第253話・暗愚とのこと


 もしオレの知っていたころまでの明さんと変わらずにいてくれていたら、妹を悲しませるようなことを言わなかっただろうと、期待すらする価値もないことを期待していたのだろう。


「……っ」


 ローロさんの告白を耳にして、ジンリンの表情は、足掻きが取れない、困惑の色に塗りたくられていた。


「***、ちょっと、ごめん……」


 ジンリンはオレの首元にもたれかかった。


「復讐……ですか?」


 はたして漣がそんなことを期待しているだろうか。


「ええ。しかし実際に人を殺すわけではありませんが、ゲームの中でなら罰せられることはないでしょう」


 そう口にするローロさんは、まさに月に叢雲花に風といったところか。取り繕うことすら許されない、ある意味決意とも取れる表情だった。

 漣がイジメで自殺したということならば、オレもある程度は明さんの行動を意気に感じることができたと思う。

 だけど、今オレの肩で苦しそうに自分の感情を殺している妖精はそんなことを望んでなどいないだろう。

 そもそも漣が飛び降りた原因はそれとはまったく違い、お門違いもたいがいにしろといいたくなるが、ここはグッと堪えるしかないか。



「これから第一フィールドに行って、テンポウの手伝いをするんですけど、よかったらどうですか?」


 ジンリンから視線をローロさんに向けなおし、そう誘う。


「別によろしいですけど、いいんですか?」


 はて、遠慮されるようなことをいってはいない気がするのだが。


「いや、テンポウさんから誘われているのでしょ? それでしたら、わたしのほうはお邪魔ではないでしょうか?」


 そんなもんかね? とりあえず本人にメッセージで聞いてみる。



 ◇送り主:テンポウ

 ◇件 名:大丈夫ですよ



 うむ。本人から了承を得たのでこのまま第一フィールドまで行きましょうかね。

 ローロさんのことは後にしよう。さすがにオレだけじゃ扱いきれん。事情を知っているビコウや、ケツバたちに相談をするというのもありかね。


「あぁっと、知らぬが仏とはこのことか」


 ジンリンが耳元で、人をののしった口調でためいきをついていた。


「んっ? 別にローロさんのことはテンポウも知ってるだろ?」


 もしかするとローロさんの高い器用値がいい具合に仕事をしてくれるかも知れんぞ。


「そういう意味じゃないんだけどなぁ。絶対テンポウさんそういう意味でキミにお誘いのメッセージを送ってきたわけじゃない気がするんだけどなぁ」


 頭をかかえ、グヌヌとうなりだした妖精。

 兄の残酷な告白に、思考が追いつかなくなってきたか。

 とかく、時間はそろそろ天辺に差し掛かっている。急いでテンポウのところへと向かいましょう。



 ^



「はぁ……」


 シャミセンさんに送った、クエストに参加してほしいというメッセージに快諾してくれたことを、わが身なれとも心躍っていることに嘲笑したくなる。

 もちろん、ビコウさんやセイエイちゃんを誘えばクエストクリアの効率は格段に上がる。

 のだけど、今の時間、二人が起きているとは思えないから、というのは言い訳で、本当はここ最近一緒にパーティーを組めていなかったので、遠まわしに誘っただけだった。


「それなのに、それなのにぃ」


 その場で地団太を踏む。本人から遅れるというのは致し方ない。それこそ本人と一緒にクエストをクリアするまではログアウトするつもりなんてなかった。


「だからってね? 一緒にいるからってローロさんとこっちに来るかなぁ」


 うん、たまに思うけど、シャミセンさんって女心わかってない気がする。

 普通、男が誘ったとかならまだしも、女の子がそれこそ個人にメッセージを送るって、しかもこんな時間にだよ?

 すこしは、花も恥らう(自分で言って気持ちが悪くなってきた)乙女が、お誘いのメッセージを送ってきたら、期待くらいしてほしいものなのだけど、シャミセンさんからの返信からしてまったくそんな気配すらない。


「もうすこし期待というものを……もしかしてそういう風に見られてない?」


 自分で言うのもあれだけど、なんでこう悩むかなぁ。

 シャミセンさんの従妹であるハウルとは、クラスが一緒だということがわかってからは一学期のときよりも話すことが多くなったけど、星天遊戯とかNODの話題となれば、なにかとシャミセンさんが話題の中心になって花が咲くことが多くなった。

 彼のプレイングキャラは共通して高い幸運値を持っているのは、そのゲームのプレイヤーならば、もはや周知に等しい。

 彼をパーティーに誘えば、レアアイテムのドロップ率が上がりやすくなるんじゃないかとか、ハウルから見て、シャミセンさんがどういう人なのかは聞いている。

 聞いているからこそ、興味が出てしまう。

 ハウルが知っている普段のシャミセンさんと、私の知っているシャミセンさんが違わないことが不思議だった。

 普通、ネットゲームなんてものは、上辺だけで付き合うようなものだけど、シャミセンさんはそんな風に思えなかった。

 もちろん、私の思い違いかもしれない。

 ゲームの中で他人から怒られるなんてことはなかったけど、シャミセンさんは相手が誰であろうと、怒るときは怒るけど、褒めるときは異常なまでに褒めてくれる。

 それがこそばゆくて、不可解で、なんとなく……。

 それに実家が経営している喫茶店で、不躾な態度を取ったとき、シャミセンさんはそれを見過ごさず、すぐに注意をしてきたことも、不思議といやじゃなかった。

 ハウルから聞いた話だけど、彼女らの祖父は、家族から見てもきわめて厳しい人だったらしい。だけど、厳しい反面、やさしく諭してくれる人でもあったそうだ。


「シャミセンさんって、怒るときは本気で怒るからなぁ」


 ゲームなんだから、もうすこし穏便にとは思ったりもしないわけじゃないが、そこがまたいいというか、一緒にいるときのセイエイちゃんを見ているといい人なんだなとすぐにわかる。

 彼女の、シャミセンさんと一緒にいるときの表情が、ビコウさんと一緒にいるときと大差なかったからだ。

 それは、彼女がシャミセンさんのことを安心な場所としていたからだろう。



 セイエイちゃんとは魔獣演舞のころからのフレンドだけど、私が知るかぎり、ログイン中は、ほとんどビコウさんと一緒にいたと思う。というかそれ以外のプレイヤーには、なにかしらの警戒されてた。



 ちがう……。セイエイちゃんは脅えていたんだと思う。

 たとえば、人見知りが激しいとかそういう簡単なものじゃなくて、なんとなく、自分の行動が他の人に迷惑をかけるとか、やってもいないことに関して、気の許していない人には萎縮しているところもあったと思う。

 まぁ、私やケンレンさんたちに対しては、付き合いが長かったからか、もしくは安全だと思ったのか、自分の素を見せたりしてたけど。



『たぶんあの子、ビコウがいなくなったらあとを追うくらいだと思うわよ』


 ケンレンさんにそんなことを言われたことがあり、私はそれが理解できなかった。

 いや、頭が追いつけなかった。

 そりゃぁ、二人が家族だしね、いなくなったら悲しいのはわかるけど、だからってあとを追う?

 それからだった。セイエイちゃんが現実ではイジメにあっていることを知ったのは。

 ケンレンさんも、ナツカさんも、セイエイちゃんが異常なまでにビコウさんに依存していることを、私と同じような形で疑問に思っていたのだろう。

 その時はまだビコウさんは中国に住んでいて、直接セイエイちゃんと会えるのは旧正月で日本に来るくらいだったそうだ。私たちとオフ会で会えるのも、その時期がほとんどだった。



 直接ビコウさんとセイエイちゃんの二人に会うとき、いつも思うというか羨ましく思うのは、二人して、想像以上に愛らしいというところ。

 女の子が同姓の人をそう思うのはよほどのことだと思うけど。

 ビコウさんはゲームでの明るい雰囲気をそのままトリミングしたみたいに変わらなかったし(胸が身長以上に大きいのはいまも納得がいかないけど)、セイエイちゃんも綺麗に整った長い髪とか、みだしなみがちゃんとしていて、正直年下だってことを忘れてしまうくらいに見とれてしまうことがあった。



 だからこそ理解できなかった。

 なんであの二人が、それぞれいじめられる羽目になったのか。

 もちろん、妬んだりはする。

 だって、二人とも可愛いんだもの。可愛くてうらやましいくらいに可愛い。

 だからこそ、二人をいじめていた人たちのやっていたこともわからなくはない。

 女子っていうのは、どうも自分が一番じゃないと気がすまない生き物らしい。

 ……でもなぁ、ビコウさんが事故で意識不明の重症を負ったって聞いたときは、自分の中でぽかんと穴があいた気持ちになった。

 たぶん、自分の知っている知り合いが、事故で死んだとか、地震で亡くなったり、行方不明になったと聞いたときに、自分の中のなにかが、ボロボロと土壁のように、簡単にくずれはがれていくことと同じ感覚だったのかもしれない。ただのゲームの中での付き合いだけだったら、なにも思わなかっただろう。

 自分でも冷たい人間だとは思うけど、だいたいの人間はそんなものだ。

 私も、セイエイちゃんとまではいかないけど、ビコウさんに依存していたのかもしれない。

 今日のことだって、もしビコウさんが起きている可能性があったら、シャミセンさんより先に誘っていたかもしれない。


 $


 魔獣演舞で、いつもの時間、ケンレンさんやナツカさんと一緒にいたとき、フラフラと私たちのところへとやってきたセイエイちゃんは、なにかが壊れたみたいに足元がおぼつかない様子だった。

 普段だったら、ビコウさんがセイエイちゃんと一緒にいて、ケンレンさんと軽くバカ話をしてから、今日はなにをしようか、それこそクエストに必要なアイテムを、あのモンスターが持っているから、それを討伐に行こうと……、だいたいビコウさんが最初に言うのだけど……。

 その日は、めずらしく、ビコウさんの姿がどこにもなかった。


『あれ? 今日はビコウと一緒じゃないの?』


 と、ケンレンさんが、セイエイちゃんに、いつもだったら一緒にいるはずのビコウさんのことを聞いた。

 たぶんケンレンさんじゃなくても、私でも、もしかすればナツカさんも同じ風に聞いたんだと思う。

 もちろんそのときは、もしかしたら遅れるかもしれないから先に行ってなさいとか言われたのかもしれない。

 そんな軽い気持ちで、セイエイちゃんを見ていたのだ。


『……いかも』


 かすかに聞こえたセイエイちゃんの声が、普段のさざなみのような声よりもちいさく、最初はなにを言っているのかわからなかった。


『おねえちゃん、もう来れないかも』


『んっ? 来れないかもって、リアルが忙しくなったとか? なんか新しいゲームの企画に参加するから、もしかするとログインできないとか言ってたっけ』


 ナツカさんは、セイエイちゃんの言葉をそう捕らえたらしい。

 たしかにビコウさんは、魔獣演舞を提供しているセーフティー・ロングの社長の娘で、ゲームのアイディアを出したりとかしていたらしい。

 それがいちから、それこそ彼女がゲームの企画開発に関わることとなれば、魔獣演舞にログインできる時間もすくなくなってしまうだろうし。


『あ、あの……ね、そうじゃ……』


 ガクンと、セイエイちゃんが私たちの目の前で膝をつき、肩で息をしだした。


『ちょ、ちょっと? セイエイ、大丈夫?』


 ナツカさんとケンレンさんが、セイエイちゃんに駆け寄り、彼女をなだめはじめた。


『ビコウに、なにかあったの?』


 それが引き金になったのだろう。


『あ、あぁ、ああああ、ひぃはぁ、ひぅ、ひゅ、ひゃぅっ』


 私が知っているセイエイちゃんの静かなせせらぎのような声とは違う、いくら吹いても音が定まっていない笛のような息に、私はなにか胸を握られたような気持ちだった。

 セイエイちゃんが私たちに見せたのは、眼をカッとみひらき、喉を締め付けた紫に近い蒼白した表情。

 恐ろしいもの、信じられないもの、いや、信じたくないものを見たような複雑な表情。

 それだけでも、なにがあったのか、いや信じたくないことがあったと察することができた。

 たぶん、私は、セイエイちゃんがこのときはまだ小学六年生だってことを忘れていたんだと思う。

 そして、セイエイちゃんが、私たちに自分の口で伝えてくれたことに、できれば信じたくないことほど、聞きたくないことほど、自分の首を絞めるのだと自覚する。



 ……ビコウさんが、おぼれている犬を助けたが頭を打ち意識不明になった。二度と起きないかもしれない……と――。


 $


 だからなのか、それとも同じことを間接的に体験しているからだったのか、シャミセンさんの友達……宝生漣さんが、彼の目の前で飛び降りたことを聞いたとき、あの時に見たセイエイちゃんの死んだような、青ざめた顔が脳裏に浮かんだ。

 漣さんがシャミセンさんの中で大きな存在だったことを思ってすらいなかった私が、軽はずみにその人をネタに、ネットで話題になっていた。それだけの理由で口にした私を凝視しているシャミセンさんの燻らした瞳を向けられ、私は息がつまりそうになった。

 たとえVRだとわかっていても、殺気だったその瞳に、私は首を絞められそうになった。

 もしかすると、あの時も、セイエイちゃんが冗談を言っていて、それをからかってなんてしていたら、私はセイエイちゃんに噛み殺されていたかもしれない。



 シャミセンさんは自分がやったおろかなことを私に話してくれた。

 漣さんをいじめていたのは自分で、もし自分がそうじゃなかったら彼女を自殺なんてさせなかったと……。


「そんなの……いまさらでしょ」


 そう口にした自分を嗤ったのか、漣さんを殺してしまう原因を作ってしまったシャミセンさんを嗤ったのか……。

 たぶんどちらもだろう。そう思ってしまう自分がなんとも、嗤う価値すらないとあきれてしまうほどだった。


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