかね?」


 首をかしげるアスィミに、


「釣り糸ってのは光の屈折とかで水中では見えないように工夫されて作られているけど、魚がその糸を認識すればその先に付けられている餌は危ないものだとわかって口にはしないってことか」


「なるほど」


 そう答えると、アスィミは得心したように、ポンッと手を叩いた。


「って、全然解決策になっていませんよ? ……んっ?」


 慌てふためくアスィミだったが、途端はてと、けげんそうに首をかしげた。


「どうかした?」


「あ、いや……、いま聞きたくない音が聞こえたというか、まぁ暴風雪の中で聞こえたから聞き間違いだったらいいなぁって思ったりしてるんですけど」


 アスィミは、片眉をしかめながら言う。

 ……ピキ。


「まぁ確かにプレイヤーの声は周りに聞こえるようになっているからいいけど――」


 彼女がいったいなにを聞いたのか、オレも遅かれながらその片鱗に気付き始めていた。

 ……ピキピキ。


「ですよね、なんかモンスターの咆哮とかそんなところかなぁって思ったり、近くで別の人がモンスターと戦闘してるんじゃないかなぁ」


 自分の考えを否定するというか、現実逃避したいと思う気持ちもわからなくもない。

 ……ピキピキピキピキ。


「結構広い池らしいし、別のところでモンスターが出て来てもおかしくはないよな?」


 オレもそれを同調するように言う。

 ……ピキピキピキピキピキピキピキピキ。


「あははは、そうですよね。あたしもそろそろサイキさんたちと合流したいですけど、この状態だと安直に行動するのは自殺行為ですし」


 それこそ憐憫するように、アスィミは訶々からからとひきつった笑みを浮かべる。

 ……ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ。


「シャミセンさん、人って聞きたくない音ほど実は意外にはっきりと聴こえるって聞いたことがあるんですけど」


 現実を受け入れたアスィミは、声色を震え上がらせていく。

 ……ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ。


「言うな、それ以上は言うな。オレも嫌な予感しかしないんだからさぁ」


 もうね、オレもできれば聞き間違いとか、風の音で済んでくれればと願いたかったけど、もう音が足元まで近付いてそれどころじゃ――。

 ……ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキッ!



 罅割れた音が止むと同時に、オレとアスィミの足元の氷を、それこそかち割るように水しぶきが吹き上がった。


「おごわぁっ!」


 硬い氷の上に叩きつけられ、地味にダメージが入る。


「シャミセンさんっ! 大丈夫ですか?」


「こっちはなんとか。そっちは?」


「一応受け身を取って大事には至らなかったんですけど――ツゥ!」


 悲痛の声が聞こえ、オレはアスィミの方へと視線を向ける。


「どこか怪我したのか?」


「氷が割れた時にできたつぶてで右手が負傷したみたいです」


「得物を持てないくらいか?」


「あ、それなら大丈夫です。あたし左利きですから」


 その言葉と同時に、アスィミが魔法スキルを放ったのだろう、赫々とした炎が目の前で爆ぜた。


「うわっと?」


 その爆風に、思わず吹き飛ばされそうになり、オレはその場に踏ん張ろうとしたが――、


「あらららららららららららぁぁぁああああああああああ?」


 足元がおぼつかず、足を氷ですくわれるや、尻もちをつき、オレの身体は独楽のようにクルクルと回されていく。


「遊んでる場合ですか?」


「好きで遊んでないから……ね」


 そうツッコもうとしたが……、巨大な影がオレを翳した。



 天色のように透き通った氷のごとく

 血色鮮やかな双眸と神を切り裂く牙とアギト



 ◇氷天虫/レベル35 属性【木】【水】



 戦闘が開始されたのか、モンスター情報がポップされると同時に、


「キィシャァァアアアアアアアアッ!」


 氷蚕はそのシャクれた顎をモゴモゴと動かすや、噴水のように糸を吹き出した。

 それらが氷の上で、それこそ蜘蛛の巣のように、または網投げのように六角形に広がって、その場に凍りつく。


「捕まったら餌にされるってか?」


「みたいですね。弱点的には炎ですか?」


「いや、前に同じ属性のモンスターとやったことがあるけど、炎だと確かに木にはダメージは二倍になるけど、水だと半減されるから、多くても100%のダメージしか与えられない」


 オレの近くにやってきたアスィミの問いかけにそう答える。


「しかも水属性の攻撃だと、最悪ドレインスキルも持っているみたいだからな」


 まぁ、オレの持っている水属性なんて、アクアショットくらいだけど。


「――まぁ、まずはこいつの攻撃パターンを見極めるかだけど……」


 [極め]を使って、弱点を探っては見るが、


「からだが透明で、中がほとんど見えてるんだよなぁ」


 それこそ臓器が蠢いていて直視できない。


「それでしたら、あたしが攻撃を仕掛けてみます。シャミセンさんはなにか対策を考えてください」


 アスィミは得物である三叉戟トライデントを構えると、


「[牛鬼]」


 攻撃力STR上昇の体現スキルを唱え、一蹴で氷蚕の頭上へと飛び上がった。


「[百花槍撃ひゃっかそうげき]ッ!」


 激しく降り続く遣らずの雨のように、アスィミは三叉戟の切っ先を氷蚕へと降り注ぐ。

 一撃では倒しきれるはずもなく、攻撃が止むと同時に、氷蚕は口を動かし、糸を吐き捨てた。


「わっ!」


 それをアスィミは、三叉戟を振り下ろし、糸を斬り放つが、


「くっ!」


 糸の切れ端が腕や頬につくと、その部分がこおりつき始めるや、


「――ッ!」


 まるで糸が切れた傀儡かいらいのように、肢体をピクリとも動かさないまま、氷蚕が出て来た大穴へと叩き込まれた。


「アスィミィ?」


 オレが、どうしようかと案ずるよりも先に、彼女を救い上げようと湖の中に飛び込もうとした時だった。




「【縛妖索ばくようさく】ッ!」


 跳んだオレの身体を縄が巻き付き、制しする。


「おごわぁがぁぁは?」


 バチコンッ! と、オレの顔は強制的に氷の地面と口吻をさせられた。


「ぃいいいいてぇぇええええっ!」


 鼻潰れた。鼻の骨潰れたぞッ!


「ったく、なに気狂いみたいことしてるのよ?」


 あきれたような声が聞こえ、そちらに振り返ると、そこには嘆息を吐くように肩を竦めているナツカと、金色の姫カット……フリソスの姿があった。


「やっと見つけたと思ったら、目的のモンスターと戦闘中とはねぇ」


 ナツカは、オレの身体に巻きつけた羂索なわを元に戻し、得物を構える。


「っと、ナツカが来てくれて助かったッ!」


 オレがもう一度、湖の中に飛び込もうとするや、


「いやだから、なにやってるのよ?」


 ナツカがオレのマントの襟元を掴んで制しする。


「くげぇぇええええっ?」


 いまゴキって――、首の骨がゴキって言った気がするんだけど。


「そういうわけにはいかねぇんだよ。今さっき、こいつの攻撃を防ごうとしたアスィミが――」


「アスィミ? まさか、アスィミが湖に落とされているんですか?」


 妹の名前を聞くやいなや、フリソスは顔を蒼白させる。


「あぁ、あのモンスターの糸を食らったみたいでな」


 オレの説明を聞くや、「最悪ね」――とナツカは当惑の嘆を吐き捨てた。


「最悪って?」


「遭遇したら対処法とかを説明しようとは思っていたんだけどね、氷天虫のモンスタースキルの中に毒をふくんだ糸を吐く攻撃があるのよ。しかも戦闘が終わらないかぎり回復するすべはない」


「ちょ、ちょっと待ってください? それって身動きがとれないってことですよね」


 フリソスが、アッと悲鳴を上げる。


「だったらこんな悠長にしてる場合じゃないだろ?」


 それにオレのアクアラングなら、長時間水中に入れる。


「アクアラングも限度があるわよ。その制限時間内に見つからなかったらどうするわけ?」


「そんなこといってる場合じゃないだろ? それにオレの運の高さはお前だって」


「運がいいのは数字だけの話でしょ? 戦闘中ならまだしも――」


 オレはナツカの言葉を遮るように、


「フリソス、アスィミから聞いたけど、君って姉妹喧嘩してアスィミとのフレンド登録を切ったんだって?」


「えっ? はい。あの子がアタシの――って、そんなことは今関係ないじゃないですか?」


「仲直りしろ」


「えっ?」


 フリソスは、いきなりのことで驚いたのか、目をパチクリと瞬かせる。


「オレがアスィミを助けることができたら、その恩恵としてアスィミと素直に仲直りしろ」


「ちょ、ちょっと? ワタシの言ったことをもう忘れたの? 言っとくけど水深50メートル以上はあって、流れも早いのよ? 最悪デスペナで済むんだから」


「たしかにゲームならそれで済むだろうよ? でもなぁキッカケってのはいつできるかわからねぇだろっ!」


 そう言い返すや、


「あ、あの……おねがいします。妹を助けてください」


 フリソスがその場に跪き、オレに懇願する。


「フリソス? あなたまでなにを言ってるのよ?」


「アスィミがシャミセンさんと、アタシと同じ日に会うなんて偶然じゃないと思うんです。それに――喧嘩したことだって、もともとアタシがちゃんとアスィミに伝えていなかったことが原因だったし、アタシだって本当は仲直りしたいんです。でもアタシもアスィミもチームのことで忙しいし、クラスが違うから帰りとかすれ違ったり――」


 オレはフリソスの頭をそっと撫でた。


「ほんじゃぁまぁ、後のことは任せたッ! ――[アクアラング]」


 錫杖を掲げ、魔法を唱えると、オレの身体を酸素を含んだ膜が包み込む。


「はぁ……、まったく――少しは大人になりなさいな」


 ナツカの言っていることは正しいが、そんなのその場しのぎの言い訳でしかない。


「結局、あんたはワタシの知ってるあのバカと似てるってことか」


 言うや、ナツカは羂索なわをオレの腰に巻きつけた。


「一応命綱として結んでおくわ。それから回収したらすぐに水のなかから出てくること」


「了解」


 オレは湖に飛び込み、アスィミ救出を開始するのだった。



 ♯ # ♯ # ♯ # ♯ # ♯ # ♯ # ♯ #



 凍てつく湖の中へと飛び込んだ愚僧を、それこそ困却としたかおつきでナツカは見送る。


「それじゃぁ、シャミセンがアスィミを救出してくるまでのあいだ、こいつを対処しておきますか」


 言うや、ナツカは得物を構える。


「でも、ナツカさんたちが手に入れようとしている[氷蚕ひょうちゅう絹糸きぬいと]ってドロップアイテムなら倒すだけで済みますけど」


 フリソスも、氷蚕を見上げながら七星剣を構える。


「まぁワタシもあまり手に入れたことがないし、最悪手に入れられないってこともあるけどね」


 ナツカは、目の前の氷蚕を脅威とは思っていない。

 自分のレベルならそうそう負けるとは思っていないからだ。


「まぁ、案ずるはあの子たちだけどね――」


 ナツカは眉をしかめながら、大きく開いた氷の穴を一瞥する。


 ――最悪、あれ,,が出てこないことを祈るわ……。


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