第309話・牆壁とのこと


「それで、ムッカ義兄にいさんにお願いしようとしていることですけど、ちょっと気になることがあるんですよね」


「気になること?」


 ビコウの言葉に、オレは首をかしげる。


「ムッカ義兄さんのたぐいまれなるハッキング技術を見込んで、NODのゲームサーバーにある件の魔女のデータを調べてもらうって言うのが依頼事なんでしょうけど、そもそも今回の事件に大きく関わっている、魔女がどうやって【ジンリンの住所を知ったのか】ってことのほうが大事だと思いますよ」


「あれ? でもこの前聞いた話だと、前々から知っていたって結論にならなかったっけ?」


 そう聞き返すと、ビコウは否定するように手を振った。


「いや、住所だけならジンリンが生前、魔女が彼女をストーキングしていたのなら話は終わるんですけど、よくよく考えたらVRギアの登録には固定電話なりスマホなりの電話番号が必要になるんですよね。二重アカウント防止と本人確認のために」


「たしかにVRギアも一種のネットワークデバイスで、それ自体が通信環境を持っているし、今回はテスターとしての扱いになるから、配信会社からすればレンタル機種になるのか」


 ナツカが納得したような声で唸った。


「もちろんそのままVRギア本体をお金が発生しない分テスト参加の贈与として送られるようにはなっていたから、それ自体は問題ないんだけど」


 問題ない? ならそれでいいんじゃないか――と、口にしようと思ったのだが、


「あれ? テストってことはデバイスのデザインとかプログラミングを修正したりとかする必要があるから返却されるものだと思いましたけど」


 ジンリンが、オレの発言より前にビコウに訊ねた。

 そうたずねたのは、彼女がVRギアのテストが終了する前に亡くなっていたからだろう。


「いや、VRギアのデザイン――というよりは大元のシステムであるユーザーの脳波を使ってゲーム内のアバターを動かすように設定されているBMIはテスター募集の時には既に内装されていたし、痛感設定や視覚や聴覚、味覚などの五感をつかさどる運動神経を微弱な電流で刺激するっていうのが売りだったんだけど」


 ビコウはなんとも恥ずかしそうな顔をするので、


「もしかして、もともとはそういうシステムじゃなかったってことか?」


 とためしに聞いてみた。


「あ、いや……、ただ単純にゴーグルを使ってだったら、スマホの画面を使ったり、モニター内蔵のゴーグルなんかがありましたからそれ自体にまったくの目新しさはないんですよ。新しく作り出されるものって言うのは【ふるきをたずねて、あたらしきをる】っていうのがセーフティー・ロングの社訓みたいなものでしたから」


 ビコウはそう言ったのだが、


「どういう意味ですか?」


 とジンリンは首をかしげた。


「中国の四書のひとつ『論語』っていう書物に載っている一節で、温故知新の語源となったやつね」


 代わりにナツカが答えくれた。


「なるほど、たしかに目新しさってのは新製品になくてはならないことだよなぁ」


 それにVRギアにそもそも痛感設定なんかが内蔵されていたとすれば、それを使ってなにか取り返しのつかないことが起きてしまっては、制作会社は気が気でないってことか。

 それを考えると、ケツバや麗華さんには申し訳ないことを言った気がするが、漣のことにかんしてはその許容範囲を大きく逸れてるわけだけど。


「だいいち、VRギアの製作総責任者である玉帝フチンがBMIや物事を認識する運動神経に刺激を与えるような設定にしたのは、わたしの障害が大きく関わってるんですよね」


「ビコウさんの障害?」


「いや、わたし現実リアルだと左目の水晶体に障害があって、モノがすりガラスを通して見ているみたいなものなのよ。まぁ慣れているからいいんだけど、VRギアの構造上、映像を二重に見ないといけないから、片方の眼に倍以上の負担を与えかねないのよね」


 ビコウはそういうと、双眸を瞑った。


「なので、実際はアイマスクで目を覆って、VRギアの機能である視覚を司る運動神経にゲーム画面を反映させているんですよ。夢を見ているときに眼球が動くとかそういうイメージだと思えばわかりやすいですかね」


「その状態だと画面はどうなってるの?」


「普通にまっくらくらーいくらーいですよぉ~♪」


 ビコウがオレの問いかけに、それこそ歌うように答えた。

 まぁアバターが目を瞑っていれば、それを見ているユーザーの視界もまっくらにはなるか。


「でも、改めて聞くと、VRギアに搭載されている機能ってすごいですね」


 ジンリンが手を叩くように言うが、


「そう? BMIの脳の動きを瞬時に判断するシステムを応用したものだから、造ろうと思えば創れたと思うわよ。創らなかったのは必要なかったのと危険なモノだってことだったからじゃないかしら」


 ビコウが嘆息を吐くように答えた。


「つまり、ビコウさんの障害を知っているからこそ、製作者はそのシステムを採用した……と」


「そうですね。でももっと大袈裟なことを言うと、ゲームに境界線は必要ないってことじゃないですかね」


 白水さんの言葉に、ビコウはそう返答した。


「必要ない……か」


「それって言ってしまえば障害も入ると思うんですよ。ただ話をしたいのに咽頭に障害を持ってしまって手話や筆談でしかコミュニケーションを取れない人もいれば、話せるけど耳が聞こえないで困っている人。手足に障害があって動くことすらままならない人だってゲームの中だったら自由に動き回れる……それが可能になるようにBMIがあるわけですからね。脳に障害を持っている人もいますけど、ギアは直接刺激を与えていますから、受信に必要な知覚神経を経由してということはないんですよ」


「それって言い換えれば催眠技術が売りにしているってことになるんだけど」


 そうけげんな顔を浮かべながら聞いたのだが、


「だからこそ、知覚神経に関するプログラミングは社長である玉帝と、プログラミングの最高責任者であるムツマサさんしか扱えないように何重ものセキュリティーがかけられていますし、VRギアの送受信サーバーとは別のサーバーにあるから、まず一概の社員が扱える品物じゃないんですよ。ユーザーが所有しているVRギアの中にもプログラミングはありますけど、そもそも見つけられませんし、内蔵されているシステムの中に、バラバラになって保存されていますからね」


「中が見れない以前に、見ることがそもそもできないってことか」


「絵面ではなく数字でやる16パズルみたいなものですか」


 白水さんが肩をすくめるように言う。

 たしかにあれって絵がわかると解けるけど、そもそも意味がわからない数字の羅列だとまず正解自体がわからないし、解くのも一苦労だろうな。


「それにそもそも初期化するためには有料サービスが必要になるのって、ユーザーが間違ってHDDの中身を消さないように配慮された部分があるけど、大まかなことを言えばHDDを解析されるとコピー商品を作られる懸念があったからってのもありますね」


 それに関しては前にビコウから教えてもらっていたが、たしかにデバイスを解析されるとこれだけ優れた商品だ、盗作品が出回っても可笑しくはないか。

 ……しかもかなりの劣化品が。

 もしかして玉帝が解析できないようにしてるのは、それを懸念してのことなんだろうな。


「なんか中国の企業が作ったとは思えないくらいセキュリティーが高くないですか?」


 白水さんが片眉をしかめる。まぁ、その気持ちはわからなくもない。


「そりゃぁそもそも日本人を愛妾あいしょうにしている玉帝フチンと生粋の日本人が作ってるからね。ちゃんとした技術力を持っているのに既存の商品を真似るどころか悪い方向に魔改造する制作会社よりも、その倍以上の高性能に魔改造する制作会社だったら、迷いなく後者を選びますよ」


「たまに思うけど、あんた本当に中国人の血が通っているのかって言いたくなるくらいに中国のことディスるわよね」


 ナツカがあきれたといった表情で言う。


「本当のことだし、そもそも会社を経営している以上は利益が生じるほうを選ぶでしょ? 客商売だからよりよいものを提供するのが普通だと思うわよ」


 ナツカの喧嘩を売るような発言を、ビコウはそれこそ気にも留めていないような声で返す。

 さすが知音ちいんとも言うべきか。


「それに『ところ変われば人格も変わる』っていうじゃない。恋華は生まれた時から日本に住んでるから、同じ日中混血でお母さんから日本語を教えてもらっていたわたしや、父親であるボースさんに中国語に通訳してもらわないと、たどたどしい日本語しか話せない祖父ズウフと会話することもままならないしね」


 あれ? そういえば玉帝とNODの中で話したことがあったけど、その時は瞬間翻訳機みたいな機能で話していたのだろうかと、自問自答しておこう。

 途中で話の腰を折るのはいただけないし。


「逆に言えば海外に住んでる別の国の子が、身近に母国語を話す相手がいなかったら、話すこともままならないってことか」


 オレがそう口にすると、ビコウは「そういうことです」と返した。


「もちろん中国が嫌いなわけじゃないけど、ナツカが言いたい事は例え話とはいえ中国に対してまったくフォローもなにもないってことに対してでしょうね」


 あぁ、そういうことだったら納得。

 中国と日本の技術力が甲乙つけがたいものだったとしても、中途半端に贋作を作られるくらいだったら、本物以上に作ってくれるほうを選ぶってことだものな。


「ですが、システムの構想上、最悪人格操作の悪用もありえるから、本当に作った人以外には理解できない仕組みで隠されているんですよ」


 つまり、砂の中から違う砂を探すようなものか。


「話を変えるというか、元に戻しますけど、魔女がジンリンさんの実家を知っていても電話番号を知らなければVRギアを送られることはそもそもなかった――と?」


 白水さんが思い出したかのように言う。

 いつも思うけど本当に会話が脱線してばかりだな。


「そういうことですね。いちおう配信しているゲームコンテンツの限定グッズをキャンペーンとかでプレゼントする場合、配達のために当選者の住所や電話番号を知っておかないと配達の対応ができないから必須なんですよ」


「それって情報が漏洩していたっていう危険性も……」


「グッズが当選したユーザーに送って、宅配業者から配達完遂の知らせが届いたらそのキャンペーンで使われた応募者の個人情報は先ずサーバーからすべて削除してますし、控えとして紙媒体に記載して、社長室の金庫に厳重に保管されているから、漏洩自体はまったく起きてませんよ」


「保管しているのを知ってる時点で厳重じゃない気が」


「応募してくる住所のほとんどが日本人ですし、そもそもキャンペーンは日本のサーバー限定でおこなってますからね。その個人情報も中国本社の社長室にありますから」


「どういうことですか?」


 はてなと首をかしげる妖精に、


「中国だとメーカーと提携して正式に作るよりも、著作権法? なにそれ美味しいの? ってくらいに勝手に作りますからね。勝手にゲームの画像を使われて金儲けされている日本のメーカーは訴えてもいいと思うんですよ」


 心猿が、それこそ猟奇的といった微笑みを浮かべる。

 たとえるとしたら、沼地にたたずむ黒衣の魔女の双眸が窺えず、代わりにいびつに歪んだ口元の紅が光沢を現したかのごとく。

 もしかして、実際にやられたってオチじゃないよね?


「あぁっと……、プロアマ問わずになりますけど、イラストレーターがSNS系イラスト投稿サイトでアップした同人イラストを無断使用でグッズになってることって結構ありますよね」


「しかもその大半は中国製の安物グッズで、規模の小さいゲームセンターのクレーンゲームでしか手に入れられなかったりしますね」


「一時期オークションとかで三千円くらいの萌え系抱き枕とか出品されてたけど、あれも中国の贋作だったわけか……」


 白水さん、ジンリン、ナツカの順に、ビコウの発言に関してコメントを発する。

 なんか、ナツカの発言が一番あれな気がするんだが。


「でもそういうのって訴えることってできるんじゃ」


 オレがそう訊ねてはみたものの、


「中国だとまずブランド品の海賊版があること自体がもはや日常茶飯事で、中国当局が取り締まってもまた新しい杭が出るからいたちごっこ。日本メーカーが贋作製作や取り扱いをしている会社に問い合わせても音信不通どころか住所がデタラメだったりで、しかも日本の出版社がマンガの公式グッズを出そうとしたら、既に中国むこうで勝手に商標登録されていた……なんてことも結構あるんですよ」


「なんともはや」


 中国の盗作問題はいまだに氷山の一角しか見えていないらしいが、ここまで深刻だとは思わなかった。


「それこそあえて中国での表記で言いますけど、蝋筆小新とか」


「も、もしかしてセーフティー・ロングの配信してるやつも――」


 ジンリンが慌てふためいたかのように言うや、ビコウは苦笑を浮かべるように、


「あ、だからといってセーフティー・ロングが配信しているMMOゲームは原則盗作パクリはないわよ。似通ったゲームなんてごまんとあるけど、真新しいものがなかったらすぐにユーザーから飽きられるのは目に見えてるし、むしろ利益でいえば日本サーバー限定でやってるゲームのほうが会社全体の利益の70%以上をめるけど、ユーザー登録数からすれば利用者の多い中国や韓国のほうが多いのよ」


 と答えた。


「……仮に真似られてたら?」


「真新しいシステムが導入されていて面白いならいいですけど、ただ淡々とつまらないMOBと闘ったり、季節限定のイベントとかまったく配信されていなくてユーザーは飽きているのにまったく畳もうとしないなら、そのゲーム自体を買い取って、こっちのほうで作り直しますけどね。フィーチャーフォンで始まったブラウザゲームでも六年以上配信が継続していてなおかつ利益を出してる作品もありますし」


「なんか実感がこもっている気が」


「まぁそもそもゲーム自体がつまらないと、豪華声優陣をかき集めたり、有名絵師を多数起用しても半年でサービス終了することも多いからね」


「真新しいものでも、結局行き着くところは作品が面白いかどうかですか」


「そういうこと。このNODだって元をたどれば――」


 ジンリンからの問いかけに答えようとしたビコウは、うむ……と難しそうな表情を浮かべた。


「どうかしたのか?」


「いや、いま妙に引っかかるところがあって、第一わたしだって仮にもセーフティー・ロングの社員ですから、ほとんどの、それこそR18指定のゲームも内容だけは聞いているんですよ」


「あんた、年齢的にもプレイできないでしょ?」


 ナツカが肩をすくめるが、


「あぁ言っておくけど、わたしも恋華も一般向けに編集されている方しかやってないわよ。まぁ……VRギアの機能を使って快楽を与えようって話はあったみたいだけど、最終決断を出すフチンが即答で却下してたけど」


 ビコウはさほど気にしてない表情で言った。


「っていうか、19歳なんだから普通にプレイできるけど、今やってるゲームのほうが面白いからやらないだけ」


 そう言うと、ビコウは一、二度ほどしわぶきを鳴らしてから、


「まぁ結局のところはどう料理するかにもよりけりと思うんですよ。NODだって元をたどれば前のゲームのリメイクになるわけですし」


「それに、まさかボクが死んだ理由と関係していたら、それこそ笑い話のなにものでもない気がしますけどね」


 あははは……と、妖精が苦笑を浮かべた時だった。

 シン――と、ビコウの表情が、それこそ大きな水溜りの水面に氷が張ったかのように冷たく険しくなった。


「ビコウ? どうかしたか?」


 そうオレが声をかけた時だった。



 ◇GM【シダ】が入室しました。

  ・NPC【黑客】が入室しました。



 部屋に誰かが入ってきたというアナウンスがポップされるや、ドアから二人の中年男性が姿を現した。



「昨夜ぶりですな。シャミセンさん」


 そのうちの一人、GMのシダさんが、軽く手を振るように挨拶をしてきた。


「あれ? ムッカ義兄さんしか来ないと思っていたのだけど」


 シダさんがいることに、ビコウが首をかしげる。


「こいつが色々と駄々をこねるものでしてね。まぁ見た目は大人の癖に、中身は本当に子どもですからなぁ」


 ビコウの疑問に答えながら、シダさんは隣にいる身丈六尺は雄に超えているのだが、なんだろうか、シダさんの言うとおり、子どもがそのまま大きくなったといった感じだ。


「そ、それで、おれにいったいどこをハッキングしてほしいって言うんだ?」


 その大男――黑客ヘイクは、おどおどとした態度でオレやみんなを見渡すように聞いてきた。

 見た目は兄であるボースさんに似てなくもないのだけど、なんだろうかすごくぶん殴りたい。


「ちょっと黑客さんにお願いというか、依頼なんだけど……NODのゲームサーバーから、この妖精の元の人格に関するデータを――」


 黑客はオレの眼前に手の平を差し出すと、


「ホワイトハッカーとして頼りにされることはありがたいのだが、その件に関しては無理だな」


 俺の言葉を待たずに、はっきりとした拒絶を叩きつけた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る