第317話・法界悋気とのこと


 セイエイが、幻影系のモンスターが姿を変えた愚僧と心猿を、野性の本能(*他意はなし)で見抜き懲らしめていたその裏で……――、


「ナツカ、そっちはどうだった?」


 求めている情報以外のものを断絶し、集中できるようにとマントのフードをかぶり、濃霧の中にいる人影に声をかけているビコウは、魔法盤のダイアルをカラカラと回しながら思考していた。


「あぁ、ダメね。モンスターが出てくるってわけじゃないみたいだけど、方向がわからなくなるのはきついわ」


 濃霧の中からナツカが返事をしながら、ビコウの元へと戻ってきた。

 ナツカの腰には縄が巻かれており、それと繋がったかたちで紐が縫い付けられている。

 その紐の先をビコウが手に持っていた。


「それにしても考えたわね。たしかにこれならはぐれるってことはないかしら」


 ナツカが、自分の腰近くに垂れている紐を手にし、感心したような声で言った。


「雪山で一番怖いのは仲間とはぐれることだからね。ほら設備が整ったスキー場でも、誤って危険区域に入っちゃう事だってあるでしょ?」


「たしかに、雪山でもそうだけど、ただでさえ視界が悪い吹雪の中を命綱なしで歩くのは自殺行為だわ。互いに縄で繋がっているから相手がいることの確認にもなるわけだし」


 ナツカはビコウを見据えながら、


「それでなにか解決方法は見つかった?」


 とたずねたが、ビコウは首を横に振った。


「いやまったく。メニューを開くことができないから、アイテムが取り出せないから魔法文字で縄紐を作ったわけだけど」


「時間がたつと消えるからね」


 その言葉通り、ナツカの腰に巻いていた縄紐が、スーッとフェードアウトするように消えた。


「あまり動かないほうがいいのかしら?」


「視界が遮られている以上はね。さっき魔法反射REFLECTIONの魔法文字で霧の中を歩いてみたけど、霧が晴れなかった」


「ということは、オブジェクトってこと?」


「それはどうかな? 一応オブジェクトのシステムとかは星天遊戯のゲームシステムから流用しているから、ただの霧なら[突風GUST]や[WIND]といった魔法文字でかき消されているはずだよ」


 セイエイが試した方法を、ビコウとナツカも一度は試した。結果はセイエイの時と同様である。


「つまり、これは普通の霧じゃないってことかしら?」


「そうなるわね。まぁなにかしらヒントがあってもいいとは思うけど」


「ヒント……ね――、あの麗華っていうメイドがやったってことで間違いはないのでしょ?」


 ナツカが肩をすくめる。それを見て……、


「そう思うのが無難だろうね。だけど、ほかのみんなはどこに行ったのやら」


 ビコウが困窮した苦笑を浮かべるのだった。


「いくらビコウでもわからない?」


「ヒントがなさすぎるのよ。この霧が特殊なものだということはわかったけど、それをかき消す方法が見当たらない」


「モンスターの気配もなかったものね」


 そう言葉にするナツカの表情は少々怒りに満ちていた。


「白水とか双子の偽者が出てきて、私たちを襲おうとしたんだから」


 セイエイのときと同様に、ビコウとナツカの目の前にも彼女たちのフレンドに扮したモンスターが出現し、襲ってきたのである。


「まぁ、そもそもこんなところにいるわけがないって結論で、ちょっとカマをかけては見たけど」


「セイエイの場合は?」


「んっ? 恋華の場合? なにか心配するようなことってある?」


 心配そうに言うナツカに対して、ビコウは首をかしげてみせた。


「いや、最悪あんたとシャミセンの偽者を目の前にして、あの子が騙されないかなぁって」


 ナツカが片眉をしかめるのを見て、


「それなら大丈夫、星天遊戯のほうでもそうだけど、もしわたしたちのなりすましが恋華の目の前に現れたら、その時点でなりすまししたプレイヤーとかモンスターは詰んでるしね」


 ビコウはカラカラと笑った。


「あっと、うん……なんとなく察したわ」


 ナツカはビコウともそうだが、セイエイとも長い付き合いである。

 魔獣演舞での一件だが、パーティーを組んだビコウとナツカ、そしてセイエイの三人が、とあるクエストのためにおとずれたダンジョンのトラップにハマってしまい、はぐれてしまうという、今回の事案と同じことがあった。

 その状態で、仲間の一人に扮したモンスターが出現し、間違った方へと誘ったのだが、


「そのトラップにまんまとかかったのが私だけって」


 ナツカは頭を抱えながら嘆息をつく。


「一応クリアできたんだからいいじゃないの?」


 そんなナツカに、ビコウはカラカラと笑みを浮かべる。


「いや、っていうかね、あとであんた達に聞いたら、二人して私のなりすましを打ん殴ったらクリアできたってどういう神経よ?」


「へっ? そもそも本物ならダメージとかないでしょ?」


 と、ビコウはキョトンとした顔で言い返した。


「あぁっと、うん。なんかすごく単純な解決策過ぎてなにも言い返せない」


 ナツカは自身も納得してしまい絶句する。


「ってことは、セイエイのほうも大丈夫……かな?」


「恋華も一応は……」


 ビコウは言葉をとめ、目を瞑った。


「どうかし……」


「しっ!」


 ナツカの問いかけに、ビコウは厳しそうな声で制止した。


(――みゃぁ)


 かすかに霧の中からまだ成長しきっていない子猫の甲走った鳴き声が聞こえた。


「ナツカ、人の噂をしているとその人が近くにいるってことをどういうんだっけ?」


「んっ? [噂をすれば影が差す]……」


 ナツカはビコウの見据える先を見やった。

 濃霧の奥に小さな、五尺強の人影が見えた。

 ビコウは、魔法盤のダイアルを回しながら、文字を打ち込んでいった。



 【LXYJF】



 完成したのは、ただの[FLAME]の魔法文字だった。

 ワントの先を霧の奥にいる人影に向け、炎を放出させる。



 【AYWFVAYXX】



 人影の頭上に魔法文字が展開され、炎が水の壁にぶつかって、水蒸気が発生する。


「おねえちゃん?」


 と、聞き覚えのある声が聞こえ、ビコウは警戒心を向けたが、


「みゃぁ」


 という猫の鳴き声で、その警戒を解いた。



「無事だった?」


 濃霧から抜け出てきたのはセイエイと、彼女の頭上を陣取っていたヤンイェンだった。


「ヤンイェンがいるってことは、本物ってことでいいのかしら?」


 ナツカがけげんそうにセイエイを見据えた。


「本物だと思うわよ。[召喚SUMMON]の魔法文字が使えない以上、テイムモンスターであるヤンイェンは呼び出せないはずだから」


「おねえちゃんたちも偽者?」


 セイエイがキョトンとした声で、ビコウとナツカにたずねた。


「魔法文字が使えるけど?」


 ビコウがそう答えると、セイエイはようやく生きた心地がしたといった安堵な表情を浮かべた。


「……どうしたのよ?」


「ヤンイェンの嗅覚でみんなを探していたら、わたしが登録しているフレンドの人たちがいっぱい出てきて、それを倒してた」


 それを聞いて、ナツカはビコウを一瞥した。


「倒したって?」


「えっと、モンスターだから倒していただけだけど?」


 質問するビコウに対して、セイエイは首をかしげる。


「恋華、もうすこし冷静に判断しなさいよ? もしかしたら魔法盤が使えない本物がいたって可能性も……」


「あっても倒してたし、倒していいって言ったのおねえちゃんだけど」


 言い返された言葉に、ビコウは閉口せざるを得なかった。

 単純な話、セイエイはビコウたちから言われたことを純粋に従っていただけである。


「それにおねえちゃんたちってあんなに弱くない」


「うん。これ以上話しても先に進まないし、この状況をどうしようかしら?」


 ナツカが言葉を発したときだ。


「みゃうぅ!」


 と、セイエイの頭上でヤンイェンが鳴いた。


「どうしたの?」


「みゃぁみゃぁ」


 セイエイの問いかけに、ヤンイェンは肢体をセイエイが向いているほうを正面として、左のほうへと向けたときだった。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」


 獣のような息遣いが聞こえ、


「まさかモンスター?」


 と、ナツカが魔法盤を取り出したが、ビコウとセイエイはそちらへと見るだけだ。


「どうしたのよ、二人とも……」


「うん、噂をすればってところかしら?」


 ビコウが肩をすくめるように言った刹那……、三人のところに強烈な空気の振動がおとずれた。



「ハウル、目の前のモンスター,,,,,に[咆哮ハウリング]の効果が利いていないみたいよ」


「みたいだねテンポウ。ってことは本物?」


 ビコウとナツカは、霧の中から現れた二人の魔女と一匹の黒狼を眇めた。

 一人は桃花色の髪をツインテールにした魔女。

 もう一人は腰まである、褐色とした本来のウグイス色の髪をツーサイドアップにした魔女。

 テンポウとハウルである。そのハウルの足元を陣取るように、主の足並みに揃えて従っている黒狼のチルル。


「あぁ、二人とも無事だった」


 ビコウがテンポウとハウルに声をかける。


「魔法盤展開っ!」


 対して、テンポウが左手に魔法盤と取り出してはダイアルをまわし始めた。


「……テンポウ、何の真似かしら?」


 ビコウがそうたずねるが、彼女とて、左手に魔法盤を取り出しており、



 【NIAGFV_】



 と魔法文字を展開していた。


「あのぉ、ビコウさん? なにやってるんですか?」


「んっ、テンポウの偽者がわたしに攻撃してこようとしているから、その反撃をしようとしているだけなんだけど」


 テンポウの困惑とした質問に、ビコウは笑顔で言い返した。


「魔法文字が使えている時点でアタシたちが本物だって気付いてますよね? それなのになんで攻撃しようとしてるんですか?」


「テンポウ、それを言うならさっきだってチルルがわたしたちに向かって[咆哮ハウリング]を使ってる」


 セイエイがチルルと戯れており、チルルの腰にヤンイェンが乗っかっている状態。

 チルルはセイエイたちが偽者ではないとすでに気付いており、セイエイから顔を撫でられるたび、気持ちよさそうに目を細めていた。


「とまぁ、別にダメージがないから大丈夫だけどね」


 ビコウはカラカラと笑いながら、魔法文字をキャンセルさせる。


「あの……、ちなみにどんな魔法文字を展開していたんですか?」


 テンポウが恐る恐るそうたずねるや、


「んっ? [氷山ICEBERG]をテンポウの足元に出現させて、その鋭利な尖端で八つ裂きにできないかなぁって」


 口にするビコウと、ヤンイェンと一緒になってチルルと戯れているセイエイ以外の、ナツカ、ハウル、テンポウの三人がその状況を素直に想像してしまったせいか、思考停止した――。


「死にますってっ! フレンドでダメージがないにしても、さすがに精神ダメージが死にますって! SAN値直葬するつもりですかぁあああああっ?」


 ビコウの真意を聞くやいなや、テンポウが涙目となって必死に抗議した。


「まぁ、偽者じゃないだけいいんじゃない?」


「ハウルたちはチルルの嗅覚でここにきたの?」


「そうですね。こういう状態だと頼れるのは嗅覚と聴覚くらいですし、人間にも限度ってのがありますから」


「シャミセンもワンシアを使って……」


「とは限らないんじゃない?」


 ビコウが、ナツカの言葉を遮るように言った。


「現に恵風のVIPルームにいたプレイヤーの中でテイムモンスターを使えるのは、シャミセンさん以外だと恋華とハウルだけ……そもそもいの一番にシャミセンさんと落ち合っているはずだしね」


「ということは、煌兄ちゃんはわたしたちとは違う別の場所にいる?」


「そう思って間違いないと思うわよ。まぁあの場にいたのはほかにコクランと白水……それからカラムを除けば、後はNODのスタッフだけだしね」


 ナツカが眇めるように皆を見渡した。


「とりあえず、全員魔法盤が取り出せる以上、プレイヤーと見て間違いはない……と?」


 そう聞かれ、ビコウたちはうなずき、おのおの魔法盤を取り出した。


転移魔法TELEPORTでシャミセンのところにいけない?」


 セイエイがそうたずねると、


「はーい、わたしの可愛い義姪っ子が言ったことを一回でも試したことのある人ぉー、手を上げてー」


 ビコウの言葉に、セイエイ以外の全員が手を上げた。


「恋華、見てわかる?」


「試したけど、認識されなかった?」


 義叔母の問いかけに、セイエイは首をかしげる。


「というか、そもそもそれが認識されたら、このイベント……って言っていいのかわからないけど、矛盾してるわよね?」


「ですよね? みんなをばらばらにして一人ずつ殺していくとすれば……んっ?」


 テンポウがけげんな表情でビコウたちを見渡した。


「どうかした?」


「いや、NODでおきている事件の犯人が、そもそもジンリンさん一人を狙っていたとすれば、それは犯人がジンリンさんに憧憬を持っていたってことですよね?」


「今までの話をまとめるとそうなるけど……あれ?」


 テンポウの話を耳にしながら、ビコウはけげんな顔で首をかしげる。


「……ちょっと待って、なんか辻褄が合わないんだけど」


「どうかしたんですか? 結局、こんなことをしている魔女は*さん……」


 ハウルは一度言葉をとめた。不意に宝生漣の名を言ったのだが、その名がNGワードとなって、雑音が入ったのだ。


「……っと、ジンリンさんになにかをしようとしていたことから始まったんですよね? ……――あれ?」


 ハウルがふと、妙な違和感を覚える。


「ねぇナツカ……、あんたもわたしもサイレント・ノーツをやっていたけど、トップってわけじゃなかったわよね?」


「そりゃぁね。私たちが始めたころにはすでにゲームが一年以上続いていたわけで、後になってはじめた私たちがトップになるってのは結構難しいものよ」


 ビコウの問いかけに、ナツカが肩をすくめる。


「そこなんだよね。シャミセンさんとジンリンがサイレント・ノーツをやっていたころって、実を言うとわたしたちよりも後だったみたいだから、ジンリンが[歌姫]というトップクラスのプレイヤーになったのは、彼女の純粋な努力だとは思う」


「だけど数多あまたいるトッププレイヤーの中で、どうして魔女はジンリンだけを選んだのか」


 ビコウはチラリとハウルを見据えた。

 この中では唯一リアルでのジンリンを知っているからだ。


「といっても、私が本格的にMMORPGをはじめたのって[魔獣演舞]からですよ。あとはほとんどシ●シティーみたいな箱庭運営のゲームくらいでしたから」


 聞きたいことを察したのか、ハウルがため息混じりに言った。


「うーん、それなら魔女はジンリンのなにに……」


 ビコウが困惑した表情で思考したときだった。



「ジンリンから聞いた話だと、彼女は[明星の六翼]を手に入れようとしたけど失敗した――」


 声が聞こえ、そちらに目をやると、


「ふぅ、やっぱりみんな集うところは集うわけか」


 腰まである川のように流れた赤髪の淑女と、左目を前髪で覆い、肩まで伸びたボブカットの女性が並んで、ビコウたちへと歩み寄った。


「あぁ、コクランとカルムも無事だったみたいね」


 ビコウが魔法盤を取り出す。

 それと同時に、コクランが、それこそガンマンの一騎打ちよろしく、構えるように魔法盤を取り出した。


「はぁいチビザル。人に銃を向けるってことは、撃たれる覚悟はできてるってことでいいかしら?」


「なんでいきなりそうなるんですか?」


 心猿と黄婆のあいだに割って入り仲裁する木母。


「とまぁ、冗談はそこまでにして……」


 ビコウが苦笑を浮かべながら魔法盤を消した。


「絶対冗談じゃなかったですよね? ビコウさんもケンレンさんもお互いの弱点属性の魔法を使おうとして、その頭文字にダイアルを合わせてましたよね?」


 テンポウが肩を落とすように愚痴をこぼす。


「カルム、[明星の六翼]ってなに?」


「サイレント・ノーツに出てくる召喚魔獣の中で、プレイヤーがもっとも渇望していた魔獣。手に入れるにはその魔獣と対なる存在とバトルをして、実力を見せなければいけない」


 セイエイの質問に、カルムはそう答えた。


「対なる存在?」


「その魔獣は、一般的には[ルシファー]と呼ばれている悪魔の長です」


 それを聞くや、


「ちょっと待って、たしかそれってレベルが200以上のプレイヤーでも持っている人を探すほうが大変だって言われている最強の魔獣じゃない?」


 驚いた声でナツカはカルムを見据えた。


「それじゃぁ、ジンリンはそれを手に入れた? でもシャミセンさんの話だと、自分が落ちてしまったせいでクエストを失敗したって」


「でも対なるものってことは、違う魔獣を手に入れようとしていた?」


「ルシファーと対なるもの……[ルシフェル]?」


「――としか考えられないけど、なんか引っかかるわね」


「……明星ってなんだっけ?」


 セイエイが首をかしげる。


「あぁ、明星って言うのは、夜明けとかたそがれ時の、いわゆる日の昇り沈みが起きるときに見える金星のことで……」


 ビコウは言葉を止め、


「ナツカ、あんたルシファーとサタンが同一視されているのは知ってるでしょ?」


「さすがにファンタジーに詳しいってわけじゃないけど、それくらいは知ってるわよ」


 ナツカが肩をすくめ、


「なにか引っかかることでもあるの?」


 と聞き返した。


「ジンリンが手に入れようとしたのがルシファーだとしたら[明星の六翼,,,,,]っていう言葉遣いはちょっとおかしいのよ。ルシファーの別称が[明けの明星]なんだけど、たしか天界における力バランスでは神の次に偉いとされている熾天使してんしの長と言われている。でも絵画に描かれている大天使ルシフェルの翼の数は十二枚,,,


「ちょっと待ってください? 翼が十二枚って、ここでも十二?」


 ぎょっとした声でハウルが甲走る。


「どうやら魔女は[十二]って言葉にこだわりがあるみたいね」


「だけど、明星――金星に大きくかかわっている悪魔がもう一匹存在している」


 ビコウがカルムを見据えた。


「アスタロト……」


「いましたね、そんな悪魔」


 カルムが発した悪魔の名に、テンポウが片眉をしかめる。


「だけど、いったいなんの関係が?」


「アスタロトはもともとルシファーと同じで天界にいた天使の一柱だったと伝えられているの。召喚において美しい天使の姿で現れることがあるらしく、古代フェニキアの女神[アスタルテ]が起源とされていて、ギリシャのアフロディーテ、エジプトのアストレト、バビロニアのイシュタル、ローマのヴィーナスといった女神は、アスタロトと同じ逸話があるって聞いたことがある」


「ちょっと待って、[ヴィーナス]って……金星の英単語」


 ナツカがハッとした顔つきで口走った。それを見て、ビコウがうなずいてみせる。


「しかも今ちょっとVRギアの翻訳機能で調べてみたんだけどね、金星のギリシャ語ってなんだと思う?」


「流れ的にギリシャ神話に出てきたアフロディーテ?」


 テンポウが冷や汗をかくように言う。


「正確には[アフロディティ]だけど、まぁ語源はそうでしょうね」


「それじゃぁ、もしかしてジンリンって」


 セイエイが片眉をしかめるようにビコウを見据える。


「ええ。ジンリンがそれと同じだとすれば、[ジン]というのは中国語で金属元素の[金]を意味している。そして[リン]は数字の[0]か、魚とかの[鱗]を意味してる」


「それじゃぁ仮にジンリンが中国語でいう[精霊]だとすれば――」


「単語そのものだとそれで間違ってないわね。でも[精]と[霊]を別に分けると、[ジン]と[リン]になる」


 ビコウの言葉に、ハウルがけげんそうに、


「いや、それだと分ける意味がないんじゃ?」


 と聞き返した。


「でもね、わかりやすい単語で言うと、精神を[ジン・シェン]。幽霊を[ユ・リン]っていうのよ」


 ビコウはそう答えながら、魔女がどうしてジンリンに固執しているのかを考えていた。

 今自分が言ったのは、あくまでルシファーが金星と関係して、その金星が同じく悪魔であるアスタロトへと繋がり、金星という言葉に、ジンリンの単語があったということ。


リーダーリンショウ領主リン・チユリン・フンジン近いジン静寂ジ・ジン……」


 ビコウはぶつぶつと、[ジン]と[リン]が含まれる中国語の単語を口にしていく。


「ねぇビコウ、さっき口にしたリン・フン静寂ジ・ジンを中国語表記で直すとどうなるんだっけ?」


 ナツカにそうたずねられ、


「んっ? 魂なら幽霊の[霊]に[魂]の二文字で[霊魂リン・フン]、静寂なら寂寞じゃくまくの[寂]に[静]かで[寂静ジ・ジン]になるけど……」


「それをさ、[サイレント・ノーツ]でたとえるとどうなるのよ?」


「[サイレント・ノーツ]で? えっとサイレントだから静寂……」


 ビコウはナツカが発した言葉の意味に気付くや、ギョッとした目で見返した。


「どうかしたんですか?」


「いや、ただの言葉遊びなんだけどね、[サイレント・ノーツ]って直訳すると[静寂した音]ってことになるの。これを[静寂なる魂]に置き換えると、[寂静霊魂ジ・ジン・リン・フン]ってなるわけ。もちろんこれはあくまで単語を並べただけに過ぎないんだけど」


「でも[静霊ジン・リン]って言葉だけを抜き取るとどう読める?」


「……もしかして[精霊]?」


 ハッとした声でハウルが口にした。

 どちらの場合も[セイレイ,,,,]と読めるからだ。


「ジンリンが事故にあったVRギアのテストに、サイレント・ノーツのスタッフが加わっていたとしたら、魔女はそれを利用してジンリンの記憶をゲームサーバー内に封じた」


「といっても彼女が欲していたのはプレイヤーとしてのジンリンだったみたいだけどね」


「だけどシャミセンがNODにコンバートして出会った歌姫ジンリンは、わたしたちが接したいたときと同様に、シャミセンやハウルが知っている宝生漣ジンリンだった」


 セイエイの言葉に、ビコウは「そうだろうね」とうなずいてみせる。


「そして魔女が嫉妬した一番の理由は――シャミセンさんってこと」


 その言葉に、セイエイやテンポウたちは困窮する。


「えっと、ビコウさん? どうしてそんなことを?」


「いやだって、そもそもルシファー……いやこの場合はまだ大天使長ルシフェルになるけど、その大天使様が人間に嫉妬したのって、全知全能の神が自分たち天使よりも低い立場でなおかつ出来損ないでしかない人間を寵愛ちょうあいしたことがすべての始まりともいわれているからね」


 テンポウの問いかけに、ビコウはそう答える。


「あぁ、それならトッププレイヤーであるジンリンさんが、下手の横好きレベルでしかない煌兄ちゃんを寵愛していれば、魔女が嫉妬するのもうなずけますね」


「ジンリンはシャミセンのために強くなったのに、それがなんで嫉妬につながるの?」


 セイエイが納得のいかない表情で言う。


「セイエイ、あんたも色々と人生経験をつんでいけばいずれわかるわよ」


 ナツカにそうなだめられるが、当の猟犬はけげんそうに首をかしげた。



「さてと、魔女がどうしてジンリンに固執しているのかはさておき、今はこの状況を打破することが……」


 ビコウが屈伸するように両手を膝小僧に添えていたときだ。

 ジッと、セイエイが奥のほうへと視線を向けていた。


「恋華、どうかした?」


「……ジンリン?」


 セイエイがそう口走るや、全員がセイエイの見ているほうへと視線を向けた。

 そこには竜胆りんどう色の長い髪を風になびかせ、顔が翳り、黒衣のマントを羽織った魔女がたたずんだようにビコウたちを見据えていた。

 顔は霧で覆われており、ビコウたちは窺い見れなかった。


「…………」


 ビコウたちは魔女が口を動かしている……という気配を察したが、なにを言っているのかは聞き取れずにいる。


「えっと、なにを言って――」


 ナツカが首をかしげる。

 ジンリンと思わしき魔女が、人差し指をたて、彼女たちから見て,,,,,,,,時計回りに動かした。


「えっと、どういう……」


「――も、もしかして真逆に……、魔法盤のダイアルを反時計回りに動かせってこと?」


「でも、たしか魔法盤に刻まれているアルファベットって、時計回りですよね?」


 ビコウはジッとダイアルに刻まれたAからZの文字を見据える。


「あっと、もしかして……」


 セイエイがちいさな唇に人差し指を添え、首をかしげた。


「なにかわかったの? 雷電」


「おねえちゃん、シャミセンにも同じこと言われたけど、雷電ってなに?」


 ビコウの言葉に、セイエイがあきれた声でツッコミをいれる。


「理科の授業で天文学を習ったことがあるんだけど、地球みたいな太陽系惑星が太陽を中心にして回ることを公転っていうんだよね?」


「えっと、そうだけど?」


 そんな小学生でも知っていそうなことをなぜ今ここでと、セイエイと竜胆色の髪をした魔女以外が唖然とする。


「でも金星の場合は自転の向きがほかの惑星と違って、公転と逆だって理科の先生が言ってた」


 いまさら説明を聞くのも億劫かもしれないが、自転というのは独楽が回るのと同様に、地球やそのほかの惑星・衛星などの天体がそれ自身の固定したひとつの軸を中心に回転することを言う。

 そして公転は太陽系惑星が一定の周期で太陽の周囲を、月の場合ならば地球の周囲を回ることをさす。

 つまり公転が時計回りだとすれば、金星の自転は反時計回りになるということだ。



「魔法盤展開っ!」


 ビコウが魔法盤を取り出し、ダイアルを反時計回りに回していき、



【WFXFTZVW】



 転移魔法TELEPORTの魔法文字が、ビコウの頭上に展開されていく。



 ◇【行き先を選択してください】



 と、魔法が認識され、各フィールドにある拠点となる町と、ビコウが登録しているフレンドリストが表示された。


「おねえちゃん、シャミセンのところに行ける?」


「大丈夫、しっかり認識はされてるみたい」


 ビコウが笑みを浮かべる。セイエイがホッと胸を撫で下ろした。


「それじゃぁ、わたしと恋華……それから――」


「ハウルが一緒に行った方がいいんじゃないですかね?」


 テンポウがハウルに視線を向ける。


「パーティーを組めば、一人の魔法文字でじゅうぶんだしね」


 セイエイとハウルは、ビコウに対してパーティー申請のメッセージを送る。

 ビコウは一度、転移魔法TELEPORTをキャンセルし、二人からの申請を受理してから、もう一度魔法文字を展開させた。

 行き先は――シャミセン。

 三重の魔方陣がビコウとセイエイ、ハウルの足元に展開され、三人は魔方陣に包まれながら、光の粒子となって散った。



「あぁ、そういえば……話すタイミングが見当たらなかったのでスルーしていたんですけど」


 テンポウが、なにを思い出したのか、ポンと手を叩いた。


「どうかした?」


「いや、白水さんはどうしたのかなって」


 ナツカ以外の、この場にいるテンポウ、コクラン、カラムはそういえばとけげんな顔を浮かべる。


「あぁ、白水ならちょっとお願いしてログアウトしてもらってる」


「ログアウト?」


「VIPルームで一通りみんなでの意見交換を終えてからなんだけどね、白水のお願いしてジンリンの本名をエゴサーチしてもらってる途中……」


 ナツカは説明していく中、言葉を止めた。


「どうかしたんですか?」


「いや、メニューが開けなくても、メールの着信はあるんだなって」


 そういいながら、ナツカは自身の簡易ステータスに表示されているメッセージ受信のアイコンをタッチした。

 新着メッセージが一番上に表示されており、送り主は白水だった。

 ナツカは、そのメッセージを展開し、内容に目を通していくや、


「……っ!」


 絶句し、メッセージウィンドゥを静かに閉じた。


「なんて書いてあったんですか?」


「……いや、正直ここまでくるとストーカーとかそんな生やさしいものじゃないわよ」


 テンポウの問いかけに、ナツカは聞こえていないような返事をする。


「ストーカーって?」


「一応詳しい内容は端折るけどね、サイレント・ノーツの元スタッフが自身のブログで書いてるんだけど、ゲームのサービスが終了したのが魔獣演舞のサービスが始まる一年前なのがユーザーに知られていることなのよ」


「魔獣演舞の一年前ってことは、ちょうどVRギアが発売される前になるから、そうなると今から二年くらい前……」


 コクランが指折り数えるや、サーッと血の気を引いたように顔を蒼くした。


「もしかして、サイレント・ノーツのサービスが終了した一番の原因って……」


 テンポウも、アッと声を震わせながら、ナツカを見る。


「えぇ、件の魔女は、ニュースでジンリンが亡くなったことを知ったんでしょうね。そしてその腹癒せに――[サイレント・ノーツ]というひとつの世界を壊し、[闇魔女たちの悪夢N・O・D]なんていう腐った世界に書き直したのよ。自分が欲している歌姫を自分のものにするために」


 ナツカは鬼胎を孕んだように、顔を強張らせた。



 △ ▼ ▲ ▽



 ビコウは閉じていた双眸をゆっくりと開いていく。


「……っと、シャミセ――」


 周りを見渡し、シャミセンのほうへと視線を向けるや、絶句した。



 彼女の目の前で跪いている愚僧の周りには、鼻が曲がるほどに錆びた鉛のような血の臭いが漂っており、それが愚僧の血であった。



「シャミセンさん、いったいなに……が……」


 ビコウがシャミセンに近づき、彼の状態を見て、これが目の前の魔女からの攻撃ではないことに気付く。

 そして、いったい誰がこの愚僧に傷を負わせているのかを目にするや、


「なにをやってるんですか?」


 憤怒に満ちた声でシャミセンに浴びせる。


「煌兄ちゃん? なんで……」


「シャミセン――?」


 ビコウのうしろで、愚僧のほうを見ていたハウルとセイエイも、愚僧がやっていることに恐怖を覚えていた。

 愚僧の左手には短剣ダークが握られており、その切っ先を自分の右腕に突き刺しては抜き、また突き刺しては抜きを繰り返している。


「あははは……はは……ははは……」


 愚僧は自分の行為を嘲るように、狂った笑みを浮かべている。

 眼は虚空、焦点は定まらず、いったい彼はどこを見ているのか、愚僧自身も理解できていない。

 短剣の刃は血に染まり、愚僧の周りは血が飛び散っていく。

 その痛みに対するダメージはないため、死ぬこともできない。

 このようなおぞましいことが、ビコウたちがここまで来るまで幾度も繰り返していたのだと、彼女たちは背筋を凍らせる。


「きゃははははははっ! 歌姫を騙し、みんなを騙した罪はこれよりも重く、愚図の根源は絶やすが如し」


 そんななか、彼女たちの目の前でたたずんでいるティーガーマハト……いや、[麗華]という名の魔女が、暗澹とした笑顔でケラケラと愚僧を哄笑こうしょうしていた。


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